胸の穴
「春ー、お風呂入って」
浴室から上がった雨宮桜は、髪をタオルで拭きながら春に声をかけた。
「気が向いたら」
春は振り返ることもなく、素っ気なく答える。
「入るのー」
桜がしつこく促すと、春は面倒くさそうに立ち上がり、浴室へと向かった。
しばらくして、浴室から春の咳き込む音が聞こえてきた。
湯船に、赤い血がゆっくりと広がっていく。
「……流石に、心臓を一つ破壊されたのは困ったなぁ」
春は湯船の中で、自分の身体を見下ろした。
かつて英雄と呼ばれた人間との戦いで、春は三つある心臓のうち一つを破壊されている。
それ以来、このように吐血することも少なくなかった。
恐怖心を十分に喰らえていないことに加え、魔力で無理やり身体を動かすことにも限界がある。
春は胸に空いた傷跡を指でなぞった。
そして、あの日の戦いを思い返す。
ゲヒュールは、相手の敵意や殺気を感情の変化として察知し、攻撃のタイミングを読むことができる。
しかし、それは決して万能ではない。
分かるのは、あくまで攻撃が行われるタイミングだけだ。
どこを狙っているのかまでは分からない。
銃の場合、射線にさえ気をつければ対処できる。だが、それ以外の攻撃手段となると話は別だ。攻撃のタイミングが分かっても、攻撃の軌道までは読めないため、対処が難しくなる。
さらに、ゲヒュールとの戦闘に慣れた人間は、より厄介な相手となる。
感情がないわけではない。
ただ、攻撃に移る際の感情の変化が極めて小さいのだ。
ゲヒュールは感情の変化を読み取ることで攻撃を察知する。その変化が微々たるものであれば、当然ながら察知も難しくなる。
急所を狙った攻撃であればまだしも、それ以外への攻撃は、ほとんど読み取れない状態にまで陥る。
「…………」
春は胸の傷跡をなぞったまま、静かに目を伏せた。




