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「君は、この私までも責め立て、貶めるつもりか!」
「貶めてなどおりません」
セレナは微塵も動じることなく答えた。
「わたくしは、事実を申し上げているだけです」
そのあまりにも冷静な態度が、かえってアルフレッドの怒りに火を注ぐ。
「君がこれほど冷たい女性だったとは思わなかった!」
アルフレッドは怒気を露わにし、声を張り上げる。
「揚げ足ばかり取り、理屈ばかり並べ立てる! 可愛げの欠片もない!」
会場中に響き渡る怒声。
「君ではなく、エミリアが私の婚約者だったならどれほど良かったことか!」
その瞬間。
会場が静まり返った。
誰もが息を呑む。
それがどれほど重大な意味を持つ発言なのか、理解できる者ほど顔色を変えていた。
しかし、当のアルフレッドだけは気付いていない。
「……吐いた言葉は、お戻しになれませんわよ。殿下」
セレナの瞳が鋭く細められる。
「つまり殿下は、わたくしとの婚約を解消し、エミリアと婚約したいと……そう仰るのですね」
真っ直ぐな問いだった。
公衆の面前で発した言葉。
今さら否定すれば、自らの発言を覆すことになる。
アルフレッドは一瞬だけ言葉に詰まる。
だが、挑むようなセレナの視線を受け、そのまま引き下がることができなかった。
「ああ、その通りだ!」
勢いのまま言い放つ。
「血も涙もない冷徹な君より、私は心優しいエミリアを選ぶ!」
「アル様……」
エミリアは感極まったように涙を浮かべ、アルフレッドへ身を寄せた。
「わたくし……嬉しゅうございます」
アルフレッドは優しくその手を取り、愛おしそうに見つめる。
「王妃になるのに、公爵家の正統な後継者かどうかなど関係ない」
力強く宣言した。
「次期王妃となるのは、君だ」
その言葉に、会場は再びどよめく。
「ですが……陛下がお許しになりませんわ」
エミリアは不安げに見上げた。
「心配はいらない」
アルフレッドは迷いなく答える。
「父上は必ず私が説得する。君は何も案ずる必要はない」
そう言ってエミリアの手を強く握り返した。
まるで一つの英雄譚でも見ているかのように、学院の生徒たちはその光景に酔いしれていた。
庶民から公爵家へ迎えられ、正統な後継者である義姉に虐げられてきた少女。
そんな悲劇の少女が王子に見初められ、結ばれる。
彼らの目には、この場で起きている出来事は”逆転劇”そのものに映っていた。
会場には、アルフレッドとエミリアを応援する空気が広がっていく。
「おいおい……戻ってきてみれば、何だこれは」
別室から戻ってきたヴィクトルが、アルヴィンの隣へ並び、小声で尋ねた。
「殿下の最後の晴れ舞台だよ」
アルヴィンは柔らかな笑みを浮かべたまま答える。
その笑顔の裏に潜む怒りを知るヴィクトルは、思わず肩を竦めた。
――これは下手に触れない方がいい。
そう本能的に判断し、それ以上追及することはやめた。
「ところで君は、こんな所で油を売っていていいのかい?」
アルヴィンは笑みを崩さぬまま続ける。
「父上たちを呼びに行ったのではなかったかな」
「その笑顔で棘のある言い方するなよ」
ヴィクトルは苦笑しながら頭を掻く。
「もうすぐ来る」
その言葉が終わるか終わらないかのうちに――
「何の騒ぎだ」
重厚な声がホールへ響いた。
会場奥の扉がゆっくりと開く。
そこから姿を現したのは三人の男。
ラグナール侯爵。
ローゼンクロイツ侯爵。
そして――グランヴェル辺境伯。
三人が足を踏み入れた瞬間、会場の空気が一変した。
纏う威圧感は、そこに居るだけで周囲を圧倒する。
まるで歴戦の獅子が現れたかのような存在感に、生徒たちは思わず息を呑んだ。
黒服姿の係員が慌てて駆け寄り、今しがた起きた一連の出来事を簡潔に報告する。
三人は黙って耳を傾けていた。
しかし――
「……何だと」
アルフレッドがセレナとの婚約を解消し、エミリアを婚約者にすると公言したと聞いた瞬間。
三人の表情が険しく変わった。
会場の温度が一気に下がったような錯覚を覚える。
「これはこれは」
三人へ気付いたアルフレッドが歩み寄る。
「ラグナール侯爵、ローゼンクロイツ侯爵。お久しぶりでございます」
そして視線をグランヴェル辺境伯へ向けた。
「失礼ながら、そちらのお方は……」
「グランヴェル辺境伯閣下だ」
ローゼンクロイツ侯爵が短く告げる。
その名を耳にした瞬間、会場中に衝撃が走った。
「なっ……!」
「グランヴェル辺境伯閣下だと……?」
国内最強と謳われる辺境軍を率い、生ける伝説とまで称される武人。
滅多に王都へ姿を現さないその人物が、今まさに目の前に立っていた。
昨年まで学院には、その孫であるガイアス・グランヴェルが在籍していた。
武芸では並ぶ者がおらず、生徒会副会長としても厚い人望を集めた彼は、多くの生徒たちの憧れだった。
中でも騎士団長の息子であるレオンハルトにとって、グランヴェル家は幼い頃から目標とする武門であり、その当主である辺境伯は畏敬の念を抱く存在だった。
「グランヴェル辺境伯閣下、お目にかかれて光栄です」
レオンハルトは緊張した面持ちで一歩前へ進み、右拳を胸に当てて恭しく一礼した。
「ふむ」
グランヴェル辺境伯は静かにレオンハルトを見据える。
「君は?」
「レオンハルト・ヴァイスと申します。王国騎士団長ヴァイスの嫡男です」
「ヴァイス……剣の天才と噂されておる騎士団長の息子か」
「そのようなお言葉、恐れ多く存じます。わたくしなど、グランヴェル家の皆様にはまだまだ遠く及びません」
謙遜しながらも、憧れの人物に名を覚えられていたことが嬉しいのだろう。
その表情には僅かな喜びが滲んでいた。
「ガイアスからも話は聞いておる」
辺境伯は目を細める。
「将来有望な若者がおる、と期待しておった」
そして、一拍置いて続けた。
「剣の腕は確かに優れておるのじゃろう」
その声は静かだった。
「だが、本当に守るべきものが見えておらんようじゃな」
「……え?」
レオンハルトは思わず目を見開く。
「剣とは、強き者に振るうためのものではない」
辺境伯は周囲を一瞥した。
「何が正しく、何を守るべきかを見極める。その目を養わねば、真の騎士とは呼べん」
レオンハルトは言葉を失った。
反論することもできず、ただ拳を強く握り締める。
辺境伯はそれ以上何も言わず、静かに視線をアルフレッドへ移した。
「殿下」
今度はラグナール侯爵が一歩前へ出る。
「輝かしき創立記念大舞踏会の日に、このような騒ぎを起こされたと伺いました」
穏やかな口調だった。
しかし、その一言には有無を言わせぬ威厳が宿っている。
「まずは、事実確認をさせていただきたい」
アルフレッドは眉をひそめた。
「騒ぎを起こしたのは私ではない」
そう言い切ると、真っ直ぐセレナを指差した。
「騒ぎを起こしたのは、セレナだ」
その言葉に、セレナは静かに息を呑んだ。
王子ともあろうお方が、公衆の面前で婚約者を悪人に仕立て上げるとは思ってもみなかった。
アルフレッドとは、母が存命だった頃からの付き合いである。
母を亡くし、悲しみに暮れる幼いセレナの傍らで、彼はそっと寄り添い――。
「これからは、私が君を守る」
そう誓ってくれた。
だが、その約束はもう遠い過去のものなのだろう。
学院へ入学してからというもの、彼らの言動は幾度となくセレナを失望させ、傷付けてきた。
彼らへ抱いていた情は既に尽きていた。
セレナは一歩前へ出ると、居並ぶ来賓たちへ向かって深々と頭を下げた。
「皆様」
澄み渡る声が静まり返った会場へ響く。
「本日は創立記念という晴れの日にもかかわらず、このような私事で宴の席をお騒がせしておりますこと、心よりお詫び申し上げます」
深く頭を下げたまま言葉を続ける。
「本来であれば、このような場へ持ち込むべき問題ではございませんでした」
ゆっくりと顔を上げる。
「しかし、このまま曖昧に終わらせることは、かえって皆様への不義理となりましょう」
凛とした眼差しでアルフレッドを見据えた。
「ですので、本件につきましては、皆様にご納得いただける形で決着をつけ、この場を収めたいと存じます」
その姿は、誰よりも冷静で、誰よりもこの場の秩序を重んじる公爵令嬢そのものだった。




