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「公衆の面前で妹を貶め、涙まで流させて……君は満足なのか」
アルフレッドはエミリアの肩を抱き寄せたまま、憎々しげにセレナを睨みつけた。
「昔の君は、もっと穏やかで誠実な女性だと思っていた」
その言葉に、セレナは小さく笑みを零した。
悲しみでも、喜びでもない。
あまりにも呆れ果てたがゆえの、乾いた笑みだった。
「殿下は、わたくしが変わったと仰りたいのですか」
「違うというのか」
アルフレッドは語気を強める。
「義妹だからと、彼女を虐げてきたことは事実だろう」
セレナは静かに息を吐いた。
怯え、涙を流すエミリアを見て、誰もが彼女を被害者だと思い込んでいる。
何を説明したところで、最初から結論を決めている相手に言葉は届かない。
エミリアの周囲には、アルフレッドをはじめ五人の男たちが寄り添っている。
一方のセレナは、ただ一人。
それでも、この場で本当に追い詰められているのが誰なのか、彼らには見えていないのだろう。
「私が学院を卒業して、まだ数か月しか経っていないというのに」
静かな声が人垣を割った。
「まさか、ここまで酷い有様になっているとは思わなかったよ」
その一言に、周囲の視線が一斉に声の主へ集まる。
いつの間にかアルヴィンがセレナの隣へ歩み寄り、静かに並び立っていた。
「アルヴィン先輩……!」
学院の生徒たちがざわめく。
アルヴィンはアルフレッドではなく、エミリアへ穏やかな視線を向けた。
「君の義妹殿は、随分と人の庇護欲を掻き立てるのがお上手なようですね」
その声音に怒気はない。
「事実より涙が優先されるのであれば、この学院で真実が語られる日は来ないでしょう」
穏やかな口調だからこそ、その皮肉は鋭く響いた。
「アルヴィン殿! 貴方様もお見えになっていたのですか」
慌てて声を上げたのは、魔導の名門エルドレッド家の次男、カインだった。
普段は冷静沈着な彼も、尊敬するアルヴィンを前にしては隠しきれない緊張が滲む。
右手を胸へ当て、恭しく一礼した。
「やあ、カイン」
アルヴィンは穏やかに微笑む。
「君には昔から期待していたのだが……どうやら私の見る目も、まだまだだったようだね」
「アルヴィン殿、それはどういう――」
「アルヴィン殿」
言葉を遮ったのはアルフレッドだった。
「これは私と婚約者との問題です。貴方が口を挟むことではない」
王族としての威厳を保とうとする声音。
「まして、ラグナール家とエルドレッド家は古くから王家を支えてきた間柄です。どうかお言葉にはお気を付けください」
アルヴィンは一瞬だけアルフレッドを見つめた。
そして静かに微笑む。
「ご忠告ありがとうございます、殿下」
その笑みは柔らかい。
だが、瞳だけは少しも笑っていなかった。
「確かに少々出過ぎた真似をいたしました」
「アルヴィン様」
エミリアが遠慮がちに口を開く。
「貴方は最初からずっと、お義姉様のお味方でいらっしゃいます。それは、お義姉様がアウレリア家の正当な後継者だからでしょうか」
「その通りです」
アルヴィンは迷いなく答えた。
「彼女がアウレリア公爵家の正統な後継者である限り、この国にとって極めて重要な存在です」
その言葉に会場がどよめく。
王族を前にしてなお、アルフレッドではなくセレナを「国にとって重要な存在」と断言したのだ。
エミリアは悔しそうに唇を噛む。
しかし、すぐに何かを思い付いたように口角を上げた。
「ですが、アルヴィン様」
困ったような笑みを浮かべる。
「お父様は、お義姉様は当主に相応しくないと仰っております」
会場が静まり返る。
「それに先日も、『セレナよりお前の方が相応しい』と……」
慌てたように両手を振る。
「あっ、もちろん、わたくしには公爵家当主など務まるとは思っておりません。お義姉様のお立場もございますし……ですが、お父様ったら、そのようなことばかり仰るものですから……」
そう言って、困ったようにセレナへ視線を向けた。
自らが次期当主候補であることを匂わせれば、アルヴィンも評価を変える。
そう考えたのだろう。
しかし、その目論見は完全に外れた。
アルヴィンは一瞬きょとんとした表情を浮かべたあと、小さく笑った。
「……失礼」
肩を竦める。
「少々理解が及びませんでした」
静かにエミリアを見る。
「アウレリア公爵家の継承権は、公爵家の血統と継承法によって定められています」
その声は穏やかだった。
「婿養子には継承権はありません。当然、その血を引かない子にも継承権は生じません」
会場の年配貴族たちが顔を見合わせる。
「つまり、お父上が何を仰ろうとも、それだけで次期当主を決めることは制度上できません」
一拍置いて続けた。
「貴方は、そのことをご存じなかったのですか?」
静寂。
次の瞬間、年配の貴族たちの間から小さな失笑が漏れた。
笑われたのはエミリアの出自ではない。
公爵家の継承制度すら理解せず、自ら次期当主を仄めかした、その無知さだった。
自ら掘った墓穴。
その事実を突き付けられたエミリアは、羞恥に頬を赤く染めた。
貴族の継承制度を正しく説明しただけのアルヴィンの言葉は、誰一人として反論できない正論だった。
その様子を見て、セレナは思わず小さく笑みを漏らす。
しかし、その僅かな変化をエミリアは見逃さなかった。
ふらりとよろめくようにアルフレッドへ身を預けると、震える声で口を開いた。
「お義姉様……」
大粒の涙が頬を伝う。
「いくらわたくしのことがお嫌いだからといって、このように皆様の前で辱めるなんて……あまりにも酷いですわ」
ハンカチを胸元で握り締め、悲しげに俯く。
「ですが……」
涙を拭いながら、健気に微笑んでみせた。
「わたくしを笑い者にすることで、お義姉様のお心が少しでも晴れるのでしたら……わたくしは耐えます」
会場がどよめく。
論点は、いつの間にか継承権の話から「セレナが妹をいじめた」という話へすり替えられていた。
「わたくしへの仕打ちは構いません」
エミリアは首を横に振る。
「ですが、殿下や皆様まで悪く言うのは、おやめくださいませ」
「エミリア……」
アルフレッドは優しく肩を抱き寄せる。
「君は、なんて心優しい女性なんだ」
「君が一番傷付いているというのに……」
ユリウスが静かに呟く。
「安心しろ。私がお護りする」
レオンハルトが力強く言う。
「エミリア嬢のような方が報われるべきだ」
カインも続いた。
「エミリア様こそ、殿下のお隣に立たれるに相応しいお方です」
フェリクスが静かに頭を下げる。
彼のその一言をきっかけに、周囲の生徒たちからも賛同の声が上がる。
「そうですわ!」
「エミリア様こそ未来の王太子妃に相応しい!」
「いえ、国母となられるべきお方です!」
涙を流しながらも他者を気遣うエミリアの姿に心を打たれた者たちは、次々と彼女を称賛し始めた。
一方で、その様子を見つめる年配の貴族たちは、誰一人として口を開かなかった。
彼らが見ていたのは涙ではない。
この場で交わされた言葉と、その意味だった。
「セレナは、どうしてここまで非情な女性になってしまったのだ。エミリアの半分でも優しい心があれば良かったものを」
アルフレッドのあまりにも身勝手な言葉に、アルヴィンが口を開こうとする。
しかし、セレナは無言のまま片手を上げ、それを制した。
「殿下は、婚約者であるわたくしではなく、エミリアの言葉を信じられるのですね」
その声音はどこまでも冷静だった。
「ですが、わたくしは事実を申し上げただけです。エミリアを侮辱した覚えも、辱めた覚えもございません」
理路整然とした言葉に、周囲は静まり返る。
「エミリアは元は庶民だ。貴族の継承制度を知らなかったとしても責められることではないだろう」
アルフレッドはなおも言い募る。
継承制度について口にしたのはセレナではなくアルヴィンである。
それすらも、セレナがエミリアを追い詰めたことにされていた。
「それに、君は体調を崩した妹を気遣うどころか、エミリアと共に会場へ来たことを責め、お揃いの色になっただけで騒ぎ立て、一曲目を踊ったことまで責めている」
アルフレッドは当然のように続ける。
「会場へ来た時、君の姿が見当たらなかった。エミリアは踊る相手がおらず困っていた。だから私が踊った。それだけのことだ」
その理屈に、年配の貴族たちは思わず眉をひそめた。
「体調が優れなかったのでしたら」
セレナは静かに問い返す。
「舞踏会へは参加なさらず、そのままご帰宅されるのが賢明だったのではありませんか」
「体調が悪かったのは一時的でした……。今はもう大丈夫です」
エミリアは俯きながら答えた。
「そうでしょうね」
セレナは淡々と頷く。
「本当に体調がお悪いのであれば、舞踏会へ出席し、一曲目から踊ることなど到底できませんもの」
反論は返ってこない。
「そして、殿下」
セレナは再びアルフレッドへ視線を向けた。
「エミリアは婚約者の義妹という立場です。そのお二人が揃って白を基調とした装いで現れれば、周囲がエミリアを婚約者と誤認するのは当然でしょう」
会場をゆっくりと見渡す。
「誤解を避けるのであれば、どちらかがお召し替えになるべきでした」
さらに続ける。
「加えて、婚約者が見当たらないという理由だけで、婚約者以外の女性と一曲目を踊ることは、この国の礼法に照らしても看過できるものではございません」
そして最後にエミリアを見る。
「そのような振る舞いを続ければ、社交界では『義姉の婚約者との距離を弁えない女性』と見なされても不思議ではありません」
セレナはそこで一度言葉を切った。
「わたくしは、そのような噂が立つことを案じて申し上げているのです」
「……っ」
エミリアは唇を震わせる。
周囲の視線が一斉に自分へ集まったことに耐え切れず、再び大粒の涙を零した。




