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「これは……どういうことですの?」
「なんてことだ。殿下のお相手はセレナ嬢ではないぞ」
「では、学院で囁かれていた噂は本当だったというのか。殿下は婚約者ではなく、その義妹を寵愛しておられると……」
少し離れた場所から様子を窺っていた卒業生や年配の貴族たちは、驚きを隠せず互いに囁き合った。
セレナは静かにその光景を見つめる。
――やはり。
相手がエミリアであることは、既に予想していた。
胸の奥が僅かに痛んだが、今さら驚きはしなかった。
人垣の中心には学院の生徒たちが集まり、口々にアルフレッドとエミリアを称えている。
セレナはアルヴィン、ヴィクトルと視線を交わした。
無理に人混みを掻き分けることはしない。
三人は少し離れた場所で、曲が終わるのを静かに待った。
やがて演奏が終わり、会場に拍手が響く。
すると待ち構えていたように、人々がアルフレッドとエミリアを取り囲んだ。
「お二人とも、とても素敵な踊りでしたわ!」
「まるで運命の恋人同士のようでした」
「本当にお似合いですわ」
称賛の声が次々と飛び交う。
先ほどまで難色を示していた者たちでさえ、アルフレッドがセレナではなくエミリアを選んだと理解した途端、手のひらを返したように二人を持ち上げ始めた。
だが――。
社交界は、学院ほど単純ではない。
年配の貴族たちは誰一人として笑っていなかった。
エミリアが正統なアウレリア公爵家の令嬢ではなく、現当主代理である父の愛人の娘であることは、貴族社会では広く知られた事実だったからだ。
それ以上に問題だったのは、その装いである。
アルフレッドは白を基調とした正装を身にまとい、エミリアもまた、それに合わせるように純白のドレスを纏っていた。
一方、本来婚約者としてその隣に立つはずだったセレナは、アルフレッドから贈られた深いロイヤルブルーのドレスを身にまとい、ただ一人で会場に立っている。
誰の目にも明らかだった。
今宵、アルフレッドが婚約者として伴っているのは、セレナではなくエミリアなのだと。
「あの娘、自分の立場を分かっておらん」
「婚約者のいる殿下の隣で純白のドレスとは……」
「まるで自ら王太子妃を名乗っているようなものですわ」
年配の貴族たちは顔を曇らせ、声を潜めて囁き合う。
それは一人の令嬢を侮辱したというだけでは済まされない。
王家自らが、公爵家との婚約を軽んじた。
そう受け取られても何ら不思議ではない振る舞いだった。
「お嬢様」
ヴィクトルが心配そうにセレナを見つめる。
「ここは一度離れましょう。父上たちへ報告し、ご判断を仰ぐべきです」
しかし、セレナは静かに首を横へ振った。
「大丈夫です」
その瞳に迷いはない。
「侯爵様方や辺境伯様のお手を煩わせるほどのことではありません」
セレナは何一つ恥じることはしていない。
公爵令嬢としての務めを果たし、婚約者としても誠実であり続けてきた。
それにもかかわらず、なぜ自分が人目を避けなければならないのか。
恥じるべきは――。
婚約者を蔑ろにし、公衆の面前で別の女性を伴ったアルフレッドと。
婚約者のいる王子の隣へ当然のように立ったエミリアの方である。
セレナは胸を張った。
公爵令嬢としての誇りだけは、決して失わない。
毅然とした足取りで、人々の集まる中心へ向かって歩き始める。
その背中を見送りながら、アルヴィンは小さく息を吐いた。
「ヴィクトル」
声を潜めて呼び掛ける。
「セレナ嬢には私が付く。君は父上たちへ、この件を知らせてくれ」
「ああ」
ヴィクトルは力強く頷いた。
「お嬢様を頼む」
そう言い残すと踵を返し、足早に会場を後にする。
向かう先は、三家の当主たちが待つ別室だった。
セレナは真っ直ぐアルフレッドたちのもとへ歩みを進めた。
その姿に気付いた人々は、示し合わせたように左右へ身を引く。
自然とできた一本道の先には、アルフレッドとエミリア、そして幼馴染たちに加え、本来セレナに仕えるはずの従者フェリクスまでもが、エミリアを囲むように立っていた。
白を基調とした二人の装いは、誰の目にも婚約者同士のように映る。
その光景を前にしても、セレナの表情は微塵も揺らがない。
怒りも、悲しみも、既になかった。
跪かされ、公衆の面前で辱めを受けたあの日。
あの時を境に、彼らへ抱いていた情は静かに尽きていたからだ。
「お義姉様……」
セレナの姿を認めた途端、エミリアは怯えたように顔を青ざめさせる。
「大丈夫だ、エミリア」
アルフレッドはエミリアの手を優しく握り、その前へ立った。
「君のことは私が守る」
その瞳に宿るのは後ろめたさではない。
セレナへ向けられたのは、あからさまな敵意だった。
傍から見れば、アルフレッドとエミリアは互いを守り合う恋人同士。
そして、その二人を引き裂こうとする悪女がセレナであるかのような構図だった。
「アルフレッド殿下」
セレナは静かに口を開く。
背筋を真っ直ぐ伸ばし、凛とした眼差しでアルフレッドを見据えた。
「この状況について、弁明はございますか」
「お義姉様!」
エミリアが慌てて一歩前へ出る。
「どうかアル様を責めないでくださいませ! アル様はわたくしを哀れに思い、このように――」
「エミリア」
セレナはその言葉を静かに遮った。
「アルフレッド殿下は、わたくしの婚約者です」
会場中が静まり返る。
「そのような場で親しげに『アル様』とお呼びするのはおやめなさい」
冷ややかな声音が響く。
「立場を弁えない振る舞いは、公爵家の名を汚します」
エミリアは息を呑んだ。
正論だった。
誰一人として反論できない。
「……申し訳、ございません」
ドレスの裾を強く握り締め、肩を震わせながら俯く。
公衆の面前で自らの非を突き付けられた屈辱に、唇を噛み締めることしかできなかった。
「エミリアを責めるのはやめろ」
アルフレッドが一歩前へ出る。
まるでセレナからエミリアを庇うように、その前へ立ちはだかった。
「彼女に愛称で呼ぶのを許可したのは私だ」
その一言に、会場の空気が凍りつく。
婚約者ですら口にしない愛称を、婚約者ではない令嬢へ自ら許した。
その意味を理解できる者ほど、息を呑んだ。
年配の貴族たちは呆れと失望を隠せず、互いに顔を見合わせる。
一方で学院の生徒たちは、それを「殿下の優しさ」と受け取り、セレナへ向ける視線をより冷たいものへ変えていった。
「殿下は……」
セレナは静かに問い掛ける。
「わたくしではなく、エミリアと婚約なさるおつもりですか」
誰もが耳を澄ませた。
それは責めるための言葉ではない。
目の前の現実から導き出される、ごく当然の問いだった。
「何故そうなる」
アルフレッドは眉をひそめる。
「婚約者は君だろう」
「本当にそうでしょうか」
セレナは淡々と言葉を続けた。
「殿下はわたくしを迎えに来ることなく、エミリアと共に会場へお越しになりました。お二人は白を基調とした装いで並び立ち、婚約者と踊るべき一曲目をエミリアと踊られました」
一歩、前へ出る。
「その光景を目にした者が、どちらを殿下の婚約者と思うでしょうか」
静かな声だった。
だが、その一言一言には反論の余地がない。
アルフレッドは言葉を失った。
「全て……わたくしが悪いのです」
その時だった。
エミリアが突然、涙を零した。
「殿下はお優しいお方です」
震える声で続ける。
「体調を崩したわたくしを案じて駆け付けてくださっただけなのです」
ハンカチで涙を拭いながら俯く。
「お揃いの色になったのも、本当に偶然でした」
さらに悲しげに微笑んだ。
「わたくしは妾の子ですもの。お義姉様のように何着もドレスを持っているわけではありません」
会場がざわつく。
「殿下と同じ色だと知った時、舞踏会へ来るべきではなかったのかもしれません」
その言葉に、セレナの眉が僅かに寄る。
――よくも、そのような嘘を。
父はエミリアが望むものを惜しみなく与えてきた。
豪華な衣装も、宝飾品も、何不自由なく。
一方で、自分には小遣い一つ満足に与えられない。
母の遺した私財がなければ、必要最低限の衣服すら満足に揃えられなかっただろう。
嗜好品を買うこともなく、舞踏会用のドレスも必要最低限。
今日身に纏っているロイヤルブルーの一着も、アルフレッドから婚約者として贈られたものだった。
「エミリア……君は悪くない」
アルフレッドは優しく肩を抱き寄せる。
幼馴染たちも口々にエミリアを慰め始めた。
「気にすることはない」
「君は十分頑張っている」
「泣かないでくれ」
学院の生徒たちもまた、涙を流すエミリアへ同情の眼差しを向ける。
しかし、その様子を見つめる年配の貴族たちの表情は、一層険しさを増していた。
涙は事実を覆すものではない。
彼らが見ているのは、泣いている少女ではなく、この場で起きた一連の出来事そのものだった。




