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公爵令嬢ではありません~悪辣令嬢は国を滅ぼす~  作者: 茗裡
第一章 はじまりのカタストロフ
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「あの……それよりも、叔父様の件はいかがでしょうか」


 セレナの問い掛けに、三人は揃って静かに首を横へ振った。


「ローゼンクロイツ家は海運業も営んでおる。その伝手を使って各港や航路を調べさせているが……未だ手掛かり一つ掴めておらん」


 ローゼンクロイツ侯爵が苦々しく答える。


「我がラグナール家も優秀な魔導師を各地へ派遣し、海上の探索を続けている。しかし成果は芳しくない」


 ラグナール侯爵も静かに続けた。

 叔父が消息を絶ってから六年。

 セレナは三家の力と人脈を借り、今日まで捜索を続けていた。


 叔父は九年前、外交使節団の長として王都を発った。

 本来なら三年後に帰国する予定だった。

 しかし帰国直前、国王から新たな勅命が下される。

 向かう先は治安が極めて悪く、近海には魔海獣が跋扈する危険海域。

 そして六年前。

 叔父を乗せた船は、その航海の途中で消息を絶った。


「そう……ですか」


 セレナは静かに目を伏せた。

 その姿を見つめていたグランヴェル辺境伯が、ふと目を細める。


「……セレナ嬢」


 低く落ち着いた声だった。


「お主、常に精霊王の力を行使しておるな」


 セレナは何も答えない。


「精霊王の加護は契約者の力を飛躍的に高める。だが、精霊王自身の力を借り続ければ、その代償は契約者へ返る」


 辺境伯は厳しい表情で続けた。


「気力を削り、命を削る。使い続ければ寿命さえ縮めかねん」


 沈黙が答えだった。


 セレナの秘密。

 それは五歳の時、精霊王と契約を結び、その加護を授かったこと。

 その事実を知るのは、亡き母、叔父、双子の妹リリア、王族、そしてローゼンクロイツ家、ラグナール家、グランヴェル家のごく限られた者だけだった。


「……何だって?」


 ヴィクトルが目を見開く。


「お嬢様、それは本当なんですか!」


 思わず一歩詰め寄る。


「ヴィクトル」


 アルヴィンが静かに腕を掴んだ。


「落ち着け」

「お前……知っていたのか」

「入学した頃から気付いていた」


 アルヴィンは穏やかな口調のまま答える。


「彼女の魔力の流れには常に不自然な揺らぎがあった」

「だったら何故俺に教えなかった!」


 ヴィクトルの声が震える。


「命を削ってるんだろ!? 止めなきゃ駄目じゃないか!」


 アルヴィンは静かにヴィクトルを見つめた。


「君に話したところで、彼女を止められたのか?」

「それは……!」

「私も止めようとした」


 アルヴィンは小さく息を吐く。


「だが、彼女は止まらなかった」


 視線をセレナへ向ける。


「叔父君が生きている限り、探し続けると決めていたからだ」


 ヴィクトルは唇を噛み締める。


「アルヴィン……」


 怒りの矛先を失い、拳だけが震えていた。

 セレナを実の妹のように思ってきたヴィクトルにとって、その事実はあまりにも重かった。


「やめんか、馬鹿者」


 ローゼンクロイツ侯爵の一喝が部屋へ響く。


「父上!」


 ヴィクトルは振り返る。


「お嬢様が死んでもいいと言われるのですか!」

「誰もそんなことは言っとらん」


 侯爵は低く答えた。


「怒鳴ったところで、セレナ嬢が叔父君の捜索を諦める娘か?」


 ヴィクトルは言葉を失う。


「だからこそ我ら大人が知恵を絞るのだ」


 グランヴェル辺境伯が静かに頷く。


「これ以上、お主一人に命を削らせるわけにはいかん」


 その言葉に、部屋は静かな決意に包まれた。

 やがてラグナール侯爵が静かに立ち上がる。

 そしてセレナの前へ歩み出ると、片膝をついた。


「ラグナール家は建国以来、アウレリア家と共にこの国を支えて参りました」


 右拳を胸に当て、深く頭を垂れる。


「セレナ嬢。そしてリリア嬢。お二人の御身は、我が一族が命に代えてもお守りいたします」

「……ラグナール」


 その姿を見たローゼンクロイツ侯爵も静かに立ち上がった。


「ローゼンクロイツ家も同じです」


 片膝をつき、恭しく頭を下げる。


「我らが忠誠を捧げる相手は、今も昔もアウレリア家のみ」


 最後にグランヴェル辺境伯がゆっくりと立ち上がる。

 老齢とは思えぬ威厳を纏い、セレナの前へ進み出た。


「グランヴェル家は代々アウレリア家の剣」


 そのまま静かに跪く。


「我らの主は、建国以前より変わらぬ」


 その姿を見たヴィクトルとアルヴィンも、一切迷うことなく父に倣って膝をついた。

 部屋には五人の忠誠だけがあった。

 セレナはその光景を見つめ、小さく目を閉じる。


「……ありがとうございます」


 ゆっくりと口を開く。


「皆様のお力添えが必要です」


 静かな声だった。


「アウレリア家を、本来あるべき姿へ取り戻すため」


 そして真っ直ぐ五人を見据える。


「どうか、お力をお貸しください」

「御意」


 五人の声が重なった。

 その誓いは、誰にも聞かれることのない密室で交わされた。

 だが、それはやがて王国の命運を左右する盟約となるのだった。


 その時、不意に扉を叩く音が部屋へ響いた。

 ヴィクトルが扉へ向かい、静かに開く。

 そこには一人のフットマンが緊張した面持ちで立っていた。


「何用だ」


 ヴィクトルが問う。

 フットマンは一礼すると、慎重に口を開いた。


「失礼いたします。アルフレッド殿下が、ただいま会場へお越しになられました」

「承知した。ご苦労」


 ラグナール侯爵が静かに応じる。

 フットマンは再び一礼すると、扉の外へ下がった。


「皆様」


 セレナは三侯へ向き直る。


「わたくしは会場へ戻ります。どうぞ皆様は、引き続きご歓談をお楽しみください」


 優雅に一礼し、退室しようとしたその時だった。


「アルヴィン、ヴィクトル」


 ラグナール侯爵が二人を呼び止める。


「セレナ嬢について行きなさい」

「承知いたしました」


 二人は揃って頭を下げる。

 そしてセレナを挟むように歩き出し、三人は会場へと戻っていった。


 静寂が戻った部屋で、三家の当主は再び席へ腰を下ろす。

 ローゼンクロイツ侯爵は空になった酒瓶を一瞥すると、軽く指を鳴らした。

 すぐさま先ほどのフットマンが姿を現す。


「新しい酒を持って来い」

「かしこまりました」


 フットマンは頭を下げたが、ふと躊躇うように視線を上げた。


「あの……」

「何だ」

「殿下がご到着されたのであれば、ご挨拶には向かわれないのでしょうか」


 一瞬、部屋が静まり返る。

 ローゼンクロイツ侯爵は鼻で小さく笑った。

 ラグナール侯爵は黙ってグラスを傾ける。

 そしてグランヴェル辺境伯が、揺れる赤い液体を見つめたまま静かに口を開いた。


「殿下が我らに用があるならば、こちらへ来られる」


 短い一言だった。

 しかし、その言葉には絶対的な威厳があった。

 三家はいずれも建国以来、王国を支えてきた重鎮。

 王族へ礼を失することはない。

 だが、必要以上にへりくだることもまたない。

 その矜持こそが、王家と並び立つ名門たる所以であった。

 フットマンはその場の空気に呑まれ、慌てて深々と頭を下げる。


「し、失礼いたしました」


 そう言い残し、新たな酒を用意するため足早に部屋を後にした。


 セレナたちがホールへ戻ると、会場はどこか騒然としていた。

 軽快な音楽は変わらず流れ、舞踏を楽しむ者たちの姿もある。

 しかし、会場の一角だけは異様な熱気に包まれ、多くの視線が一人の人物へと集まっていた。

 囁き声があちらこちらから漏れ聞こえる。

 セレナたちは会場を見渡し、アルフレッドの姿を探した。

 だが、人垣に遮られて見つけることができない。

 そこで近くに控えていたスタッフへ声を掛ける。


「殿下がご到着されたと伺ったのですが、どちらにいらっしゃいますか?」


 スタッフはすぐに一礼した。


「殿下でしたら、現在パートナーの方とあちらで踊っておられます」


 その一言に、その場の空気が凍りつく。


「……パートナー?」


 ヴィクトルが思わず聞き返した。

 スタッフは不思議そうな表情のまま、人だかりができている方角を指し示す。


「あちらでございます」


 ヴィクトルとアルヴィンは同時に顔を見合わせた。


「パートナーだと……?」


 ヴィクトルの眉間に深い皺が刻まれる。


「婚約者であるセレナ嬢はここにいるというのに、一体誰と踊っているというんだ」


 アルヴィンも穏やかな表情を崩し、静かに目を細めた。

 一曲目はパートナーと踊る。

 婚約者がいる者は婚約者と踊る。

 それは貴族社会では礼儀以前の常識だった。


 そしてアルフレッドの婚約者は、紛れもなくセレナである。

 にもかかわらず。

 セレナはまだ誰とも踊っていない。


 つまり今、アルフレッドは――。

 婚約者ではない別の女性と、一曲目を踊っているということだった。

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