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「頬を叩かれた、だったかしら」

「……はい」

「それも事実よ」


 今度は誰もすぐには騒がなかった。

 先ほどまでとは違い、皆がリリアの次の言葉を待っている。


「ただし、何の理由もなく突然叩いたわけではない」


 リリアは淡々と続ける。


「私は何度も『お義姉様と呼ばないで』と言った。それでも貴女は聞かなかった」

「でも、わたくしは……本当のお姉様のように思っていたから……」

「貴女がどう思っていようと関係ないわ」


 即座に切り捨てた。


「呼ばれる側の私が嫌だと言っているの。それを何度拒絶されても続けることを『慕っている』の一言で正当化しないで」

「…………」

「それに、頬を叩いた時のやり取りもすべて話したの?」


 エミリアは答えなかった。


「そう。これも話していないのね」

「ち、違――」

「次」


 リリアは容赦なく話を進める。


「学院で孤立させようとした?」


 小さく首を傾げた。


「具体的に私は何をしたの?」

「……え?」

「誰かに貴女と話すなと命じた?」

「それは……」

「貴女と親しくした人間に圧力を掛けた?」

「…………」

「アウレリア家の力を使って、貴女を避けるよう誰かに命じた?」

「……いいえ」

「なら、何をもって私が貴女を孤立させようとしたと言っているの?」

「セレナ様が……わたくしに冷たくなさるから……皆様も……」

「私が貴女を嫌っていることと、周囲に貴女を排斥するよう働きかけることは別でしょう?」

「ですが……」

「私は誰にも命じていない。違う?」

「……違いません」

「なら、それは私が貴女を孤立させたとは言わないわ」


 リリアは淡々と言い切った。


「それから――」


 今度は僅かに目を細める。


「私が貴女を使用人同然に扱っていた、だったわね」

「……はい」

「具体的には?」

「わたくしに……お茶を淹れさせたり、皆様のお世話をさせたり……」

「私が命じて?」

「…………」


 エミリアの返事が止まった。


「どうしたの?」

「でも……わたくしがお茶を用意していたことは事実です」

「そんなことは聞いていないわ」


 リリアは即座に返した。


「私が命じたのかと聞いているの」

「…………」

「答えなさい」

「……命じられては、いません」


 周囲がざわついた。

 リリアは目を細める。

 この件については、セレナの日記にも書かれていた。

 アルフレッドやレオンハルトたちが屋敷を訪れると、エミリアは決まって自ら茶器を運び、菓子を用意し、甲斐甲斐しく彼らの世話をしていた。

 セレナが使用人へ任せるよう言っても、


『これくらい、わたくしにさせてください』


 そう笑って断っていたという。

 当初、セレナは客人をもてなしたいのだろうと深く考えていなかった。

 しかし、いつからか。

 エミリアが給仕をするたび、アルフレッドたちがセレナへ向ける視線が冷たくなっていった。

 そして、ある日。


『エミリアを使用人のように扱うのはやめろ』


 アルフレッドから突然そう言われた。

 自分は一度も命じていない。

 むしろ使用人に任せるよう言っている。

 それなのに、どうしてそんな誤解をされたのか分からない。

 セレナは日記にそう記していた。


 リリアは目の前のエミリアを見つめる。

 ようやく、すべてが繋がった。


「なら、何故お茶を用意していたの?」

「それは……皆様をおもてなししたくて……」

「自分から?」

「……はい」

「私が使用人に任せるよう言っても?」

「…………」

「エミリア」

「……自分で、やりたいと申し上げました」

「そうでしょうね」


 リリアは冷たく笑った。


「随分とおかしな話だと思わない?」

「……何がですか?」

「自分から給仕を申し出た。私が止めても続けた。それを見た人間には、まるで私が貴女にやらせているように見えた」

「わたくしは、そんなつもりでは――」

「そうかしら?」


 リリアの一言に、エミリアの声が止まった。


「少なくともアルフレッド殿下は、そう思っていたようだけれど」

「……っ!」


 エミリアが息を呑む。


「以前、殿下から『エミリアを使用人のように扱うな』と叱責されたことがあるわ」


 周囲がざわめく。


「私は何のことか分からなかった。当然よね。命じた覚えなど一度もないのだから」


 リリアは一歩、エミリアへ近づいた。


「それなのに、貴女は殿下の誤解を解かなかった」

「それは……」

「『セレナ様に命じられたわけではありません。私が自分からしていることです』と、一言言えば済んだ話でしょう?」

「…………」

「何故言わなかったの?」


 エミリアの唇が震える。


「気付かなかっただけです……殿下がそのように誤解なさっているなんて……」

「本当に?」

「……っ」

「まあ、いいわ」


 リリアはそれ以上追及しなかった。

 代わりに、周囲へ聞かせるようにはっきりと言う。


「貴女がお茶を用意していたのは事実。私がその場にいたのも事実。そして、それを見た殿下たちが『セレナがエミリアに給仕させている』と思っていたのも事実」


 そこで一度言葉を切った。


「でも――」


 再びエミリアを見る。


「私が命じていなかったことも、貴女が自分からやっていたことも、同じく事実よ」

「…………」

「なのに今、ベアトリーチェ様には『セレナに使用人同然に扱われていた』と話した」

「わ、わたくしはそんな言い方――」

「なら、訂正すればよかったでしょう?」

「……え?」

「先ほどベアトリーチェ様が『屋敷では使用人同然に扱った』と私を糾弾した時、貴女はすぐ隣にいたわよね?」


 エミリアの顔から血の気が引いた。


「聞こえていなかった?」

「…………」

「違うなら、その場で否定できたはずよ」

「それは……」

「でも、貴女はしなかった」


 リリアは薄く笑った。


「むしろ止める振りをして、黙って聞いていた」

「違います!」

「何が違うの?」

「わたくしは本当に、こんな大事にするつもりでは……!」

「大事にするつもりがあったかどうかなんて聞いていないわ」


 リリアの声が低くなる。


「貴女は、自分に都合のいい誤解を一度も訂正しなかった」

「…………」

「それだけよ」


 周囲が静まり返る。

 先ほどまでエミリアを庇っていた令嬢たちですら、何も言わなくなっていた。


「もうよろしいでしょう!」


 ベアトリーチェが耐えかねたように声を上げた。


「これ以上エミリアを追い詰めて何が楽しいのです!」

「追い詰める?」


 リリアは不思議そうにベアトリーチェを見る。


「私は事実を確認しているだけだけれど?」

「この状況のどこが――!」

「先ほどまで貴女が私にしていたことと、何が違うの?」

「…………!」


 ベアトリーチェが息を呑む。


「貴女はエミリアから聞いた話を並べ、大勢の前で私を糾弾した」


 リリアは真正面から彼女を見る。


「だから私は、その内容が事実なのか一つずつ確認しただけ」

「わたくしは……エミリアを信じていただけですわ!」

「エミリアを信じることと、事実確認を怠ることは別でしょう?」


 静かな声音だった。


「ましてや貴女は公爵家の令嬢でしょう。一方の話だけを聞いて、事実を確かめることもなく、他家の令嬢を公衆の面前で糾弾する。それがどれほど軽率な行いかくらい分かるのではなくて?」

「……っ」


 ベアトリーチェの顔が羞恥で赤く染まる。


「でも……エミリアは嘘など――」

「ええ」


 リリアはあっさり頷いた。


「だから、嘘ではないでしょう?」

「……え?」

「部屋を追い出された。私物を放り出された。頬を叩かれた。私から冷たくされていた。自分がお茶を淹れていた」


 指折り数えるように並べていく。


「全部、起きた出来事そのものは事実よ」


 そして、エミリアへ視線を戻す。


「ただ、自分に都合の悪い前後を話していないだけ」

「…………」

「嘘をつかなくても、人を騙すことはできるものね」


 その言葉に、エミリアの顔が強張った。

 周囲の視線が変わる。

 先ほどまで同情するようにエミリアへ向けられていた眼差しに、今では明らかな疑念が混じっていた。


「それから――」


 リリアはエミリアを見る。


「仲直り、だったかしら」

「……はい」

「おかしなことを言うのね」

「え……?」

「仲直りって、元々仲の良かった者同士がするものではなくて?」


 エミリアの顔が固まった。


「残念だけれど、私たちに仲直りをするような関係はないわ」

「で、ですが……」


 エミリアは縋るようにリリアを見る。


「わたくしたちは姉妹ですもの……」

「またそれ?」


 リリアは露骨にうんざりした顔をした。


「何度言わせるのよ」

「……っ」

「貴女が私を姉だと思うのは勝手。でも、私にまで姉妹だと認めるよう押し付けないで」

「わたくしは、ただ……」

「本当の姉妹のように仲良くしたい?」


 先ほどの言葉をそのまま返す。


「なら、まず相手が嫌がっていることをやめるところから始めたら?」


 エミリアが何も言えなくなる。


「私は何度も拒絶した。それでも貴女は聞かなかった」


 リリアは冷めた目で彼女を見た。


「それを今度は、大勢の前で『仲良くしたい』と言えば、私が受け入れなければならないの?」

「そんなつもりでは……」

「だったら、私が断っても問題ないでしょう?」

「…………」

「だから、お断りするわ」


 今度ははっきりと。

 エミリアに逃げ道を与えないよう言い切った。


「私は貴女と仲直りする気も、姉妹ごっこをする気もない」


 周囲が静まり返る。

 リリアはそこでようやくベアトリーチェへ視線を移した。


「これで確認は終わりかしら?」

「…………」


 返事はない。


「なら、今度こそ失礼するわ」


 リリアは踵を返しかけ、ふと思い出したように足を止めた。


「そうそう、ベアトリーチェ様」

「……何ですの」

「次に誰かを糾弾なさる時は、せめて双方から事情を聞いてからになさった方がよろしくてよ」


 ベアトリーチェの顔が引き攣る。


「公爵令嬢ともあろう方が、他人の言葉に踊らされて恥をかく姿など、そう何度も見たいものではありませんもの」

「なっ……!」


 反論を聞く気などなかった。

 リリアはそのまま踵を返す。

 集まっていた生徒たちは、彼女が近づくと自然と左右へ退き、一本の道を作った。

 リリアはその間を悠然と歩いていく。

 背後から聞こえてくるのは、先ほどまでとは明らかに質の違う囁き声。

 誰一人として、リリアを呼び止める者はいなかった。

 セレナを大勢の前で追い詰めるために用意されたはずの舞台。

 その中心に取り残されたのは、リリアではなかった。

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