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リリアが席に着くのとほぼ同時に、ホームルームの開始を告げる鐘が鳴った。
ほどなくして担任の教諭が教室へ入ってくる。
「今日から新学期だが、その前に留学生を紹介する」
その一言に、教室内がざわめいた。
この学院に留学生がやって来ること自体が珍しい。
大陸最大の領土と軍事力を誇るヴァルハイン帝国が隣国にあることから、留学を望む者の多くはアルヴェリアではなくヴァルハインを選ぶ。
そのため、他国からこの学院へ留学生が来ることなど滅多になかった。
「入ってくれ」
教諭の声に応じ、教室の扉が開く。
一人の青年が姿を現した。
すらりとした長身に、無駄なく引き締まった体躯。
切れ長の目と整った顔立ちには、どこか人を惹きつける華やかさと、生まれながらの気品が漂っている。
教室へ足を踏み入れた途端、女生徒たちから小さな感嘆の声が漏れた。
ルシアンは教壇の横まで進むと、生徒たちへ向き直った。
「ヴァルハイン帝国から参りました、ルシアン・フォン・ヴァルハインです。短い間ですが、どうぞよろしくお願いします」
「彼はヴァルハイン帝国皇帝陛下の末弟にあたられる、第八皇子殿下だ」
「……え?」
誰かが声を漏らした。
一瞬遅れて、教室中がどよめく。
「第八皇子……?」
「皇帝陛下の弟君って……」
「どうしてこの学院に……?」
「静かに」
教諭が窘めると、ざわめきが徐々に収まっていく。
「本人の希望もあり、学院内では他の生徒と同様に扱うことになっている。ただし、相手が誰であるかは忘れないように。くれぐれも無礼のないようにな」
生徒たちの間に緊張が走った。
大国ヴァルハインの皇族が、この学院へ留学してくる。
それも皇帝の実弟ともなれば、前代未聞と言っていい。
「さて、席は……」
教諭が空席を探して教室内を見回す。
その時だった。
「先生」
すっと手を挙げた者がいる。
エミリアだ。
「わたくしの前の席が空いておりますわ」
にこやかに微笑みながら、自分の前にある空席を示す。
その周囲にはアルフレッドをはじめ、レオンハルトやフェリクスといった成績上位者が集まっている。
皇族であるルシアンを迎える席として、教師から見ても悪い場所ではなかった。
「そうだな。では――」
「セレナ!」
教師の言葉を遮るように、弾んだ声が教室に響いた。
ルシアンだった。
エミリアが示した席には一瞥もくれず、真っ直ぐリリアの元へ歩いていく。
「…………」
リリアは無言で近づいてくる幼馴染を見上げた。
ルシアンは彼女の机の前まで来ると、それはそれは嬉しそうな笑みを浮かべる。
――傍目には。
(……白々しい)
つい数日前まで散々顔を合わせていたくせに、まるで久方ぶりの再会を果たしたかのような顔をしている。
「先生。彼女の隣でも構いませんか?」
ルシアンはリリアの隣にある空席を示した。
「セレナとは幼い頃からの馴染みなのです。彼女であれば学院のことも色々と教えていただけるかと」
再び教室がざわめいた。
「セレナ様と……?」
「幼馴染なの?」
「皇子殿下と……?」
突然現れた大国の皇子と、学年首席として知られるアウレリア公爵令嬢が幼い頃からの知り合い。
初耳の者がほとんどなのだろう。
驚きの視線が一斉にリリアへ集中した。
一方、教師は特に迷う様子もなかった。
「なるほど。セレナ嬢と旧知の仲なら、むしろ彼女が適任だろう」
セレナは学年首席。
座学だけでなく魔法実技でも極めて優秀で、これまで問題行動らしい問題行動を起こしたこともない。
教師からの信頼も厚く、留学生に学院生活を教える相手として申し分なかった。
「アウレリア嬢。構わないか?」
「もちろんですわ」
リリアは令嬢らしい笑みを浮かべた。
「ルシアン殿下のお役に立てるのでしたら、喜んで」
「ありがとう、セレナ」
「…………」
爽やかな笑顔を向けられる。
(よく言うわ)
つい先日まで散々人のことを悪魔だの何だの言っていた男とは思えない。
だが、こちらもセレナを演じている以上、顔には出さない。
「分からないことがございましたら、何なりとお尋ねくださいませ」
「ああ。頼りにしているよ」
二人はにこやかに微笑み合う。
事情を知らない者が見れば、幼い頃から親交のある令嬢と皇子による、微笑ましい再会にしか見えなかっただろう。
ただ一人。
先ほど自ら空席を申し出たエミリアだけは、上げていた手をゆっくりと下ろしながら、二人を見つめていた。
その笑顔は、僅かに引き攣っていた。
「では、殿下はそこへ」
「ありがとうございます」
ルシアンは当然のようにリリアの隣へ腰を下ろした。
教諭が出席簿へ視線を落とした、その直後。
「随分と嫌そうな顔をするな」
前を向いたまま、ルシアンが小声で囁く。
「してませんわ」
「してる」
「気のせいです」
「俺が隣で嬉しいだろ?」
「今すぐ席を替わって差し上げましょうか?」
「悪かった」
即答だった。
リリアは前を向いたまま、ほんの僅かに口角を上げた。
そんな二人のやり取りを。
アルフレッドがじっと見つめていることには――気付いていた。
朝のホームルームが終わると、生徒たちは全校集会のため講堂へと移動を始めた。
新学期初日ということもあり、廊下は多くの生徒で賑わっている。
その中でも、ひときわ注目を集めているのはルシアンだった。
滅多に来ない他国からの留学生。
それも、大陸最大の国土と軍事力を誇るヴァルハイン帝国の第八皇子ともなれば、当然お近づきになりたい者は多い。
廊下を歩いているだけでも、そこかしこから視線を感じる。
しかし、誰一人として声を掛けてはこなかった。
理由は簡単だ。
ルシアンが、ずっとリリアの傍にいるからである。
ここ最近のセレナに対するクラスメイトたちの態度を鑑みれば、彼女の隣にいるルシアンへ平然と近づける者など、そうはいない。
「……視線が鬱陶しいわね。少し離れてくださる?」
前を向いたまま、リリアが小声で告げる。
「嫌だ」
「…………」
「というより」
ルシアンは悪びれもせず続けた。
「セレナなら、学院に来たばかりで右も左も分からない留学生を放って一人で行ったりなんて、絶対にしないだろうな」
痛いところを突かれ、リリアは黙り込んだ。
確かにその通りだった。
セレナならば、幼馴染であるルシアンが学院生活に馴染めるよう、率先して世話を焼くだろう。
ここで邪険に追い払えば、セレナらしからぬ行動として周囲の目にも映りかねない。
「……面倒くさい」
「何か言ったか?」
「何も」
リリアは小さく舌打ちする。
その様子にルシアンは楽しげに笑った。
◇
全学年の生徒が講堂へ集まると、新学期最初の全校集会が始まった。
壇上では学院長が新学期についての訓示を述べている。
長い話を適当に聞き流していたリリアだったが、やがて学院長の話が終わり、次の話題へと移った。
「続いて、本年度より臨時教員として本学院にお力添えいただく方を紹介します」
学院長が壇上の袖へ視線を向ける。
「どうぞ」
一人の男が姿を現した。
茶色の髪を中央で分け、丸縁の眼鏡を掛けた理知的な青年。
派手さのない装いながら、立ち居振る舞いには妙に人目を引くものがある。
「――なっ……」
思わず声が漏れかけた。
その瞬間、隣にいたルシアンの手が伸び、リリアの口元を塞ぐ。
「んっ!」
リリアはすぐさまその手を払い除けた。
幸い学院長の話に意識が向いていたため、周囲から大きく注目されることはなかった。
「……お前」
リリアは前を向いたまま、横目だけでルシアンを睨む。
「知っていたのか」
「ああ」
しれっとした返事が返ってくる。
「ノアが『リリアには内緒にしておいた方が面白そうだ』と言っていたからな」
リリアの眉間に深い皺が刻まれた。
(あの男……)
壇上へ視線を戻す。
ちょうどノアが学院長の隣へ立ったところだった。
「本日より臨時教員を務めさせていただきます、ノアと申します」
柔和な笑みを浮かべ、丁寧に一礼する。
「専門は魔法学です。短い期間ではございますが、皆様のお力になれるよう努めさせていただきます。どうぞよろしくお願いいたします」
生徒たちから拍手が上がった。
その最中。
ノアがふと、生徒たちの方へ目を向ける。
「…………」
視線が交わった。
――気がした。
などという曖昧なものではない。
何百人という生徒が並ぶ講堂の中で。
間違いなく、ノアはリリアを見つけていた。
そして――笑った。
いつもの穏やかな微笑み。
だが、リリアには分かる。
(……絶対、楽しんでる)
自分が驚いたことに満足しているのだ。
リリアの眉間に、さらに皺が寄った。
冒険者として生きてきた六年間。
何が潜んでいるか分からない未踏の地へ足を踏み入れたこともある。
命を狙われたことも。
罠に嵌められたことも。
予測不能な魔物と対峙したことも、一度や二度ではない。
それでもリリアが狼狽することは滅多になかった。
どんな状況であろうと即座に把握し、利用し、最終的には自分の思い通りにひっくり返す。
それがリリア・フォン・アウレリアという女だ。
――なのに。
(この男だけは……)
ノアだけは、時折その上を行く。
こちらが何かを仕掛ける前に先回りし、いつの間にか盤面を整え、気が付けばリリアの反応まで計算に入れて楽しんでいる。
それがどうにも気に食わない。
リリアが不機嫌そうに目を細めると、壇上のノアはそれすら予想していたかのように、僅かに笑みを深めた。
(腹立つ……)
「顔」
隣から小声が飛んできた。
「何よ」
「セレナがそんな顔するか?」
「…………」
リリアは即座に表情を整えた。
眉間の皺を消し、背筋を伸ばし、口元には令嬢らしい柔らかな微笑み。
完璧なセレナ・フォン・アウレリアへと戻る。
「これでよろしくて?」
「ああ。完璧」
ルシアンが笑いを堪えながら答える。
リリアは前を向いたまま、その足を思い切り踏みつけた。
「――っ!」
ルシアンが声にならない悲鳴を飲み込む。
「どうかなさいました? ルシアン殿下」
「……何でもないよ、セレナ」
「それは何よりですわ」
にこり。
傍から見れば、仲睦まじい幼馴染同士。
しかし、その実態を知る者が見れば、とてもそんな微笑ましいものではなかった。
そして壇上では。
「…………」
そんな二人のやり取りを見逃すはずもなく。
ノアが眼鏡の奥の目を細め、ますます楽しそうに笑っていた。




