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普段のアルフレッドは傲慢で、ことセレナに対しては殊更その態度が酷かった――そう報告を受けている。
実際、昨日までのアルフレッドは聞いていた通りの振る舞いだった。
自分の言葉が正しいと信じて疑わず、セレナの言葉にはまともに耳を傾けようともしない。
だが、今日は随分と大人しい。
セレナに扮したリリアの冷たい態度が堪えたのか。それとも、昨日の一件について国王から何か言われたのか。
先ほどからリリアがどれだけ素っ気ない態度を取ろうとも、怒鳴りつけることすらしなかった。
アルフレッドは何かを言おうとして、僅かに唇を噛む。
「セレナ。すまな――」
「殿下」
その言葉だけは、最後まで言わせなかった。
リリアがぴしゃりと遮る。
(謝ろうだなんて、許さない)
今更悔いたところで遅い。
何より――アルフレッドが本当に頭を下げなければならない相手は、ここにはいない。
目の前にいるのはセレナではない。
セレナの顔を借りた、リリアだ。
姉を傷つけた男からの謝罪を、自分が代わりに受け取るつもりなど毛頭なかった。
「私とばかりお話しになっていては、次期婚約者となる方が妬いてしまいますわ」
リリアはちらりとエミリアへ視線を流した。
「え……?」
エミリアが目を瞬く。
「分かっておりますわ、殿下」
リリアは努めてセレナらしく、しおらしい微笑を作った。
「本日は、エミリアを新たな婚約者候補とするためにいらしたのでしょう?」
「違っ――」
「元婚約者である私にお気遣いいただく必要はございませんわ」
被せる。
彼に喋る隙など与えない。
「私はもう、殿下とは何の関係もないのですから」
「セレナ、だから私は――」
「どうぞエミリアを大切になさってくださいませ」
また遮った。
アルフレッドの顔に焦りが浮かぶ。
もちろん、そんな話が出ていないことくらいリリアも分かっている。
アルフレッドが今日、エミリアとの婚約を申し込みに来たわけではない。
それどころか、彼自身、エミリアを次の婚約者に据えようなどとは露ほども考えていないだろう。
――だからこそ、言っているのだ。
リリアはアルフレッドという男について調べさせていた。
彼はセレナを嫌っていたわけではない。
むしろ、その逆だった。
美しく、聡明で、魔法にも秀で、次期アウレリア公爵として誰よりも努力を重ねるセレナ。
アルフレッドにとって彼女は、非の打ち所のない婚約者だった。
だからこそ――息苦しかったのだ。
何をしても卒なくこなし、弱音一つ吐かない。
誰かに縋ることもなく、自らの足で立っている。
そんなセレナの隣に立つたび、アルフレッドは無意識に自分自身を試されているような感覚に陥っていた。
一方で、エミリアは違った。
困れば彼を頼る。
何かあれば助けを求める。
些細なことにも感謝し、褒め、尊敬の眼差しを向ける。
アルフレッドが手を差し伸べれば、エミリアは嬉しそうにその手を取った。
――自分が必要とされている。
――自分が守ってやらなければ。
そう思わせてくれる少女だった。
アルフレッドにとってエミリアは、自尊心を心地よく満たしてくれる存在なのだ。
そしていつしか彼は、セレナにも同じものを求めるようになった。
もっと自分を頼ればいい。
弱いところを見せればいい。
完璧であろうとせず、自分に守られる女であればいい。
それがセレナのためでもあると、本人すら気付かぬうちに思い込んでいた。
だが――。
(馬鹿馬鹿しい)
リリアは内心で吐き捨てる。
セレナが弱音を吐かなかったのではない。
吐ける相手がいなかっただけだ。
誰にも頼らなかったのではない。
頼ったところで、誰も手を差し伸べてくれなかった。
それなのに。
孤独の中で立ち続けるしかなかったセレナに向かって、自分を頼らなかったことまで責めるというのか。
挙げ句、自分を頼ってくれるエミリアを可愛がり、セレナには「彼女のように可愛げのある女になれ」と無意識に押し付ける。
(そんなにエミリアがお好みなら――)
リリアは微笑んだ。
(望み通り、くれてやるわ)
リリアは心の中で冷たく吐き捨てた。
セレナと和解できるなどという希望すら、与えるつもりはない。
自分が傷つけ、手放したものがどれほど大切だったのか。
それに気付いた時には、もう二度と手の届かない場所にいる。
彼にはその絶望を、嫌というほど思い知らせてやる。
「お父様、エミリア」
リリアは二人へ視線を向けた。
「殿下との大切なお話に、元婚約者である私がいてはお邪魔でしょうから、失礼いたしますわ」
「お邪魔だなんて……」
エミリアは困ったように眉尻を下げた。
しかし、その直後。
「ですが、婚約破棄されたお義姉様のお立場もございますものね。承知いたしましたわ」
リリアの目が僅かに細くなった。
――婚約破棄。
誰もそんな話はしていない。
セレナとアルフレッドの間で行われたのは、双方の合意による婚約解消だ。
少なくとも表向きはそういう形になっている。
それをエミリアは、今、何の迷いもなく『婚約破棄された』と言った。
(へえ……。なるほど、お前はそういう認識なのね)
リリアは何も指摘しなかった。
ただ、その言葉だけはしっかりと覚えておく。
どうやらエミリアの中では、セレナはアルフレッドから捨てられた女ということになっているらしい。
しおらしい顔の下に隠しているものが、一瞬だけ透けて見えた気がした。
もっとも、今はどうでもいい。
一刻も早くこの面倒な連中から離れられるのであれば、エミリアが何を勘違いしていようと知ったことではなかった。
「セレナ」
そんなリリアの意図を察したのか、ルシアンが割って入る。
「早く、久しぶりの屋敷を案内してくれないか?」
「ええ、もちろん」
リリアは先ほどまでとは打って変わって、柔らかな笑みを浮かべた。
「お待たせして申し訳ないわ。参りましょう」
「ああ」
二人が連れ立って扉へ向かう。
「待ってくれ、セレナ」
背後からアルフレッドの声が飛んできた。
だが、今度こそリリアは振り返らなかった。
「アルフレッド王子」
代わりに足を止めたルシアンが、肩越しにアルフレッドを見る。
「今日はエミリア嬢に用があって来たんだろう?」
「私はそんなこと一言も――」
「なら、今から作ればいい」
「何?」
「せっかくヴィンセント殿もエミリア嬢も揃っているんだ」
ルシアンは楽しそうに笑う。
「今後の婚約について話すには、ちょうどいいんじゃないか?」
「ルシアン!」
アルフレッドが声を荒らげる。
しかし、その隙にリリアはさっさと扉を開けていた。
「ルシアン様。置いていきますわよ」
「ああ、悪い」
ルシアンもすぐに後を追う。
扉が閉じる、その寸前。
「アル様……?」
戸惑いながらも、どこか期待を滲ませたエミリアの声が聞こえた。
ぱたん。
扉が閉じる。
「…………」
数歩進んだところで、リリアは足を止めた。
そしてルシアンを見る。
「余計なことを」
「いいだろ。お前もあの二人をくっつけたいんじゃないのか?」
「そうだけど」
リリアは閉ざされた扉を振り返った。
その口元が、ゆっくりと吊り上がる。
「まあ……いいわ」
あとは勝手に拗れてくれればいい。
応接室を出たリリアたちは、そのまま廊下を歩き出した。
後ろにはノアとラグナール侯爵も続いている。
廊下に人影はない。
それを確認した途端、リリアはようやく肩の力を抜いた。
「あー……鬱陶しい」
先ほどまでの淑やかな令嬢はどこへやら。
心底うんざりした声を漏らす。
「おい。屋敷の中なんだから、まだどこに人がいるか分からないんだぞ」
ルシアンが声を潜めて注意する。
「私たちの声が届く範囲に人はいない。大丈夫だ」
「魔法で盗み聞きされるかもしれないだろ」
「その心配には及びませんよ、殿下」
即座に言い返したルシアンへ、ラグナール侯爵が悠然と告げた。
「念のため、応接室を出た時点で我々の周囲に盗聴防止の結界を張っております」
「いつの間に……」
「私がいる限り、この会話を魔法で盗み聞きできる者はこの国にはおりません」
王国一の魔法使いと称される男がさらりと言ってのける。
「さすが侯爵。話が早くて助かる」
リリアは満足そうに頷いた。
「それで?」
それまで黙って歩いていたノアが、リリアの隣へ並ぶ。
「本当に、あの二人を婚約させるつもり?」
「当然」
一片の迷いもない即答だった。
「あれだけセレナを蔑ろにして、散々エミリアを選び続けたんだ」
リリアの口角がゆっくりと吊り上がる。
「今更返品なんて受け付けるものか」
「返品って……」
ルシアンが呆れた顔をする。
「エミリア嬢は商品じゃないんだから」
「知るか。こっちは不良品を押し付けられたんだ。引き取ってもらう」
「どっちが不良品の話?」
「両方」
「…………」
ルシアンが黙った。
ノアは口元に手を添え、笑いを堪えている。
「リリア嬢」
ラグナール侯爵だけは至って真面目な声音だった。
「お気持ちは理解いたしますが、王太子殿下の婚姻はご本人たちだけで決められるものではございませんよ」
「分かっている」
リリアから笑みが消えた。
「だから、無理やり婚約させるつもりはない」
「では?」
「あいつ自身に選ばせる」
リリアは足を止めた。
そして、先ほど出てきた応接室を振り返る。
「セレナという選択肢が、もう二度と自分には与えられないと理解させた上でな」
三人が黙る。
「今まで散々セレナを蔑ろにして、エミリアを庇い、優先してきたんだ。なら最後まで責任を持てばいい」
リリアは再び歩き出した。
「都合が悪くなった途端、やっぱりセレナがいいなんて――」
紅い瞳が冷たく細められる。
「そんな虫のいい話、私が許すわけないでしょう」
そう言って振り返ったリリアの口元には、見る者をぞっとさせるほど悪辣な笑みが浮かんでいた。




