43
リリアたちは今、応接室にいた。
昼食の最中、王宮よりアルフレッド一行がアウレリア邸へ向かっているとの報せが入ったのだ。
本来、本日来訪する予定だったのはルシアンとノアだけだった。
しかし、国王への謁見を終えたルシアンがアウレリア邸へ向かうと知ったアルフレッドが同行を申し出たらしい。
アルフレッドの側近としてレオンハルト。そして、彼らに同行する形でラグナール侯爵までやって来ることとなった。
何とも面倒な顔触れである。
「セレナ。くれぐれも失礼のないようにしろ」
向かいに座るヴィンセントが、先ほどから何度目か分からない忠告を口にした。
「昨日のような真似は許さんぞ」
「どちらに対して仰っているのかしら」
「殿下に決まっているだろう!」
リリアは返事をせず、優雅に紅茶を口へ運んだ。
――元婚約者に礼を尽くせとは、随分と都合のいい話だ。
それよりも。
リリアはちらりと隣を見る。
そこには何故か、エミリアが座っていた。
「…………」
「どうかなさいましたか、お義姉様?」
エミリアが不思議そうに首を傾げる。
「貴方、どうしてここにいるの?」
「え?」
エミリアが目を瞬いた。
「アルフレッド殿下がお見えになるのでしょう? でしたら、わたくしもご挨拶を――」
「必要ないわ」
即答だった。
エミリアの笑顔が固まる。
「本日の客人は、正式にアウレリア家を訪ねていらっしゃるのよ」
「ですから、わたくしもアウレリア家の娘として――」
「誰が?」
「……え?」
「誰が貴方をアウレリア家の娘として認めたのかと聞いているの」
室内の空気が張り詰めた。
「セレナ!」
ヴィンセントが声を荒らげる。
「エミリアはお前の妹だ! いつまでそんなくだらない意地を張るつもりだ!」
「お父様の娘であることは否定しておりませんわ」
リリアはティーカップを静かに受け皿へ戻した。
カチリ、と小さな音が響く。
「ですが、お父様の娘であることと、アウレリア家の令嬢であることは別のお話でしょう?」
「同じことだ!」
「いいえ?」
リリアは笑った。
「お父様は婿入りした身。貴方の血を引いているだけでアウレリアを名乗れるのでしたら、お父様が外で百人子供を作れば百人全員がアウレリアになるのかしら?」
「なっ――!」
「随分と安い家名になったものですわね」
「セレナ様!」
フェリクスが思わず声を上げる。
その隣でエミリアが俯いた。
「……わたくしは、ただ皆様にご挨拶したかっただけですのに……」
今にも泣きそうな声。
だがリリアが口を開くより先に――。
「何故エミリアを泣かせている」
聞き覚えのある声がした。
全員が扉へ顔を向ける。
いつの間に開いたのか。
応接室の入口に、アルフレッドが立っていた。
その後ろにはレオンハルト。
「殿下……!」
エミリアの表情がぱっと明るくなる。
アルフレッドは彼女へ視線を向け、それから責めるようにリリアを見た。
「またエミリアを虐めていたのか、セレナ」
「…………」
リリアは無言でアルフレッドを見つめた。
――また。
事情を尋ねるより先に、それか。
「相変わらず、素晴らしい理解力をお持ちですこと」
「何?」
「いいえ。こちらの話ですわ」
リリアが薄く笑った、その時。
「アルフレッド王子」
廊下から別の声が響いた。
「人の家の事情も知らずに首を突っ込む癖は、昔から変わらないようだな」
「貴様――」
アルフレッドが振り返る。
そこに立っていた男を見て、その顔が険しくなった。
「……お前、ルシアンか?」
ヴィンセントが訝しげに眉を寄せた。
事前に来訪者の名を聞いていたこともあり、その名には覚えがあった。
かつて、アウレリア家で暮らしていた少年。
エレノアがどこからか連れてきた母子を屋敷に住まわせ、数年間面倒を見ていた――ヴィンセントの認識など、その程度のものだった。
彼らの素性について詳しく聞いたことはない。
ましてや、その息子が今や何者となっているのかなど知る由もなかった。
「ルシアン! お前、殿下に対してその口の利き方は何だ!」
ヴィンセントが即座に叱責する。
「…………」
ラグナール侯爵が何とも言えない顔をした。
ノアは笑顔のまま沈黙している。
そして当のルシアンは、一瞬きょとんとしたあと――。
にやりと笑った。
「そういえば、まだあんたには名乗ってなかったな」
その笑みを見た瞬間、リリアは察した。
(あ。こいつ、絶対楽しんでいる)
ルシアンはヴィンセントの前へ進み出る。
先ほどまでの気安い雰囲気が消えた。
背筋を伸ばし、皇族としての顔になる。
「改めて名乗ろう」
ヴィンセントが怪訝そうに眉を寄せる。
「ヴァルハイン帝国皇帝陛下が末弟――第八皇子、ルシアン・フォン・ヴァルハインだ」
「…………は?」
間の抜けた声が、ヴィンセントの口から漏れた。
理解が追いついていないのだろう。
目の前の青年と、かつて屋敷にいた少年と、今告げられた身分。
その三つを必死に結びつけるように、ヴィンセントの目がルシアンを上から下まで往復する。
「だ……第八、皇子……?」
「ああ」
ルシアンは平然と頷いた。
「ついでに言えば、昨日正式に国王陛下への謁見も済ませた。これで俺が何者か、分かってもらえたか?」
ヴィンセントの顔から、見る見るうちに血の気が引いていった。
先ほど自分が何と言ったのか。
ようやく理解したらしい。
『お前、殿下に対してその口の利き方は何だ』
よりにもよって。
他国の皇子に向かって。
ヴィンセントの額に、じわりと冷や汗が浮かんだ。
「こ、これは……ルシアン殿下とは存じ上げず――」
「いや?」
ルシアンが遮った。
「気にするな」
思いのほか寛大な言葉に、ヴィンセントが僅かに安堵する。
しかし。
「俺はただの居候なんだろ?」
「……っ!」
ルシアンの口元には、意地の悪い笑みが浮かんでいた。
「今まで通りで構わないぞ。ヴィンセント殿」
リリアは思わず口元を押さえた。
(根に持ってるじゃない)
もっとも、今まで通りと言ったところで、ルシアンがまだアウレリア邸で暮らしていた頃、ヴィンセントはほとんど領地に籠もっており、顔を合わせたこと自体、数えるほどしかない。
言葉を交わしたことに至っては、挨拶程度のほんの数言だけだったはずだ。
ヴィンセントにとってルシアンは、妻がどこからか連れてきた母子の息子。
屋敷に置いてやっている居候――その程度の認識でしかなかった。
だからこそ、先ほども何の躊躇いもなく「お前」と呼びつけ、叱責したのだろう。
それがまさか、ヴァルハイン帝国皇帝の実弟だったとは夢にも思わなかったに違いない。
「し、しかし……何故、ヴァルハイン帝国の皇子殿下が我が家に……」
ヴィンセントは未だ混乱から抜け出せない様子でルシアンを見る。
「何故って」
ルシアンは不思議そうに首を傾げた。
「兄妹同然に育ったセレナとリリアに会いに来たに決まっているだろう」
さらりと言って、ルシアンはリリアの隣へ向かう。
「俺がここへ来た理由に、あんたの許可が必要だったか?」
「い、いえ……そのようなことは……」
先ほどまで「お前」と怒鳴りつけていた威勢はどこへやら。
目に見えて態度を変えたヴィンセントに、リリアは呆れたように目を細めた。
本当に分かりやすい男だ。
「ルシアン! 勝手知ったる他人の家とはいえ、世話になったヴィンセント殿に少しは敬意はないのか!」
ヴィンセントを追い詰めるルシアンを見かねて、アルフレッドが咎めるように声を上げた。
その言葉に、ルシアンは鼻で笑った。
「俺が世話になったのは、エレノア様とリリアとセレナ。それから、当時この屋敷に仕えていた使用人たちだ」
ヴィンセントの顔から、僅かに表情が消える。
「この男に世話になった覚えはない」
「だが、ヴィンセント殿は当時からアウレリア家の一員だっただろう」
「だから何だ?」
ルシアンは冷たく返した。
「俺がここで暮らしていた頃、この男はほとんど領地にいた。顔を合わせたことすら数えるほどしかない。言葉を交わした記憶なんて、挨拶程度だ」
「…………」
「それを『世話になった』と言うのなら、随分と便利な言葉だな」
アルフレッドが言葉に詰まる。
このまま二人が言い争いを始めれば、厄介なことになる。
どちらも王族だ。
ヴィンセントはもちろん、この場にいる者たちが容易に口を挟める相手ではない。
リリアは小さく息を吐くと、自ら仲裁に入ることにした。
「お二人とも。人の屋敷で口論なさるためにいらしたのかしら」
冷ややかな声が割って入った。
アルフレッドとルシアンの言い合いが、ぴたりと止まる。
「ルシアン様は幼い頃、私たちと兄妹同然に育ったお方。我が家へ足を運ばれるのは分かりますけれど――」
リリアの視線が、ゆっくりとアルフレッドへ移った。
「アルフレッド殿下は本日、どのようなご用件でお越しになられたのでしょうか」
「それは――」
「ああ、失礼」
アルフレッドが答えるより先に、リリアは何かに気付いたように口元へ手を添えた。
「失念しておりましたわ」
にこりと微笑む。
「殿下はエミリアに会いにいらしたのでしたわね」
「……何?」
「先ほどもエミリアのことを気に掛けていらっしゃいましたもの。退院した私が屋敷へ戻ったと知って、また虐められてはいないかと心配になられたのでしょう?」
アルフレッドの眉が寄る。
「違う。私は――」
「でしたら、私たちはお邪魔ですわね」
リリアは聞く耳を持たず、ルシアンへ顔を向けた。
「ルシアン様。私たちは場所を移しましょうか。十年以上ぶりですもの。久しぶりの屋敷をご案内いたしますわ」
「ああ」
ルシアンも意図を察したのか、すぐに頷いた。
「それに、セレナとは積もる話もある。俺たちは失礼しよう」
「ええ。参りましょう」
リリアも席を立つ。
そのままアルフレッドの横を通り過ぎようとした――その時。
「待て」
腕を掴まれた。
ぴたり。
リリアの足が止まる。
掴まれた腕へ視線を落とした瞬間、眉間に深い皺が寄った。
口角が下がり、顎にまで力が入る。
心底嫌そうに顔を歪めたのは、ほんの一瞬。
すぐにそれを隠すように、困惑した表情を作ってアルフレッドを見上げた。
「……何でしょう?」
「私もセレナに会いに来た」
「…………」
リリアは目を瞬いた。
一度。
二度。
そして、ますます意味が分からないとでも言いたげに首を傾げる。
「私に?」
「ああ」
「……何故?」
あまりにも素で返された一言だった。
アルフレッドの表情が固まる。
「何故って……」
「殿下」
リリアは本当に不思議そうに尋ねた。
「お相手をお間違えではありません?」
「間違えてなどいない!」
「ですが、昨日も私よりエミリアのことばかり気に掛けていらしたではありませんか」
そして、ちらりとエミリアを見る。
「ですからてっきり――」
再びアルフレッドへ視線を戻した。
「エミリアが私にまた虐められていないか、ご確認にいらしたものとばかり」
声音は柔らかい。
だが、言葉にはたっぷりと棘が含まれていた。
「それとも――」
リリアの目が僅かに細くなる。
「婚約を解消した元婚約者のもとへ、二日続けて足を運ばなければならないほどのご用件がおありなのですか?」
アルフレッドが押し黙った。
「昨日、数分だけではございますが、お話する時間は設けたはずですわ」
リリアはそこで、アルフレッドに掴まれたままの腕へ視線を落とした。
「それから――殿下」
「……何だ」
「手を」
静かな声だった。
「離していただけます?」
アルフレッドは一瞬躊躇ったものの、ゆっくりと手を離した。
リリアはすぐさま一歩距離を取る。
そして、掴まれていた場所を反対の手で払った。
まるで、そこに何か不快なものでも付着しているかのように。
「…………」
アルフレッドの顔が僅かに強張った。
それを見ても、リリアは何も言わない。
ただ何事もなかったように微笑んだ。
「それで?」
冷たい紅の瞳がアルフレッドを捉える。
「昨日のお話では、まだ足りなかったのでしょうか」




