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「リリア嬢、あまり無茶をなさいますな」
ローゼンクロイツ侯爵は、心配そうにリリアを見つめながら言った。
「分かっている」
そう答えるリリアだったが、その返事をどこまで信用していいものか。
ローゼンクロイツ侯爵は困ったように小さく笑った。
「それと、ノア殿から伝言を預かっている」
「ノアから?」
「ああ。ルシアン皇子とノア殿は、明日改めてアウレリア家を訪れるそうだ」
そこでリリアは、そういえば二人の姿を見ていないことに今更ながら気付いた。
病院を出る際、ノアとルシアンも後からアウレリア邸を訪れると言っていたはずだ。
それが結局、今日一度も姿を見せなかった。
「何かあったのか?」
「ルシアン皇子の正式な入国手続きだそうだよ」
「ああ……」
リリアは納得したように声を漏らした。
ルシアンはヴァルハイン帝国の皇子でありながら、未だアルヴェリア王国へ正式な入国手続きを済ませていない。
このままアウレリア家へ出入りするわけにもいかず、まずは王宮へ赴き、国王への謁見を済ませる必要がある。
「ノア殿も皇子に同行するそうだ。それから――」
ローゼンクロイツ侯爵は僅かに苦笑した。
「『私がいない間に、あまり派手なことはしないように』と」
「…………」
リリアの眉間に皺が寄った。
「それからもう一つ」
「まだあるのか?」
「『明日行って屋敷が半壊していたら、勉強時間を一時間増やす』」
「なっ――!」
リリアは勢いよく立ち上がった。
「何故そうなる!」
先ほどまでヴィンセントをどう追い詰めるか冷徹に語っていた少女と同一人物とは思えない。
ローゼンクロイツ侯爵は思わず吹き出しそうになり、口元を押さえた。
「……ノア殿は、随分と君の扱いに慣れているようだね」
「アイツが勝手に人の弱みを握っているだけだ!」
忌々しそうに吐き捨てるリリアだったが――少なくとも明日までは、アウレリア邸が物理的に半壊する心配だけはなさそうだった。
「とはいえ、君も彼のことを信頼しているのだろう?」
ローゼンクロイツ侯爵は穏やかに言った。
だが、リリアは答えなかった。
否定しない時点で、それが答えのようなものだった。
「リリア嬢が六年前、屋敷を出られた時は随分と心配したものだよ。だが、グランヴェル侯やノア殿が君のそばにいてくれたと知った時は安心した」
ローゼンクロイツ侯爵は昔を懐かしむように目を細める。
「それにしても、ノア殿は随分と君のことを理解しているようだね」
「……何が言いたい」
「実は君から諜報員を通じて連絡が来るより前に、ノア殿から私のところへ話が来ていたんだ」
リリアの眉が僅かに動いた。
「ノアから?」
「ああ。『恐らく今日、リリアがアウレリア邸で何かやらかすと思いますので、頃合いを見て様子を見に行ってあげてください』とね」
リリアのこめかみが僅かに引き攣った。
「それから、退院祝いの品をいくつか用意して持っていけば、屋敷へ入る口実にもなるだろうと」
それであの大量の荷車か。
リリアはようやく合点がいった。
自分が送った手紙を受け取ってから用意したにしては、あまりにも到着が早すぎるとは思っていたのだ。
「もっとも、君が何をするつもりなのかまでは聞いていなかったよ」
ローゼンクロイツ侯爵は苦笑する。
「ただ、『大人しく帰宅するとは到底思えない』と」
「余計なお世話だ」
リリアは不機嫌そうに吐き捨てた。
「ははは。だが、当たっていたじゃないか」
「…………」
「君から連絡が来た時には驚いたよ。まさか本当に、ノア殿の言った通りになるとは思わなかったからね」
リリアは面白くなさそうに顔を背けた。
確かにノアは、リリアが屋敷で何をするのかまでは知らなかった。
ヴィンセントと使用人たちをどう追い詰めるのかも、ローゼンクロイツ侯爵をどう利用するのかも、すべてリリア自身が考えたことだ。
それでも――。
自分が六年ぶりにあの屋敷へ戻って、何事もなく大人しくしているはずがない。
そこだけは完全に見透かされていたらしい。
「……気に食わない」
ぽつりと零す。
「何がだい?」
「私より私の行動を分かっているような顔をしているところだ」
ローゼンクロイツ侯爵は思わず笑みを深めた。
「それだけ長く、君を見てきたということじゃないかな」
リリアは返事をしなかった。
ただ、否定もしなかった。
◇
翌朝。
宿屋で一夜を明かしたリリアは、ローゼンクロイツ侯爵からの迎えを待ち、アウレリア邸へと戻ることにした。
もっとも、ローゼンクロイツ侯爵本人は同行していない。
『明日は貴殿が来る必要はない。使いの者だけ寄越してくれ』
昨夜、リリア自身がそう頼んでいたからだ。
『何故だい?』
『貴殿が一緒では、屋敷の連中が言いたいことも言えないだろう?』
そう答えたリリアは、それはそれは楽しそうに笑っていた。
『一晩もあれば、私への不満も随分と溜まっているだろうからな』
その時の笑みを思い出したローゼンクロイツ侯爵が何とも言えない表情をしていたことなど、リリアの知ったことではない。
そして現在。
リリアを乗せたローゼンクロイツ商会の馬車が、アウレリア邸の正門前へと到着した。
後方には、昨日運び込めなかった品々を積んだ荷車が数台続いている。
馬車から降りたリリアの姿を見るなり、門番の一人が僅かに顔を強張らせた。
「セ、セレナお嬢様……」
昨日とは明らかに違う反応だった。
もう一人の門番は、リリアが何か言うより先に屋敷へと駆けていく。
恐らくヴィンセントへ報告に向かったのだろう。
リリアはそれを横目で見送り、小さく鼻を鳴らした。
「自分の家に帰るだけで、随分と大層な扱いね」
誰にともなく呟き、そのまま門を潜る。
止める者はいなかった。
玄関前まで来ると、ドアマンがどこか緊張した面持ちで扉を開ける。
リリアは足を止めることなく、そのまま屋敷へと踏み入れた。
「セレナお嬢様」
玄関ホールには、まるで彼女が戻ってくるのを待ち構えていたかのようにグレタが立っていた。
その後ろには数人の使用人たち。
だが――誰一人として頭を下げない。
昨日、ヴィンセントたちが帰宅した時には左右に整列し、一斉に頭を下げて出迎えていたというのに。
グレタは昨日リリアに掴まれた手首を庇うように反対の手で押さえながら、険しい表情を浮かべていた。
リリアはそんな彼女たちを一瞥する。
「…………」
誰も何も言わない。
やがてリリアは、呆れたように小さく息を吐いた。
「この屋敷の主が戻ったというのに――挨拶の一つもないのかしら」
その言葉に、使用人たちの表情が僅かに強張った。
それでも頭を下げる者はいない。
むしろ昨日の一件を思い出したのか、リリアへ向けられる視線には明らかな反感が滲んでいた。
「随分と躾のなっていない使用人たちね」
「……お言葉ですが」
グレタが低い声で口を開いた。
「昨日あれだけの騒ぎを起こしておきながら、よく平然とお戻りになれましたね」
「あら」
リリアの口元がゆっくりと吊り上がった。
待ってましたと言わんばかりの笑みだった。
「続けて?」
「……何ですって?」
「一晩あったもの」
リリアは楽しげに周囲を見渡した。
「私に言いたいことが、たくさんあるのでしょう?」
使用人たちが互いに顔を見合わせる。
その様子を眺めながら、リリアは内心ほくそ笑んだ。
――そう。それでいい。
ローゼンクロイツ侯爵を連れてこなかったのは、このためだ。
権力者の前では口を噤み、陰で好き勝手に囀る者ほど始末が悪い。
ならば。
誰が何を考え、誰がヴィンセントたちに心酔し、誰がセレナを軽んじているのか。
この際、すべて自分から吐き出してもらえばいい。
どうせ――。
この屋敷の大掃除は、まだ始まったばかりなのだから。




