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「何故こんなことをした!」
ヴィンセントは怒りを露わにし、リリアへ怒鳴りつけた。
「今のお部屋は手狭ですので、本来の私の部屋へ戻るだけですわ。何か問題でも?」
リリアは父の怒気を真正面から受け止め、涼しい顔で答える。
「あの部屋は今、エミリアが使っている」
ヴィンセントが低く言う。
リリアは「だから何だ」と言わんばかりに、小さく首を傾げた。
「ええ。ですから、今日から私があのお部屋を使いますので、邪魔な物を片付けていただけですわ」
「お前っ! 反省させるためにあの部屋へ入れたというのに、六年経ってもまだ反省していないというのか!」
ヴィンセントの怒声が響く。
その言葉に、リリアの表情から僅かに笑みが消えた。
「……何を反省しろと仰るのですか?」
静かな声だった。
「リリアを逃がしたことですの? だとしても、六年間も物置部屋へ閉じ込められる理由にはなりませんわ」
冷え切った紅い瞳が、ヴィンセントを真っ直ぐ射抜く。
最初は、リリアを逃がした罰としてセレナを物置部屋へ押し込んだ。
それだけなら、まだ「感情に任せた短絡的な処罰」だったと理解できなくもない。
だが、セレナが元の部屋へ戻されることはなかった。
六年。
あまりにも長すぎる。
ヴィンセントが、自らの意思だけで娘の部屋を奪い続けたとは考えにくい。
恐らく――。
愛人か、あるいはエミリアが「あの部屋を使いたい」と望んだのだろう。
そしてヴィンセントは、それを何の疑問も抱かず受け入れた。
その程度の父親だった。
「本来、あのお部屋は私の部屋です」
リリアはヴィンセントを真っ直ぐ見据えた。
「自分の部屋へ戻ることに、当主でもないお父様の許しが必要だとでも仰るのですか?」
挑発するような口調だった。
「私は当主代理だ。アウレリア家にいる以上、私の命令は絶対だ」
ヴィンセントは言い切る。
その言葉に、リリアは小さく笑った。
「お父様」
その笑みには温度がない。
「そのお考え、とても傲慢だとは思いませんこと?」
ヴィンセントの眉がぴくりと動く。
「叔父様はあくまでも当主。そしてお父様は、その留守を預かる代理に過ぎません」
一歩も引かずに続けた。
「叔父様はいつお戻りになってもおかしくありません。その時、お父様は今のお屋敷をご覧になった叔父様へ、何とご説明なさるおつもりですか?」
リリアは静かに玄関ホールを見渡した。
「愛人と私生児を本邸へ住まわせ、屋敷の使用人を総入れ替えし、それだけでは飽き足らず、誇り高きアウレリア家のバナーまで外されている」
そして再びヴィンセントへ視線を戻す。
「叔父様が、それをお許しになると本気でお思いですか?」
そう口にした瞬間だった。
リリアは何かに思い至ったように目を見開き、そっと口元へ手を添えた。
「……あら」
小さく漏らす。
「そういえば、お父様は叔父様がご出立なさって間もなく行動を起こされましたわよね」
一拍置き、静かにヴィンセントを見つめる。
「まさか……叔父様が行方不明となり、お戻りにならないことをご存じだった……などということは、ございませんわよね?」
玄関ホールが水を打ったように静まり返る。
その仮定が事実なら、すべての辻褄が合う。
当主代理に過ぎないヴィンセントが、ここまで好き勝手に振る舞えた理由。
愛人と私生児を本邸へ住まわせたこと。
使用人を総入れ替えしたこと。
そして、アウレリア家の象徴までも外したこと。
現当主が帰って来るのであれば、到底できることではない。
つまり――。
最初から帰って来ないと分かっていたのではないか。
そんな疑念が自然と浮かぶ。
もちろん、今のリリアに証拠はない。
だが、ヴィンセントの反応を見るには十分だった。
「子供の分際で、憶測でものを言うな!」
ヴィンセントは怒鳴り声を上げる。
「そんなに私を怒らせたいのか!」
「あら」
リリアは少しも怯まない。
「私はただ、お父様の行動があまりにも都合が良すぎるものですから、不思議に思っただけですわ」
首を傾げ、穏やかに続ける。
「それとも、お父様は一族追放も覚悟の上で、愛人と私生児を本邸へ呼び寄せ、束の間の贅沢をさせてあげたかったのですか?」
その声には皮肉しかなかった。
リリアはヴィンセント、愛人、そしてエミリアへ順番に視線を向ける。
その眼差しは、憐れむようでいて、どこまでも冷たい。
まるで告げているようだった。
――どれだけアウレリア家を名乗ろうと、その誇りも、その血統も、お前たちのものになることは決してないと。
「お義姉様! お父様を責めないでくださいませ。わたくしたちは血の繋がった姉妹。家族なのに離れ離れで暮らすなんて、おかしいですわ」
エミリアが悲痛な声を上げた。
「お義姉様がわたくしのお部屋をお望みでしたら、お譲りいたします。わたくしは、お義姉様が今まで使われていたお部屋へ移りますわ」
瞳に涙を浮かべながら微笑む。
「なりません! エミリアお嬢様!」
「そうよ! 貴方が我慢する必要なんてありません!」
グレタと愛人が慌てて止めに入る。
「ですが……それで丸く収まるのでしたら、わたくしは構いません」
エミリアは儚げに微笑んだ。
「わたくしが少し我慢すれば済むことですもの」
事情を知らない者が見れば、どちらが善人かは一目瞭然だった。
「ですから、お義姉様」
エミリアは両手を胸の前で組み、祈るような表情で一歩近付く。
「どうか短慮なお振る舞いはおやめくださいませ。皆様がお困りですわ」
リリアは胸の奥から込み上げる嫌悪感を押し殺していた。
周囲の使用人たちは、エミリアの健気な姿に心を打たれたように頷いている。
――どうでもいい。そんなことは。
エミリアがリリアの目の前で足を止めた、その瞬間だった。
――パシィンッ!!
乾いた音が玄関ホールに響く。
「きゃっ!」
エミリアは勢いよく床へ倒れ込んだ。
「エミリア様!」
フェリクスは抱えていた荷物を放り出し、慌てて駆け寄る。
「大丈夫ですか!」
急いで身体を支え、立ち上がらせた。
「セレナ様!」
フェリクスは怒りを露わにリリアを睨む。
「なんて酷いことを! これほど思いやりのあるエミリア様を叩くなんて!」
しかし。
リリアには、その声は届いていなかった。
「……お義姉様と呼ばないで」
静かな声だった。
「半月も経っていないのに、もう忘れたのかしら」
リリアはエミリアだけを見ていた。
その紅い双眸は大きく見開かれ、凍てつくような殺気を宿している。
その眼差しだけで十分だった。
――次に同じ言葉を口にすれば、今度は済まさない。
そう無言で告げられたエミリアは、思わず息を呑み、その場で身体を強張らせた。
――パァンッ!!
再び乾いた音が玄関ホールに響き渡る。
リリアの顔が再度大きく横へ弾かれた。
ヴィンセントだった。
「妹になんてことをする!」
怒声が屋敷中に響く。
「エミリアに今すぐ謝るんだ!」
リリアは叩かれた頬へゆっくりと手を添えた。
熱を帯びた頬を指先でなぞる。
そして、静かに口を開いた。
「……これで二発目ね」
その声には怒りも悲しみもなかった。
ただ事実を確認するような、淡々とした響き。
「何……?」
ヴィンセントが眉をひそめる。
「何が言いたい!」
問い詰めようとした、その時だった。
バタンッ!
玄関ホールの扉が勢いよく開かれる。
「旦那様!」
門番が息を切らせながら駆け込んできた。
「ご報告いたします! ローゼンクロイツ侯爵様がお見えになられました!」
「ローゼンクロイツ侯爵だと!?」
ヴィンセントの表情が変わる。
「はい! それだけではございません!」
門番は興奮を抑えきれない様子で続けた。
「侯爵家の馬車だけでなく、荷車の一団も伴っております!」
「何だと……!?」
ヴィンセントは目を見開いた。
意識は完全にリリアから離れ、突然の来客へ向く。
玄関ホールにいた使用人たちもざわめき始めた。
ローゼンクロイツ侯爵が、自ら荷車を率いてアウレリア公爵家へやって来るなど、誰も聞いたことがなかった。




