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今度こそ、ようやく一息つける。
リリアは小さく息を吐き、張り詰めていた身体から力を抜いた。
「それにしても、急に血縁鑑定をすると言い出した時には驚いたよ」
ラグナール侯爵は器具を片付けながら苦笑する。
「セレナ嬢本人だと証明するためかと思ったが、そういう狙いではなかったんだな」
「ああ」
リリアは静かに頷いた。
「証明したかったのは、私がセレナだということじゃない」
一度言葉を区切る。
「アウレリア家の正統な血を引く人間だと思い知らせること。それが目的だ」
誰が何を疑おうと構わない。
違和感を抱かれようが、詮索されようが、この身にアウレリア家の正統な血が流れている事実は変わらない。
それだけで十分だった。
「リリアは行方不明……いや、エミリアは辺境のギルドで私を見たという情報を持っていたな」
リリアは腕を組み、小さく鼻を鳴らした。
「だが、目の前の私をリリアだとは思うまい。私に関する情報は、グランヴェル家とローゼンクロイツ家が徹底して操作している」
エミリアがリリアの存在を知ったのは、偶然だった。
アビスは一国の支配も及ばぬ治外法権の地。
まともな貨幣経済が成り立っていないため、リリアは討伐した魔物の素材を換金する際だけ、近隣の辺境ギルドを利用していた。
おそらく、その時だ。
リリアの足取りを追っていた父の部下が、偶然その情報を掴んだのだろう。
だが、それもそこまでだ。
リリアがアビスを拠点としていることも、その後どこへ向かったのかも、奴らは掴めていないはずだった。
「そうだとしても、肝が冷えたぞ! 危ない橋は渡るな! これからは大人しくセレナのふりをしろ!」
ルシアンが声を荒らげる。
しかし、リリアは聞く耳を持たず、ぷいと顔を背けた。
「お前なぁ~~っ!」
今にも掴みかかりそうなルシアンの肩へ、ぽん、と手が置かれる。
ノアだった。
「殿下の言うことも一理ある。でも、彼女を無理やり言うことを聞かせるのは誰にもできないよ」
穏やかな笑みを浮かべたまま、ノアはリリアを見る。
リリアは「よく分かってるじゃないか」と言いたげに小さく頷いた。
「でもね、セレナ嬢の評判に傷が付くとなれば話は別だ」
ノアは笑みを崩さず続ける。
「リリアも、セレナ嬢の名誉を傷付けたいわけじゃないだろう?」
「まあ……」
リリアは渋々頷く。
「言動は誤魔化せても、能力までは誤魔化せない」
「でも、私に魔法は使えないぞ」
何を今さら、と言いたげにノアを見る。
「うん。使えないものを使えるふりをしろとは言わないよ」
ノアは優しく頷く。
「でも、学力なら努力でどうにでもなる」
その瞬間だった。
リリアは大きく目を見開いた。
「嫌だ!」
ノアが最後まで言い切る前に拒絶する。
「リリア。まだ何も言ってないよ?」
「絶対に嫌だ!」
ノアは聞き分けのない子供を見るような目でリリアを見下ろし、小さく溜息をついた。
「じゃあ、学院へ入った後はどうするつもりなんだい?」
その問いに、リリアは言葉を失った。
テストはラグナール侯爵の力で何とかしてもらおう――。
そんな考えが頭を過ったことは事実だ。
だが、それをノアに知られれば間違いなく説教される。
どう切り抜けるべきか思案していると、ノアが優しく笑った。
「まさかとは思うけど、ラグナール侯に不正を頼もうなんて考えてないよね?」
笑顔だった。
だが、目だけはまったく笑っていない。
リリアは観念したように息を吐き、口を開いた。
「私がセレナみたいに学年首席なんて取れるわけないだろ!」
開き直るように叫ぶ。
「魔法は使えないし、勉強だって家を出てから一度もしてないんだ!」
ノアは苦笑すると、ラグナール侯爵へ顔を向けた。
「ラグナール侯。セレスティア魔導学院は、魔法だけで首席になれるわけじゃないですよね?」
「ああ」
ラグナール侯爵は静かに頷く。
「学院は魔法を学ぶ場だが、魔力量や才能には個人差がある。だから力だけを評価基準にはしていない」
一拍置き、続ける。
「むしろ成績へ大きく影響するのは座学だ。魔法理論や歴史、政治、法律……そういった学科を含めて総合成績が決まる」
「聞いたかい、リリア」
ノアが優しく微笑む。
対するリリアは、眉間に皺を刻み、口角を下げて心底嫌そうに顔を歪めていた。
そんな表情は初めて見る。
ルシアンは吹き出しそうになるが、この後の報復を考えると必死に堪えるしかなかった。
「私は……セレナとは違う」
俯いたまま、小さく呟く。
「私はアウレリア家の出来損ないだ」
その一言に、その場の空気が止まった。
リリアが弱音を吐く姿など、誰も見たことがなかった。
「魔法を得意とするアウレリア家に生まれたのに、私が使える魔法は一つだけ」
自嘲気味に笑う。
「それも、自分の身体を強化するだけの魔法だ」
長年胸の奥へ押し込めてきた劣等感。
その一端を、初めて彼女は口にした。
だが、次の瞬間。
勢いよく顔を上げる。
「そして何より!」
病室へ声が響く。
「私はセレナや歴代当主たちと違って、頭を使う勉強がこの世で一番嫌いなんだ!!」
その瞬間、頭の中に豪快な笑い声が響いた。
『ぶはははは! それでこそリリアだ!』
(……やかましい)
龍神の言葉に、リリアは内心で小さく舌打ちした。
「退院まで一週間ある」
ノアは穏やかな口調で言った。
「病室からは出られないんだし、面会時間以外は勉強に充てられるよ」
そう言って微笑む。
「その間は、私がリリアに勉強を教えてあげる」
――次の瞬間だった。
ベッドの上からリリアの姿が消えた。
「……え?」
ルシアンが思わず目を瞬かせる。
カチャ、カチャカチャ――。
扉の方から慌ただしくドアノブを回す音が響いた。
全員がそちらへ視線を向ける。
そこには、いつの間にか扉に張り付くようにドアノブを回しているリリアの姿があった。
誰一人、その移動を目で追えなかった。
まるで最初からそこにいたかのような速さだった。
だが――
「なっ!?」
扉はびくともしない。
ノアはリリアが逃げ出すことを予測し、あらかじめ病室全体へ結界を張っていた。
その様子を見たノアは、深々と溜息をつく。
「可哀想なセレナ嬢」
その一言で、強引に突破しようとしていたリリアの動きがぴたりと止まった。
「君がセレナ嬢に扮したせいで、不正の汚名を着せられ、無能の烙印まで押されるかもしれない」
リリアは唇を強く噛み締めた。
反論できない。
だから代わりに、射抜くような視線をノアへ向ける。
しかし、ノアは意に介することなく続けた。
「みんなが実力で挑む試験で、君だけ不正をするのかい?」
一歩、リリアへ近付く。
「上位を目指して必死に努力している子たちの積み重ねを、踏みにじっても構わないと思っているのかい?」
その表情に、もう笑みはなかった。
優しい兄のような青年ではなく、一人の大人としてリリアへ問い掛けていた。
その言葉は、リリアの胸へ深く突き刺さる。
リリアは静かにドアノブから手を離した。
ゆっくりとノアへ向き直る。
しばらく俯いたまま黙っていたが、小さく息を吐くと、
「……ごめんなさい」
消え入りそうな声で謝った。
リリアが素直に謝る姿に、その場の誰もが目を丸くした。
自分がしようとしていたことが、急にひどく恥ずかしく思えた。
ノアは何一つ間違ったことを言っていない。
間違っていたのは、自分の方だった。
「……セレナのためだ。セレナに汚名なんて着せられない」
リリアは言い訳をするように呟いた。
「うん。いい子だね」
ノアは柔らかく微笑み、歩み寄ってリリアの頭へ手を伸ばす。
だが――
パシッ。
その手は、リリアに容赦なく弾かれた。
「子ども扱いするな」
ぶっきらぼうに言い捨てる。
そして一歩、ノアの前まで歩み寄ると足を止めた。
「……ノア」
少しだけ視線を泳がせる。
「私に勉強を教えてくれ」
罰が悪そうに、小さな声でそう告げた。
ノアは一瞬だけ目を丸くした。
まさかリリアの方から頭を下げて頼んでくるとは思っていなかったのだろう。
やがて目を細め、優しく微笑む。
「もちろん」
その一言を聞くと、リリアは何も言わず大人しくベッドへ戻っていった。




