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「セレナを妻に迎えるだと」


 アルフレッドは低く唸るように呟くと、鋭い眼差しをルシアンへ向けた。


「婚約解消の件は大人たちが勝手に大事へしただけだ。よくある痴話喧嘩のようなものだろう。あの時のセレナも冷静ではなかった。売り言葉に買い言葉で口にしただけのことだ」


 その口振りには、婚約解消という現実を未だ受け入れていないことがありありと表れていた。


「貴方がどう言おうと、セレナとの婚約が白紙になったのは紛れもない事実だ」


 ルシアンは真っ直ぐアルフレッドを見据える。


「俺はこの機会を無駄にはしない」


 一瞬の間を置き、その瞳に揺るぎない決意を宿した。


「そして、心から愛する女性を傷付け、悲しませ、心を閉ざしてしまうまで追い詰めるような愚かな真似は、間違ってもしない」


 二人の視線が激しくぶつかり合う。

 病室の空気が一気に張り詰めた。


「貴様っ! この私に楯突く気か」

「以前の俺なら、貴方は雲の上の存在だった。貴方からセレナを奪うことなど、考えることすらできなかった」


 ルシアンは怒声にも動じることなく、静かに言葉を続ける。


「だが、今は違う」


 その一言に、自信と覚悟が滲む。


「今の俺なら、アルフレッド王子、貴方にも引けは取らない」


 そして、一歩も引かずに言い切った。


「セレナがもし俺を選んでくれるのなら、俺は二度と彼女の手を離さない」


 その眼差しには、一片の迷いもなかった。

 誰もが二人の間に漂う張り詰めた空気へ呑まれ、口を挟めずにいる。

 そんな沈黙を、あっさりと破った者がいた。


「お二人とも。当人を余所に勝手に話を進めないでくださるかしら」


 リリアだった。


「殿下。婚約が白紙になった以上、再び貴方と婚約関係を結ぶつもりはありません」


 リリアは迷いなく言い切った。

 それは、独断ではない。

 事前にセレナの意思を知っていたからだ。

 精霊王は語った。

 常にセレナの傍には精霊を付き添わせ、その精霊を通して事故に遭う直前までの彼女の様子を見守っていたと。

 リリアはその一部始終を聞いている。

 だからこそ確信していた。

 セレナに、アルフレッドとの婚約へ未練も、悔いもないことを。


「それと……ルシアン様」


 リリアはゆっくりとルシアンへ視線を向けた。


「そういったお話は、時と場所を選ぶべきかと」


 ベッドの上から向けられた穏やかな微笑み。

 しかし、その紅い瞳だけは全く笑っていなかった。

 ルシアンは小さく肩を竦め、横目でその視線を受け止める。


 ――本物のセレナがいないからって、何を好き勝手言ってる。


 その眼差しが、雄弁に物語っていた。


 ――セレナは誰にも渡さない。


 ルシアンは口元だけで微かに笑う。


 ――リリアの意見は聞いてない。選ぶのはセレナだ。


 言葉など交わしていない。

 それでも、幼い頃から共に育った二人には互いの考えが手に取るように分かった。

 リリアの眉がぴくりと動く。


 ――セレナは私が幸せにする。殿下は必要ない。


 視線だけで噛み付きそうな勢いだ。

 対するルシアンは涼しい顔のまま、


 ――君は、そろそろ姉離れするべきじゃない?


 とでも言いたげに片眉を上げる。


 ――セレナも、いつまでも君の面倒ばかり見てはいられないよ。


 その瞬間、リリアの額に青筋が浮かんだ。


 ――あんたにだけは言われたくない!


 幼い頃、リリア以上にセレナにべったりだったのはルシアンの方だ。

 どこへ行くにも後を追い掛け、少しでも離れれば泣きそうな顔で探し回る。

 当時の彼は、「腰巾着」だの「金魚のフン」だのと揶揄されるほど、片時もセレナの傍を離れようとはしなかった。


「二人で何を見つめ合っている!」


 無言で視線を交わす二人に、アルフレッドは堪えきれず声を荒らげた。

 見つめ合っているようにしか見えない。

 その裏で、互いに一歩も譲らぬ火花を散らしているなど知る由もなかった。


「お義姉様。殿下の前で不貞を働くなんて……アル様がお可哀想ですわ」


 エミリアは悲しげに眉を下げると、アルフレッドの腕へそっと手を添え、身を寄せた。

 その光景を見ても、誰一人として咎めようとはしない。

 リリアはそこで悟る。

 セレナとアルフレッドがまだ婚約していた頃から、この距離感が当たり前だったのだと。

 だが、もう婚約は白紙だ。

 アルフレッドが誰に肩を寄せられようと、リリアにはどうでもよかった。


 ――だが、一つだけ。


「お義姉様と呼ばないで」


 静かな一言が、病室の空気を凍らせる。

 リリアの紅い瞳が、真っ直ぐエミリアを射抜いた。


「エミリア・ローゼン」


 感情を押し殺した声が響く。


「二度と、私を『お義姉様』と呼ばないで頂戴」


 一語一句、突き放すように言い切る。

 父を奪った女の娘。

 セレナから家族を奪い、居場所を奪い、果ては彼女を貶めた女。

 そんな者が、平然と「姉」と呼ぶ資格などない。

 胸の奥から噴き上がる憎悪を理性で押さえ込む。

 それでも、エミリアへ向けられた眼差しだけは、冬の氷よりもなお冷え切っていた。


「なんてことを言うんだ!?」

「セレナ様。いくら何でも、その発言はあんまりです」


 レオンハルトとフェリクスが声を上げた。


「エミリア嬢は君の義妹だろう」

「そんなに心が狭い人だったなんて……」


 ユリウスとカインも続く。

 その言葉に、リリアは小さく失笑した。


「愛人の娘が義妹ですって?」


 鼻で笑うように言い放つ。


「たとえ半分同じ血が流れていようと、アウレリア家とは何の関係もない赤の他人よ」


 父は婿養子。

 その愛人が公爵夫人を名乗ろうと、その娘が公爵令嬢を名乗ろうと、本来なら何一つ資格などない。

 エミリアがアウレリア公爵家の令嬢として振る舞えていたのは、セレナが黙認していたからに過ぎない。

 それすら理解せず、彼らは正統な血を引くセレナを蔑ろにし、血縁ですらないエミリアを持ち上げ続けてきた。

 リリアは、そんな者たちがアウレリアの恩恵を受け続けることなど、決して許すつもりはなかった。


「ひっ……酷いですわ」


 エミリアは目に涙を溜め、今にも倒れそうによろめく。


「どうして、そんな酷いことを仰るのですか……」


 その身体を、アルフレッドが咄嗟に支えた。


「大丈夫か、エミリア」

「いいえ……お義姉様が、本心ではあんな風に思っていらしたなんて……わたくし、とても悲しいですわ」


 エミリアはアルフレッドへ縋り付き、堰を切ったように涙を零した。


「セレナ! 今の発言は言い過ぎだ! エミリアに謝るんだ!」


 アルフレッドが険しい表情で怒鳴る。


「大きな声を出さないで!」


 リリアは肩をびくりと震わせ、胸元へ手を当てた。


「びっくりするじゃない……」


 弱々しく息を吐き、苦しそうに表情を歪める。


「目が覚めたばかりなの。いきなりこんな大人数で押しかけられて……少し苦しいわ」


 その芝居に気付いたルシアンは、何事もなかったかのように歩み寄る。


「セレナ……大丈夫かい?」


 優しく肩へ手を添え、背中へ枕を差し込んで身体を支えた。


「まだ本調子じゃないんだ。無理をせず休んだ方がいい」

「お前……!?」


 アルフレッドは怒りをぶつける相手を見失い、唇を震わせることしかできない。


「何だか……いつものセレナ嬢とは様子が違いますね」


 ユリウスが眉をひそめた。

 その違和感は、この場にいる誰もが感じていた。


「確かに……セレナ様らしくない言動ばかりです」


 フェリクスも静かに頷く。


「僕たちの前で、あそこまで露骨にエミリアを拒絶したことなんて一度もなかった……」


 カインも困惑を隠せない。


「それがどうした!」


 レオンハルトだけは声を荒げた。


「彼女がエミリア嬢を傷付けたことに変わりはない!」


 その言葉を聞いた瞬間、アルフレッドの中で一つの考えが結び付く。

 彼はエミリアを庇うように肩を抱き寄せると、リリアを真っ直ぐ指差した。


「分かったぞ!」


 確信したように声を張り上げる。


「お前……本当はセレナではないな!?」


 病室が静まり返る。

 リリアはゆっくりと俯いた。

 前髪が表情を隠す。

 そして誰にも見えないよう、唇だけが僅かに吊り上がった。

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