20
「リリア嬢だね」
背後から穏やかな声が掛けられた。
リリアは静かに振り返る。
そこに立っていたのは、一人の壮年の男性だった。
端正に整えられた灰色の髪に、歳月を感じさせる落ち着いた眼差し。
どことなくアルヴィンによく似ている。
(……どこかで会ったことがある)
記憶の奥底を探るが、すぐには思い出せない。
そんなリリアの様子を察したのか、男は穏やかに微笑んだ。
「お会いしたのは、君たちのお母君が亡くなられた折だ。まだ幼かったから、覚えていないのも無理はない」
責めるような色は微塵もない。
むしろ、懐かしむような口調だった。
男は胸に手を当て、静かに一礼する。
「ラグナール侯爵家当主、オズワルド・ラグナールだ」
その名を聞いた瞬間、幼い頃の記憶が蘇る。
母の葬儀で見かけた男。
母と親交の深かったラグナール侯爵、その人だった。
「セレナ嬢を救出してすぐ、グランヴェル辺境伯には君たちへの伝令を頼んだ。昨夜、王都を発ったはずだが……」
ラグナール侯爵はそこで言葉を切り、静かにノアへ視線を向ける。
「……君が傍にいたのか」
ノアは否定も肯定もせず、静かに一礼した。
「精霊王から『彼らが王都へ向かう。迎えを寄越せ』との神託を受けた時は驚いた。しかし、君が同行していると知れば納得だ」
「精霊王……」
リリアは小さく呟く。
「ああ、そうだったな。ラグナール家は精霊王の恩恵を受ける一族だったか」
「ええ」
オズワルドは静かに頷いた。
「その御恩恵があったからこそ、セレナ嬢の異変にも誰より早く気付くことができた」
精霊王は、セレナの契約神である。
一方、リリアが契約を交わしたのは龍神。
アウレリア家は古来より、精霊王、あるいは龍神と契約を結ぶ資格を持つ神契の一族として知られていた。
しかし、契約できるのはアウレリア家だけではない。
完全な契約には至らずとも、その神々の加護――恩恵を受け継ぐ家系が存在する。
それが、ラグナール家とグランヴェル家だった。
魔法を極めるラグナール家は、精霊王の恩恵を受け継ぐ神眷一族。
武を極めるグランヴェル家は、戦神とも称される龍神の恩恵を受け継ぐ神眷一族である。
そして、もう一つ。
建国以来、アウレリア家を最も近くで支え続けてきたのが、ローゼンクロイツ侯爵家だった。
神の恩恵こそ持たない。
だが、代々アウレリア家を守り、その血筋を見届けることを使命としてきた一族。
言うなれば――アウレリア家の守人である。
「……ラグナール侯爵」
リリアが静かに呼びかけた。
「私が精霊王から聞いたのは、セレナが事故に遭い、意識不明の重体であること。そして、貴方たちに匿われているということだけだ」
真っ直ぐにラグナール侯爵を見据える。
「何があったのか。その経緯と真相を話してくれ。それと、公爵家……いや、アウレリアの血を疎んでいる者を教えてほしい」
その言葉に、ラグナール侯爵は僅かに目を見開いた。
セレナの容態を聞いた直後だというのに、感情に流されることなく状況を整理し、既に事件の背景へと思考を巡らせている。
(……なんと頭の回転が早い子だ)
ラグナール侯爵は静かに双眸を細めた。
「隣に話ができる部屋を用意してある。そこで話そう」
そう言いかけたところで、ふとリリアの姿へ目を向ける。
「それと、ここはラグナール家の者しか知らぬ秘匿区画だ。変装は解いても問題ない」
その言葉を聞くと、リリアはノアから預かっていた解毒薬を取り出し、一息に飲み干した。
続けて口布を外す。
次の瞬間、赤く染められていた髪が頭頂部からゆっくりと本来の銀色へと戻り始めた。
淡い銀髪が肩へ流れ落ち、その素顔が露わになる。
ラグナール侯爵とアルヴィンは思わず息を呑んだ。
目の前に立っていたのは、まるでセレナをそのまま映したかのような少女だった。
「……やはり、姉妹だな」
オズワルドは感慨深げに呟く。
纏う空気も、表情も、性格も違う。
それでも、その瞳の強さと揺るぎない意志は、不思議なほどセレナと重なって見えた。
二人が紛れもなく血を分けた姉妹であることを、改めて実感させられる。
一行は隣室へ移動した。
室内には重厚なテーブルを囲むようにソファが配置されている。
それぞれ席に着くと、ラグナール侯爵がゆっくりとルシアンへ視線を向けた。
「まず、話を始める前に……彼が誰なのか聞いてもいいかな」
ルシアンが自己紹介しようと口を開く。
しかし、その前にノアが口を開いた。
「来期よりセレスティア魔導学院へ留学予定の方です」
その一言に、ラグナール侯爵の目が僅かに見開かれる。
「……貴方が、ヴァルハイン帝国の第八皇子でしたか」
「俺はセレナに会うためだけにアルヴェリア王国へ来た。俺も話を聞きたい」
ルシアンの言葉に、ラグナール侯爵は静かにリリアへ視線を向けた。
この場で真相を聞くことを許すかどうか。
決める権利はリリアにある。
「構わない。話してくれ」
リリアが即答すると、ラグナール侯爵は静かに頷いた。
「……わかった」
そうして、事件の経緯を語り始める。
事が起きたのは、学院の創立記念大舞踏会の日。
舞踏会からの帰路、セレナの乗った馬車が爆散したこと。
現場へ駆け付けた時には、馬車は跡形もなく吹き飛び、セレナは全身を血に染めて倒れていたこと。
幸い一命は取り留めたものの、今なお意識は戻らない。
ラグナール侯爵は一通り説明すると、そこで言葉を切った。
「犯人にはある程度、目星はついている。だが、決定的な証拠がない」
「その犯人候補として名が挙がっているのは誰だ?」
リリアの問いに、ラグナール侯爵は一瞬だけ視線を伏せた。
そして、重々しく口を開く。
「……アウレリア公爵だ」
部屋に沈黙が落ちる。
父の名を聞けば、動揺するかもしれない。
そう思っていた。
しかし――。
リリアは、小さく笑った。
「……とうとう実の娘の暗殺にまで手を染めたか」
その笑みには悲しみも、驚きもなかった。
あるのは、冷え切った諦観だけ。
家族へ向ける情など、一欠片も残っていない。
「……驚かないのだな」
ラグナール侯爵は静かに尋ねた。
「奴は、愛人とその娘を公爵家へ招き入れた日から父親ではない」
リリアの声は淡々としていた。
「公爵家を乗っ取ろうとする、ただの簒奪者だ」
言い切るその姿に、一切の迷いはない。
リリアにとって家族とは、母とセレナだけだった。
それ以外は、どうでもいい。
血の繋がりなど、それだけで守る理由にはならない。
――大切な者を傷つける者は、誰であろうと敵。
それが、リリアの揺るがぬ答えだった。
「そういえば」
リリアは街での出来事を思い出した。
「先ほど街で、セレナの従者だったフェリクスと、アウレリア公爵の私生児を見かけた」
ラグナール侯爵は黙って耳を傾ける。
「奴らはセレナの現状を知らないのか? それとも、知った上で悠々と買い物をしていたのか」
それがずっと引っ掛かっていた。
セレナは意識不明の重体。
屋敷にも戻っていない。
それにもかかわらず、二人には彼女を気に掛ける様子が微塵もなかった。
「情報は魔法局で止めている」
答えたのはラグナール侯爵だった。
「公表しているのは『セレナ嬢は行方不明』という情報だけだ」
彼は静かに続ける。
「もっとも、彼らにまで情報が届いていないとなれば、公爵自身が屋敷内の情報を止めているのだろう」
リリアは静かに目を伏せる。
父は、セレナを亡き者にしようとした疑いがある。
だからこそ、「行方不明」という曖昧な情報だけを流した。
生死を伏せれば、犯人は油断する。
一方で、ラグナール侯爵もまた、その状況を利用した。
あえて情報を秘匿し、犯人の動きを探るための罠を張ったのだ。
その結果、最も疑わしい人物として浮かび上がったのが――アウレリア公爵だった。
現当主である叔父は長年行方不明。
リリアもまた六年前に失踪したことになっている。
公爵家の正統な血筋として表に残っていたのは、セレナただ一人。
野心に取り憑かれた父が、公爵家を手中に収めるためセレナを排除しようとしたとしても、不思議ではなかった。




