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リリアと別れてから六年の歳月が流れた。
十六歳となったセレナ・フォン・アウレリアは、アルヴェリア王国最高峰の教育機関であるセレスティア魔導学院に在籍していた。
王族、五大公爵家、上級貴族の子弟が集う名門校。
全寮制を採用しており、生徒たちは長期休暇以外の帰宅を許されない。
本来であれば、入学には王国でも最難関と呼ばれる試験を突破する必要がある。
しかし近年、その選抜基準には疑問の声も上がっていた。
実力ではなく、後ろ盾によって入学したのではないか。
そう噂される生徒が少なからず存在していたからだ。
その最たる例が義妹だった。
「セレナ! 待つんだ!」
放課後の廊下に鋭い声が響く。
聞き慣れた声だった。
セレナは小さく息を吐き、足を止める。さらりと艶やかな銀髪を揺らしながら、静かに振り返った。
「何かご用でしょうか。アルフレッド殿下」
感情を表に出さないまま問い掛ける。
目の前に立つのは、輝く金髪と深い蒼眼を持つ端正な青少年――アルフレッド・ルクセンベルク。アルヴェリア王国第一王子にして、セレナの婚約者。その気品ある佇まいは、まさに王族そのものだった。
彼の後ろには見慣れた顔ぶれが並んでいた。
騎士団長の息子であり、『剣の天才』と称されるレオンハルト・ヴァイス。
宰相の息子にして、学年主席をセレナと争う秀才ユリウス・グランツ。
冷静沈着な魔導名門エルドレッド家の次男、カイン・エルドレッド。
そして最後に。
本来ならセレナの専属従者であるフェリクスも、その場にいた。
彼等は皆、幼少期からの幼馴染でもあった。
「君はまた、エミリアに酷いことを言ったそうだな!」
「彼女があんたに言われた言葉に傷付いて泣いていたぞ」
「エミリア嬢は貴方の妹ではないのですか」
「可哀想なエミリア嬢……」
「セレナ様はエミリア様を誤解しておられます」
彼らは口々に非難を浴びせる。
しかし、その誰一人として事情を確認しようとはしなかった。
「何を仰っておられるのか、皆目見当もつきません」
セレナは表情一つ変えることなく答えた。
「まだシラを切るつもりか!」
アルフレッドが苛立ちを露わにする。
「今回の期末試験で総合首席を取ったからといって、調子に乗っているのではないか!」
「わたくしが、いつそのような態度を取りましたでしょうか」
静かな問い掛けにアルフレッドは一瞬言葉を詰まらせた。
だがすぐに声を荒げる。
「エミリアに、公爵家に相応しくないだの、馬鹿は公爵家に必要ないだのと言ったそうじゃないか!」
「申し訳ございませんが、そのような発言をした覚えはございません」
「では、エミリアが嘘をついていると言うのか!」
「わたくしが申し上げているのは、そのような発言をした事実はないということだけです」
セレナは淡々と答える。
「言葉遊びをするな!」
アルフレッドが声を荒げた。
セレナは小さく息を吐く。
話し合いにならない。
最初から彼らの中では結論が決まっているのだ。
ただ、自分を断罪したいだけなのだろう。
そう思うと、軽い頭痛すら覚えた。
「このっ! まだ認めぬのか!」
苛立ちを露わにしたアルフレッドは、乱暴にセレナの手首を掴んだ。
「もういい! 問答は無用だ。今すぐエミリアの前に跪いて謝れば許してやる」
「何を――っ!? 離してください!」
セレナは顔を顰め、身を捩って抵抗した。
だがアルフレッドは手を離そうとしない。
「お前たち、セレナを連れていくぞ」
その命令にレオンハルトとフェリクスが前へ出た。
二人は逃げ道を塞ぐようにセレナの両脇へ立つ。
「フェリクス! お前、自分が何をしているのか分かっているの!? 主人に対してこのような真似を――」
「私が許可する」
セレナの言葉を遮るようにアルフレッドが言い放った。
「殿下……」
セレナは信じられないものを見るような目を向けた。
フェリクスは本来、自分に仕える従者だ。
その主人の意思を無視して拘束するなど、本来であれば許される行為ではない。
しかし誰一人として止めようとはしなかった。
そしてセレナは半ば連行されるようにして、エミリアが待つ教室へと連れて行かれた。
教室の扉が開かれる。
「エミリア! 君に謝らせるためにセレナを連れてきたぞ!」
アルフレッドは堂々と声を張り上げた。
まるで周囲へ聞かせることが目的であるかのように。
案の定、教室に残っていた生徒たちの視線が一斉に集まる。
「何だ?」
「セレナ様じゃないか」
「殿下たちに囲まれているぞ」
ざわざわと教室内が騒がしくなった。
「アル様……」
エミリアは驚いたように目を見開いた。
そしてアルフレッドへ駆け寄ると、縋るようにその腕へ身を寄せる。
「そんな……わたくしのために……」
瞳に涙を浮かべながら首を横に振った。
「それに、お義姉様が仰ることも尤もなのです。わたくしは出来の悪い娘ですし、公爵家に相応しくないのかもしれませんもの……」
教室のあちこちから同情の声が上がる。
「いくら姉妹だからといって、妹を見下していい道理はない」
アルフレッドが厳しい視線をセレナへ向ける。
「そうだぞ。エミリア嬢は優しすぎる」
レオンハルトも腕を組みながら頷いた。
「セレナ嬢の発言はあまりにも酷い。放置するのは本人のためにも良くない。反省させるべきだ」
ユリウスが冷静な口調で言う。
「エミリア嬢。君が悲しむ姿は見たくない」
カインも静かに続けた。
そして最後に。
「セレナ様のエミリア様に対する言動は、従者である私から見ても目に余るものでした」
フェリクスが淡々と言い放つ。
その言葉に教室内のざわめきはさらに大きくなった。
主人に仕える従者の証言。
それは周囲の生徒たちにとって何よりも信憑性のあるものに聞こえたのだ。
だが――。
セレナだけは知っていた。
この場にいる誰一人として、真実を知ろうとしていないことを。
「さあ、早くエミリアに跪いて謝るんだ」
「わたくしは謝らなければならないようなことは何一つしておりません」
アルフレッドの糾弾にも、セレナは決して屈しなかった。
「まだそのような嘘を言うのか!」
「アウレリアの名にかけて申し上げます。わたくしは公爵家の名を汚すような行いは一切しておりません」
堂々と告げる。
味方は誰一人としていない。
それでもセレナは背筋を伸ばし、公爵令嬢としての誇りを失わなかった。
「お義姉様……」
エミリアは悲しげに目を伏せた。
「公爵家の名まで持ち出して、わたくしを陥れようとなさるのですか……」
その瞳から大粒の涙が零れ落ちる。
「わたくしも、公爵家の名にかけて嘘など申しておりませんわ」
その言葉を聞いた瞬間だった。
セレナの表情が初めて崩れる。
ギリッと奥歯を噛み締める音が自分でも聞こえた気がした。
鋭い視線がエミリアへ向けられる。
それは怒りというよりも、到底許容できないものを前にした反応だった。
「ひっ……」
エミリアが怯えたように肩を震わせる。
そして逃げるようにアルフレッドの背へ身を寄せた。
「アル様……」
「大丈夫だ。私がいる」
アルフレッドはエミリアを庇うように前へ出た。
「妹を睨みつけるとは、なんと野蛮な!」
怒気を孕んだ声が教室に響く。
「お前たち、セレナを跪かせろ!」
「承知」
レオンハルトが即座に動く。
フェリクスも無言のまま従った。
「やめなさい!」
セレナは抵抗する。
しかし男性二人に押さえ付けられては敵わない。
肩を掴まれ、背中を押される。
次の瞬間。
セレナの膝が床へ叩きつけられた。
教室中が息を呑む。
公爵令嬢であり、王太子妃候補でもある少女が、衆人環視の中で無理やり跪かされたのだから。
「さあ、早く頭を垂れるんだ」
「嫌っ……! 離しなさい!」
セレナは必死に抵抗した。
しかしレオンハルトとフェリクスの力には敵わない。
肩を押さえつけられ、頭を無理やり下げさせられる。
屈辱だった。
これまで積み上げてきた誇りも尊厳も踏みにじられるような気がした。
どれほどの時間だっただろうか。
実際には一分にも満たなかったかもしれない。
だがセレナには永遠にも感じられた。
やがて拘束が解かれる。
ゆっくりと顔を上げた。
その瞳には涙が滲んでいた。
悔しさと屈辱による涙だった。
しかし周囲の者たちは違う意味に受け取ったらしい。
「やっと反省したか」
「最初からそうしていればよかったんだ」
「無駄な意地を張るからこうなる」
嘲笑混じりの声が飛ぶ。
誰も真実を見ようとはしない。
セレナは震える指を握り締めた。
「……このようなことをして、無事で済むと思わないことです」
静かな声だった。
怒鳴りも叫びもしない。
だからこそ、その言葉には不思議な重みがあった。
一瞬だけ教室の空気が張り詰める。
だが次の瞬間。
アルフレッドが鼻で笑った。
「この国の第一王子である私が報いを受けると?」
教室のあちこちから笑い声が漏れる。
「報いを受けるのは妹を虐げる君の方だろう」
セレナは何も言い返さなかった。
もはや言葉を尽くす意味もない。
静かに立ち上がる。
そして彼らを一瞥すると、そのまま教室を後にした。
背後ではまだ嘲笑が続いている。
歩くたびに膝へ鋭い痛みが走った。
床へ押し付けられた際に擦ったのだろう。
けれど、それ以上に痛んでいたのは膝ではなかった。
信じていた人々に踏みにじられた心の方だった。




