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公爵令嬢ではありません~悪辣令嬢は国を滅ぼす~  作者: 茗裡
第一章 はじまりのカタストロフ
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「セレナ、こんな家一緒に出ましょう」

「わたくしたちはまだ子供よ、リリア。それに、行くあてもないわ」

「こんな家にいるよりずっとましよ! 私とセレナの二人なら、きっとなんだってできるわ!」


 名門アウレリア公爵家の一室。

 リリア・フォン・アウレリアは声を潜めながらも、強い意志を宿した瞳で双子の姉セレナを見つめていた。

 扉の向こうに誰かがいるのではないかと警戒しながらも、今しかないと思っていた。


「わたくしは……残るわ」


 静かな返答に、リリアは息を呑んだ。


「セレナッ!」


 思わず声が大きくなり、慌てて口元を押さえる。


「お父様は、当主である叔父様が外交のため国外へ出ているのをいいことに好き勝手しているのよ! お母様が亡くなってからというもの、叔父様が出立した途端に愛人とその娘を呼び寄せて……まるで自分がこの家の主人であるかのように振る舞っているじゃない!」


 悔しさに唇を噛み締める。


 少し前までは、こんな家ではなかった。

 母が生きていた頃、女主人として公爵家を切り盛りしていたのは母だった。


 婿養子である父は領地経営を任され、母を支えていた。

 母の病状が悪化すると、父は領地から王都の公爵邸へ戻ってきた。

 双子を慰め、病床の妻に寄り添う姿は献身的そのものだった。

 だからこそ、誰も疑わなかった。


 ――それが仮面だったなどと。


 母が亡くなった後、公爵家当主の座は母の弟である叔父へと引き継がれた。

 しかし叔父は王命による外交任務を抱えており、当主就任から間もなく国外へ出立することになる。

 叔父は信頼していた義兄である父に屋敷の管理を任せた。


 そして父は、叔父が王都を離れるのを待っていたかのように動いた。

 領地で囲っていた愛人と、その娘を公爵邸へ迎え入れたのだ。

 しかも娘はリリアたちと同じ歳。


 父が母を裏切っていた年月の長さを示すには十分だった。

 使用人たちも父に逆らえない。

 屋敷は少しずつ姿を変え、今では息苦しさすら感じる場所になっていた。


「叔父様が戻られるまでの辛抱よ」

「でも、叔父様はいつ戻られるか分からなくなってしまったわ!」


 リリアは拳を強く握った。


 現当主である叔父は、外交任務のため三年前に国外へ赴いた。

 本来であれば、双子が十歳を迎える頃には帰国するはずだった。

 しかし任務の最中、新たな勅命が下された。


 それは危険を伴う長期任務であり、帰国の目処すら立たないものだった。


 半年なのか、一年なのか。

 それとも、二度と戻れないのか。


 誰にも分からない。


「いつまで待てばいいの?」


 リリアの声が震える。


「一年? 二年? それとも十年?」


 拳を強く握り締める。


「その間ずっと、あの人たちの好きにされろって言うの?」


 セレナは何も答えられず、悲しげに目を伏せた。


「お義母様も義妹も……今まで苦労してきたのでしょう? わたくしたちだけが不幸なわけではないわ」

「お義母様なんて呼ばないで!」


 リリアは堪えきれず叫んだ。


「私たちのお母様は一人だけよ!」


 瞳に涙を滲ませながら、震える声で続ける。


「それに、私たちに妹なんていないわ。姉妹は私とセレナだけよ!」


 亡き母との思い出を、あの女たちに塗り潰されたくない。


 リリアにとって、それだけは決して譲れないものだった。

 一方のセレナは、そんな妹を見つめながら胸を痛めていた。


 リリアが怒るのも無理はない。


 けれど、だからこそ自分まで憎しみに飲まれてはいけないと思っていた。


「リリア……」


 セレナがそっと名を呼ぶ。

 しかし、その優しい声音が今のリリアには何よりも歯がゆかった。


「貴方は自由が似合うわ。それはきっと、お母様も願っていたこと」

「なら、セレナ。あなたも――」


 言い終える前に、セレナは静かに首を横へ振ってリリアの手を両手で包み込む。


「わたくしは、この屋敷を離れたくないの」


 その声は穏やかだった。

 けれど、その瞳の奥には拭いきれない寂しさが滲んでいる。


「お母様が愛した家だから」


 ふっと微笑む。

 それはどこか泣きそうな笑顔だった。


「生まれた時からずっと一緒だった貴方と離れるのは寂しいわ」


 セレナは指先に少しだけ力を込めた。


「でも、貴方には何者にも囚われてほしくない」


 決意を秘めた瞳がリリアを真っ直ぐ見つめる。


「だから行って。リリアはお母様の意思を継いで」


 一拍置き、静かに続けた。


「わたくしは、お母様が守ろうとしたものを守るわ」


 その瞬間。

 リリアの足元に複雑な紋様を描いた魔法陣が出現した。

 淡い光が床一面へ広がる。


「なっ――!」


 同時に屋敷中へ警報が鳴り響いた。


「これは転移魔法陣!? セレナ、何を――!」


 リリアが叫ぶ。

 しかしセレナは微笑んだままだった。

 頬を伝う涙だけが、その本心を語っている。


「リリア。どうか体には気を付けて」


 光はさらに強さを増していく。


「そして、この家には二度と戻ってきては駄目」

「嫌よ!」

「貴方にとって、この世界は狭すぎるわ」


 震える声で、それでもセレナは言葉を紡ぐ。


「だから、わたくしの分まで自由に生きて」


 涙が零れ落ちる。


「わたくしのリリア」


 愛おしそうに名を呼ぶ。


「唯一の姉妹にして、わたくしの半身」


 そっと手を伸ばし、消えゆく妹の頬に触れる。


「願いは一つだけ」


 そして額へ優しく口付けた。


「絶対に幸せになってね」


 最後に力強く抱き締める。

 まるで二度と離したくないかのように。

 だが次の瞬間には、自らその腕を解いた。


「さようなら」

「セレナ!」


 リリアは必死に手を伸ばした。


「セレナ! 行くなら貴方も一緒よ!」


 しかし届かない。


 転移はすでに始まっていた。

 光に拘束されたように身体が動かない。


「セレナぁぁぁぁっ!!」


 その時だった。

 勢いよく扉が開かれる。

 屋敷の護衛兵たちが雪崩れ込むように室内へ突入した。

 その後ろには父の姿もある。


「そこまでだ!」


 怒号が響く。

 だがセレナは一歩前へ出た。

 まるでリリアを守る盾となるように。


 父の表情が怒りに歪む。


「貴様ッ!」


 乾いた音が室内に響いた。

 容赦なく振り抜かれた手がセレナの頬を打つ。

 華奢な身体が床へ倒れ込んだ。


「セレナッ!!」


 リリアの絶叫が響く。

 けれど、もう届かない。

 光が視界を埋め尽くしていく。


 床に倒れたまま、それでもセレナは顔を上げた。

 そして最後まで微笑んでいた。


 その姿を最後に――リリアの意識は白い光に飲み込まれた。

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