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「さて。まだ続けるつもりか?」


 リリアは腕を組み、余裕の笑みを浮かべる。


「公爵家の評判を落としたいのなら、いくらでも付き合ってやる」


 民衆の空気は完全にリリアへ傾いていた。

 これ以上騒ぎを長引かせても、公爵家の名に泥を塗るだけだ。

 エミリアは悔しそうに唇を噛んだ。

 だが、次の瞬間――その口元に笑みが浮かぶ。


「あの子の代わりに跪いて謝罪するのなら、今回のことは水に流して差し上げますわ」


 どれだけ民衆が味方をしようと、自分は公爵家の娘。

 庶民が何人集まろうと、大貴族には逆らえない。

 その現実を思い知らせてやる。

 そんな優越感が、エミリアの瞳に宿っていた。


「……ただの公爵家風情が、私に謝罪を求めるだと?」

「貴方、何様のつもりですの!?」


 エミリアは眉を吊り上げる。


「五大公爵家は王家に次ぐ権力を持つ名門ですわ! これだから田舎娘は嫌ですの」


 汚らわしいものでも見るような目でリリアを見下した。


「フェリクス」


 エミリアは顎をしゃくった。


「わたくしは早く帰って着替えたいですわ。ですが、その前にこの者へ礼儀を教えなければ、公爵家の威厳が損なわれます」

「……承知いたしました」


 フェリクスは一歩前へ出る。


「失礼します」


 拘束するつもりで、リリアの腕へ手を伸ばした。


「汚らわしい手で、私に触れるな」


 その瞬間だった。

 リリアは伸びてきた手首を難なく掴む。


「っ!?」


 フェリクスが反応するより早く、その腕を軽く捻った。

 ただ、それだけ。


「ぐっ……!」


 鋭い痛みが腕から肩へ走り、フェリクスの表情が苦悶に歪む。

 抵抗しようと力を込めても、まるで鉄に挟まれたように腕はびくともしない。

 やがて片膝をつき、さらにもう片方の膝も地面へ落ちた。

 膝をついたのは――フェリクスの方だった。


「なっ……フェリクス!」


 エミリアが目を見開く。


「離せ……!」


 フェリクスは歯を食いしばる。

 しかし、リリアは片腕だけで彼を抑え込んでいた。


「どうやら」


 その時だった。

 穏やかな声が人垣の向こうから響く。


「相手が悪かったようですね」


 人々が左右へ道を開ける。

 そこを、微笑を浮かべたノアがゆっくりと歩いてきた。


「彼女は確かに田舎育ちの野蛮人だ」

「……」


 突然の悪口に、リリアはじとっとした視線をノアへ送る。

 ノアは苦笑を浮かべながら肩を竦めた。


「ですが」


 その笑みはすぐに消える。


「冒険者としての彼女は別格です」


 一拍置き、静かに告げる。


「Sランクをも超え、世界に数人しか存在しない――EXランク冒険者」


 ノアは穏やかな笑みを浮かべたまま続ける。


「《災厄の龍姫》という名を、一度は耳にしたことがありませんか?」


 その名が口にされた瞬間。

 広場の空気が一変した。


「ま、まさか……」

「《災厄の龍姫》だと……?」


 ざわめきが人々の間を駆け巡る。


「王侯貴族であろうと、軽々しく手を出していい相手ではありません」


 ノアが静かに告げると、広場は水を打ったように静まり返った。

 フェリクスは腕を極められたまま目を見開く。


「そんな……!」


 思わず声を漏らす。


「彼女は王家からの招聘すら断り続けている人物だ。活動範囲もグランヴェル領とアビス周辺のみ……王都へ来たことなど一度も――」

「王都へ来たことがないから、一生来ないとでも思っていたのか?」


 リリアの冷たい声が遮った。

 向けられる紅い瞳。

 張り詰めた空気。

 そこに立っているだけで、その場の誰もが息を呑む。

 歴戦の騎士とも、名だたる冒険者とも違う。

 積み重ねてきた修羅場だけが生み出せる、圧倒的な威厳だった。


「だから何だと言いますの?」


 それでもエミリアは強気な笑みを崩さない。

 胸へ手を当て、自信満々に言い放つ。


「わたくしは第一王子アルフレッド殿下と親しい仲ですわ。王家に逆らえる者など、この国にはおりません」


 リリアは鼻で笑った。


「王家?」


 その一言に嘲りが滲む。


「私に対抗する後ろ盾として王家を持ち出すとは、随分と小さな話だ」


 フェリクスの腕を掴んだまま、一歩踏み出す。


「私と肩を並べたいのなら――」


 静かに告げる。


「建国の盟約を交わした四家の当主を連れて来い」


 一拍置く。


「あるいは、ヴァルハイン帝国皇帝だ」


 紅い瞳がエミリアを射抜く。


「その程度でなければ、私と釣り合うことすらない」


 聡い者ほど、リリアの言葉が虚勢ではないと悟っていた。

 フェリクスは片腕だけで押さえ込まれたまま動けない。

 王家の名を持ち出しても、目の前の女は眉一つ動かさなかった。

 エミリアは唇を噛む。

 何とか言い返そうと頭を巡らせるが、打開策は一つも思い浮かばない。


 その時だった。

 ノアがゆっくりとエミリアの前へ歩み寄る。

 そして、誰にも聞こえないよう耳元へ顔を寄せた。


「まだ続けるおつもりですか?」


 穏やかな笑みを浮かべたまま囁く。


「これ以上は、恥の上塗りですよ。こちらには、まだ貴女方を黙らせる手札があります」


 その微笑みは崩れない。


「……尻尾を巻いて退くのが賢明でしょう」


 そう告げると、ノアは何事もなかったかのように一歩下がった。

 リリアはその様子を横目で見て、小さく息を吐く。


(また余計なことを吹き込んだな)


 ノアは穏やかな笑みを絶やさない。

 だが、その笑顔の裏が腹黒いことを、リリアは誰よりもよく知っていた。

 案の定。

 先ほどまで強気だったエミリアの顔色が変わる。

 悔しさと屈辱。

 そして、それ以上に拭い切れない恐怖が、その瞳に浮かんでいた。


「……ふん!」


 エミリアは気丈に顎を上げる。


「これ以上、話の通じない方と話していても時間の無駄ですわ」


 精一杯の負け惜しみだった。


「フェリクス」


 振り返ることなく命じる。


「離していただきなさい」


 リリアは何も言わず、フェリクスの腕を放した。

 拘束から解放されたフェリクスは痛む腕を押さえながら立ち上がる。

 二人は足早に人混みを抜け、その場を後にした。

 逃げるように。

 その背中が見えなくなった瞬間。


「おおっ!」


 広場は歓声に包まれた。


「姉ちゃん、やるじゃねぇか!」

「貴族にはいつも泣かされてたんだ! 今日は胸がすいたよ!」

「本当にあの《災厄の龍姫》なのか!?」


 人々は興奮した様子でリリアを取り囲む。

 賞賛。

 感謝。

 憧れ。

 様々な声が一斉に飛び交った。

 リリアは露骨に眉をひそめる。


「……退け」


 低い一言だった。


「邪魔だ」


 その瞬間。

 先ほどまで沸き立っていた広場は、水を打ったように静まり返った。


「お前、せっかく感謝されてるのに……」


 呆れた声と共に、ルシアンが人混みをかき分けてやって来た。


「礼を言われるために助けたわけじゃない」


 リリアは振り返ることもなく、素っ気なく答える。

 その態度に、ルシアンはこれ見よがしに大きく溜め息をついた。


「お前さ。その性格、どうにかしないといつか本当に独りになるぞ」

「余計なお世話だ」


 即答だった。

 あまりにも取り付く島のない返事に、ルシアンは額へ手を当てる。


「もう少しくらい愛想ってもんを――」


 言いかけたところで、リリアは歩き出した。


「殿下と言い争っている暇はない」


 振り返ることなく告げる。


「セレナの元へ一刻でも早く向かう。それが最優先だ」


 その一言に、ルシアンは反論しかけた言葉を飲み込んだ。


「……お前なぁ」


 肩を落とし、半ば呆れたように笑う。


「誰のせいで時間を食ったと思ってるんだよ。ほんっと、可愛くねぇな」


 文句を言いながらも、結局はリリアの隣へ並んで歩き出す。

 そんな二人のやり取りを一歩後ろから眺め、ノアは小さく笑みを零した。

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