13
リリアは小さな身体を滑らせるように男たちの間合いへと潜り込む。
そして、最も近くにいた男の鳩尾へ拳を突き出した。
「がはっ!」
鈍い衝撃音と共に男の身体が宙を舞い、酒場の出入口を突き破る勢いで外へ吹き飛んだ。
静まり返る店内。
リリアは何事もなかったかのように乱れた銀髪を払う。
「店に迷惑を掛けるつもりはない」
淡々と告げる。
「続きは外でやろう」
そう言って出入口へ歩み寄る。
途中、苦しげに呻きながら倒れていた大男の前で足を止めると、その首根っこを片手で掴み上げた。
「なっ……!」
百キロ近い巨体が宙に浮く。
そして次の瞬間。
ブンッ!
まるで荷物でも放るかのように軽々と店の外へ投げ捨てた。
店内にいた者たちは息を呑む。
「う、嘘だろ……」
「あのガキ……」
「只者じゃねぇ……!」
「化け物だ!」
誰かが震える声で呟いた。
「ボスに知らせろ!」
「仲間を集めろ!」
「女一人、それもガキ一人に好き勝手させるな!」
怒号が飛び交い、数人のならず者が裏口から飛び出していく。
助けを呼びに向かったのだ。
リリアはそんなことなど意にも介さない。
倒れていた男たちを一人、また一人と外へ放り投げていく。
まるで邪魔な荷物でも片付けるかのような手際だった。
やがて酒場の中にはリリアだけが立っていた。
彼女はゆっくりと外へ足を踏み出す。
投げ飛ばされた男たちは痛みに顔を歪めながらも立ち上がり、剣や斧、棍棒を構えた。
その数は十人を超えていた。
だが、リリアの表情は微塵も変わらない。
まるで、この程度の人数では敵にすらならないと言わんばかりに。
アビスは三つの縄張りに分かれていた。
それぞれを束ねる三人のボスがおり、互いに不可侵を保ちながら街を支配している。
リリアが足を踏み入れたのは、その中でも最も血気盛んな地区だった。
そこでは、力こそが絶対。
身分も過去も関係ない。
強い者が上に立ち、弱い者は踏み潰される。
ただそれだけの単純な掟で成り立つ場所だった。
――数刻後。
逃げ出した男たちは、大勢の仲間を引き連れて戻ってきた。
その中心には、一際大柄な男が立っている。
この地区を束ねるボスだった。
しかし、彼らが目にした光景に、その足は思わず止まる。
店の前には十数人もの男たちが無残に倒れ伏し、その身体は山のように積み重ねられていた。
そして、その頂上。
一人の少女が足を組み、運ばせた料理を黙々と口へ運んでいる。
まるで、それが当然であるかのように。
「……お前か」
低く響く声が広場に響いた。
「俺の可愛い部下どもを、好き放題してくれたのは」
リリアは返事をしない。
頬いっぱいに料理を頬張り、小動物のようにもぐもぐと咀嚼を続ける。
やがてゆっくりと飲み込むと、紅い瞳だけを男へ向けた。
それでも言葉は返さない。
代わりに、人差し指を一度だけ折り曲げる。
――来い。
そう告げるように。
そのあまりにも露骨な挑発に、ボスの額へ青筋が浮かんだ。
「……舐めやがって」
怒りに顔を歪めると、背後の男たちへ怒鳴りつける。
「野郎ども! この死にたがりのガキに、地獄を見せてやれ!」
「おおおおおっ!」
怒号と共に、数十人の荒くれ者が一斉に駆け出した。
しかし――。
数刻後。
ようやく外の喧騒が静まる。
酒場の店主は恐る恐る扉を開け、外を覗いた。
「ひっ……」
思わず息を呑む。
広場一面に男たちが倒れ伏していた。
誰一人として立っている者はいない。
うめき声だけが辺りに響く。
その中央には、人の山。
幾重にも積み重なった男たちを玉座のようにし、その頂で少女が静かに腰掛けている。
リリアは最後の一口を飲み込み、空になった皿を脇へ置いた。
そして何事もなかったかのように、小さく息を吐く。
その姿はまるで、勝者が当然の権利として王座に座しているかのようだった。
翌日。
リリアは別の地区へ赴き、その地区を束ねるボスと配下を打ち倒した。
さらに翌日。
最後の地区も同じように制圧した。
リリアの足元には、三人のボスと数え切れないほどの荒くれ者たちが折り重なるように倒れている。
――わずか三日。
それだけで、奈落街アビスの王は入れ替わった。
三つの地区。
三人のボス。
三つの人山。
最後の人山の頂に腰を下ろしたリリアは、街中へ聞こえるように静かに告げた。
「今日から、この街は私のもの」
その日を境に、少女は《屍山の女王》と呼ばれるようになった。
後に奈落街アビス最大の転換点として、当時を知る者たちはその三日間を伝説として語り継ぐことになる。
アビスを統一したリリアが最初に行ったのは、三つに分かれていた縄張りを一つへまとめ上げることだった。
次に、冒険者ギルドを設立する。
この街には腕に覚えのある無法者が掃いて捨てるほどいた。
その力を身内同士で奪い合うためではなく、魔物討伐や護衛依頼へ向けさせる。
リリア自ら彼らを鍛え上げ、街の外へ力を向けさせた。
当然、反発は大きかった。
しかし、誰が何度挑んでもリリアには敵わない。
挑戦する者は尽く返り討ちにされ、やがて誰もが実力を認めるようになっていった。
もっとも、悪党ばかりが集まる街を力だけでまとめ続けることはできない。
秩序がなければ、街は再び崩壊する。
そこでリリアは最低限の掟を定めた。
・理由なく人を殺すな。
・子供や抵抗できない者に手を出すな。
・ギルド内で盗みを働くな。
・依頼人を襲うな。
・掟を破った者は、この私が処刑する。
掟は驚くほど単純だった。
だが、それだけで街は目に見えて変わり始めた。
少なくとも、昨日まで理不尽に命を奪われていた者たちは、安心して夜を迎えられるようになった。
特に女性や子供、力の弱い者たちは、《屍山の女王》を恐れながらも、同時に感謝するようになった。
リリア自身は、ギルドマスターの座には就かなかった。
統治よりも、自ら前線に立つことを選んだからだ。
その代わり、敗れた三人の元ボスへ、それぞれ役目を与えた。
ギルドマスターには、三人の中で最年長であり、交渉力に長け、人望も厚かった男を。
治安統括には、武闘派で喧嘩好きだが、掟を破る者には一切の容赦をしない男を。
情報統括には、三人の中で唯一リリアが最も苦戦した、元盗賊団の頭を据えた。
密偵の統括、裏社会との交渉、情報収集。
街の”裏”を担う役目を、すべてその男に任せた。
アビスは今も悪党の街であることに変わりはない。
だが、《屍山の女王》が支配してからというもの、理不尽に命を奪われることだけはなくなった。
◇
「あんたは私に戦いを挑み、敗れて死ぬ」
リリアは静かに、ギルドマスターの息子を見つめた。
「そんな結末を望まないなら、今すぐ私の視界から消えな」
「わ、分かった……! もう行く!」
男はリリアに睨まれただけで腰を抜かし、這うように立ち上がると、一目散に逃げ出した。
「リリア様……ありがとうございました」
リアは深々と頭を下げる。
だが、リリアはすでに歩き始めていた。
振り返ることもなく、そのまま路地裏の闇へと消えていく。
リアはその背中が見えなくなるまで、静かに頭を下げ続けていた。
リリアは、とある店の前で足を止めた。
古びた木製の扉には、『CLOSE』と書かれた札が掛けられている。
しかし、リリアは気にも留めずドアノブへ手を掛けた。
――チリン。
鈴の音が静かな店内に響く。
扉の隙間から暖かな灯りが漏れ、同時に薬草や薬品が混ざり合った独特の匂いが鼻をくすぐった。
「すみません。本日の営業は終了しました」
店の奥で作業をしていた男が、振り返ることなく申し訳なさそうに声を掛ける。
「私だ」
短い一言。
その声を聞いた男は手を止め、勢いよく振り返った。
「リリアじゃないか! こんな時間にどうしたんだい?」
穏やかな笑みを浮かべた青年が迎える。
金に近い茶色の髪は首元まで伸び、丸眼鏡の奥には知的な瞳が覗いていた。
彼の名はノア。
リリアがアビスを統一して間もない頃、ふらりと街へ現れた。
そして、そのまま住み着いた変わり者である。
悪党しかいないこの街で店を構え、商売を始めた酔狂な男でもあった。
店内には良質なポーションをはじめ、正体不明の怪しい薬、魔道具、魔獣の素材、さらには頭蓋骨や古びた遺物まで所狭しと並べられている。
一見するとガラクタ屋だが、その品々の中には高値で取引される希少品も少なくない。
何よりノア自身が研究者気質だった。
新薬の開発に没頭したかと思えば、持ち込まれた廃材や遺物を分解・改造し、新たな魔道具を生み出す。
変人ではあるが、その腕だけはアビスでも一目置かれていた。
「先程、玉佩にヒビが入ったんだ。見てくれないか」
「いいよ。見せて」
ノアは快く頷き、手を差し出した。
リリアは首元へ手を伸ばす。
銀の鎖に通された玉佩を取り外すと、大切に両手で包むように持ち、そっとノアへ手渡した。
ノアは慎重に受け取ると、明かりへかざしながら表裏を確かめる。
この玉佩は、リリアが幼い頃から肌身離さず身につけている唯一の品だった。
どれほど激しい戦いに身を置こうとも、決して手放したことはない。
それほどまでに、リリアにとって特別な意味を持つものだった。




