2話
月曜の朝、ゴミ出しの指定場所でゴミを捨てていると、唯一のお隣が部屋から出てきて、こちらに歩いてくるのが見えた。
平均よりも高い鼻や、少し顔を伏せていても分かる綺麗な形の目を持つ彼は、多分「イケメン」に分類される顔立ちなのだろう。
常に口元には微笑みをたたえていて、こんな職業の人間に対しても物腰が丁寧なので、勘違いする女性もいるのではないかと思う。もっとも、《《こんな職業の人間だから》》物腰が丁寧になっている、という可能性もあったけれど。
親戚にいたら、追加でお年玉をあげてしまいそうだという印象があった。
ただ、彼を見ていると、なんだか姉の趣味が垣間見えて、少し気まずい思いがした。
彼がこのアパートに住むと分かった私は、元々社宅希望だったところを、アパートへの居住希望に変更した。
運営側としても、第三者である彼の監視を誰かに頼みたいと思っていたようで、私の希望は快く受け入れられた。
彼は、姉の起こした拉致監禁事件の被害者で、生きていた姉と最後に会っていた人物だ。
行方不明になってしばらく会っていなかったとはいえ、私と姉は血が繋がっている。
姉が起こした事件の後始末をするのも、弟である私の役目だと思った。
「そもそも、自分じゃない他人の生き死にへの興味がないんですよね。だから通報しようって気も、あまり起きないんです」
隣人の彼の主張を聞いて、「まあ、そうなんだろうな」と思った。
正義感の強い人間や臆病な人間だったら、ここに住もうという気はまず起こさない。
あまりにも当たり前のことを言われ、思わず笑ってしまった私に、彼は不思議そうな顔を向ける。
まるで普通の隣人のように別れて、私は仕事の準備に取り掛かった。
彼は、自分の巻き込まれた事件の犯人の弟がすぐ近くにいることに気付いていない。
伝えるつもりは毛頭なかった。被害者の彼には、犯人の身内がいることを知って心理的に負担をかけさせたくない。
だから、隣人がしても違和感のない程度に関わろうと思った。
罪滅ぼしもしたいと思っていたが、せいぜい隣人としてできるのは「弁当が余ったから」と言って、一食分の食事を提供することくらいだった。
ただ、相手の名前も知らないような隣人関係と比べると、私たちの関係は良好な方だったのだろうと思う。
仕事場でもあるアパートで暮らし始めて、しばらく経った頃。
手持ち無沙汰にアパートの外に出て夜空を眺めていると、ふいに誰かの声が聞こえてきて、驚いて声のした方に顔を向けた。
そこには、買い物袋を手に持って、じっと私を見つめている隣人の彼が立っていた。
挨拶と少々の世間話をしていると、突然「星、好きなんですか?」と聞かれた。
なんで星が好きか聞かれるのだろうと思いながら、首を横に振る。
「胸を張って好きとは言えないレベル」だと言った私の言葉に、彼は「僕には特別好きなものはないので、少し羨ましいです」と呟いた。
その様子が、まるで普通の付き合いをしている隣人に対しての態度みたいで、疑問が無意識に口からこぼれた。
「…………前々から思っていたんですけど、もしかして私と友達になりたいとか思っています?」
私の言葉に、彼は目をぱちくりとして悩み始めた。
「……そうなのかもしれません。職場に来る人は親世代がほとんどで、若い人はめったに来ないので、同世代のあなたとは、無意識に仲良くなりたいと思っていたのかもしれません」
「……変わってますね」
いくら近くに同世代の男がいないからといって、デスゲーム運営の人間とは仲良くなりたくない。少なくとも私自身はそう思う。
――これ以上、彼が運営と近づきすぎるのは良くない。
私が強い口調で忠告すると、彼は少し目を伏せてから、どこか寂し気に口を開いた。
「僕も、人を殺したことがあります」
そう彼が発した時、私はどんな表情をしていたのだろう。
立ち去った彼の背中を見ながら、私は考え込む。
隣人の彼には、高校一年生に彼の両親が巻き込まれた火事と、高校二年生に彼自身が巻き込まれた監禁事件以外で、人が死ぬような事件に巻き込まれる過去はなかった。
前者は彼の無関係の場所で起きたので、彼の言う「人を殺したこと」のある方は後者ということになる。
つまり、相手は私の姉ということだ。
――姉は、あの時彼とどんな会話をして、自ら命を絶ったのだろう。
彼本人には絶対に聞くことはできないので、これからどれだけ経っても、いくら考えても分からないことの一つなのだろう。
少し前から、同僚の一人がアパート周辺で不審な動きをしていることには気付いていた。
まだ仕事前なのにアパートの廊下にいたり、昼食で用意された弁当を断り、外出を繰り返したりしている姿を何度も見かけていたのだ。
仕事内容に怖じ気づいて逃げようとしているわけではない。それならアパート周辺をうろつくような行為はしないはずだった。
明らかに、同僚には何か目的がある。
だけど、その目的が私には分からない。
目的が分からない以上、上司に報告もしようがなかった。
あの日から、隣人の彼には避けられているので、彼に同僚のことを聞くこともできず、私はそれからの日々もなんとなく生きていた。
同僚に動きがあったのは、隣人に避けられるようになって、一カ月ほど経った時だった。
仕事も終わり、アパートの自室で一人過ごしていると、外から階段を上る音と、誰かの話し声が耳に入ってきた。このアパートに住んでいるのは、私を抜くと隣人の彼だけなので、足音の主が彼だというのはすぐに分かった。しかし、話し声となると、彼以外にも誰かいることになる。
今まで彼が友人などを連れているのを見たことはなかった。デスゲーム運営の隣人と親しくなりたいと考えるような人なので、感性が普通の人とは違うというのは、なんとなく分かっていた。
ただ、今まで平穏無事に住んでいるとはいえ、地下で人が死んでいるような場所に別の人を呼ぶなんてどんな神経をしているのだと思い、玄関の方に足を進めていくと、さっきよりも声がはっきり聞こえるようになった。
クリアになった声を聞いて、彼と話しているのは、前から不審な動きをしている同僚だということに気付く。
音を立てないように扉を開け、外の様子を覗く。
そこには、同僚に手を握られ、表情を引きつらせている隣人がいた。
隣人が、私たちの仕事に関しての守秘義務を守ると約束してくれたように、私たちデスゲーム運営側も、デスゲームとは無関係の彼に対して、むやみな干渉をしないよう約束が取り付けられていた。
私はアパートの隣人であり、彼の監視役も兼任しているので、会社からも大目に見られていたが、目の前にいる同僚は明らかにそのラインを超えている。
――ルールが破られることがあってはならない。
私は同僚の腕を掴んで、そのまま電話で会社の上司に彼女のしたことを報告した。
その後、同僚がどうなったかは知らない。
アパート付近で姿を見ることもなかったし、会社の名簿からもいつの間にか消えていた。
アパート周辺で同僚がうろついていたのは、隣人の自転車の有無を確認していたからだ、と気付いたのは、もう少し後のことだった。
隣人は、私たちが仕事場であるアパートに集まるより前に、自転車に乗って自身の仕事場へと向かう。
そして、仕事が休みの日は、朝から自転車を利用しないので、彼の自転車はアパート周辺に置かれたままになる。
同僚は、アパートに来たタイミングで、自転車置き場に彼の自転車が置かれているかをチェックし、彼が仕事場に出勤しているか判断していたのだろう。
もっとも、名簿を見た感じ、あの人はもう同僚ではなくなったようだったが。
規約違反で解雇されたのかもしれないが、特に確認したいことでもなかったので、そのまま何も言わずに日常へと戻っていった。




