第七話「木村健太、佐藤家に来る」
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【ナレーション】
友達を家に呼ぶ。
それは、中学生にとって、ごく普通のことだ。
放課後に寄って、ゲームして、お菓子食べて、帰る。
シンプルで、楽しい。
佐藤太郎も、それをやりたかった。
ごく普通に。
しかし太郎の家は——三週間前から、ごく普通ではなくなっていた。
◆ 放課後。教室。
「佐藤、今日数学教えてくれるって言ってたじゃん」
木村が声をかけてきた。
「うん、図書室でもいいけど」
「どこかで落ち着いてやりたいんだよな。佐藤んちは?」
太郎の時間が、一瞬止まった。
「……うち?」
「ダメか?」
太郎は考えた。
家には今頃——
ナポレオンがゲームをしている。
謙信が瞑想している。
秀吉が近所を徘徊しているか、台所にいる。
信玄が料理をしている。
信長が何かを睨んでいる。
クレオパトラが読書している。
「……来てもいいけど」
「じゃあ行こうぜ」
「……心の準備が」
「誰の?」
「……木村の」
「え?俺の?なんで?」
太郎は深呼吸した。
「……まあ、来ればわかる」
「なんか怖いな」
「怖くはないよ。たぶん」
「たぶん、って」
「……行こう」
◆ 帰り道。
木村と並んで歩きながら、太郎は考えていた。
どう説明するか。
「居候が六人いる」
これは事実だ。
「歴史上の偉人」
これは言えない。言っても信じてもらえないし、信じてもらっても困る。
「ちょっと変わった人たち」
これが最大限の正直な説明だ。
「木村」
「なに」
「うちの居候、ちょっと変わってるから」
「入学式と参観日で見たから、なんとなくわかってる」
「……どのくらいわかってる?」
「背が高い人と、陽気な人と、なんか強そうな人、だろ。あと小さい女の子」
「さくらは妹です」
「あ、そうなんだ。可愛かった」
「それはそう」
「他にも居候いるの?」
「あと三人います」
「六人!?」
「六人です」
木村が少し黙った。
「……どういう家庭なんだ」
「……説明が難しい」
「まあ、行けばわかるか」
「そうです、行けばわかります」
太郎の胃が、静かに痛み始めた。
◆ 佐藤家・玄関前。
「ここ?」
「そう」
木村が表札を見た。「佐藤」とだけ書いてある。
普通の一軒家だ。
外から見る分には、何も問題ない。
太郎が鍵を出した。
「……一個だけ言っておく」
「なに」
「名前を聞いても、気にしないでほしい」
「名前?」
「苗字が……ちょっと特殊な人たちなので」
「特殊って」
「……まあ、聞けばわかる」
太郎がドアを開けた。
「ただいま」
リビングから声が飛んでくる。
「おかえり太郎殿!!今日は——」
秀吉がリビングから飛び出してきた。
そして玄関に木村を見つけた。
秀吉の目が輝いた。
「おお!!お客人か!!」
木村が一歩引いた。
「……こんにちは」
「よくぞ来てくれた!!豊臣秀吉と申す!以後お見知りおきを!!」
木村が固まった。
「とよ……とみ?」
「豊臣じゃ!よろしゅうに!!お名前は!?」
「あ……木村健太です」
「木村殿!!太郎殿の友人か!!嬉しいのう!!さあ上がれ上がれ!!」
秀吉が木村の背中を押して家の中へ引き込んだ。
木村がそのまま流されていく。
太郎が靴を脱ぎながら呟いた。
「……始まった」
◆ リビング。
木村がリビングに入った瞬間——
全員と目が合った。
ソファに座ってゲームをしていたナポレオン。
窓際で瞑想していた謙信。
台所から顔を出した信玄。
腕を組んで壁にもたれていた信長。
本を読んでいたクレオパトラ。
五人が、木村を見た。
木村が、固まった。
「……えっと」
秀吉が元気よく紹介する。
「木村殿!紹介しよう!こちら上杉謙信殿!」
「……上杉だ。よろしく」
「こちら武田信玄殿!」
「武田だ。茶でも飲むか」
「こちら織田信長殿!」
「……織田だ」
「こちらナポレオン・ボナパルト殿!」
「ナポレオンだ」
「こちらクレオパトラ殿!」
「クレオパトラよ。よろしく」
木村が、ゆっくりと太郎を見た。
太郎が、目をそらした。
木村が、もう一度全員を見た。
「……佐藤」
「なに」
「この人たち、名前が」
「……うん」
「豊臣、上杉、武田、織田……ナポレオン……クレオパトラ……」
「うん」
「歴史で習ったやつじゃないか」
「……気のせいだよ」
「気のせいじゃないよね!?」
「気のせいです」
「絶対気のせいじゃない!!」
【ナレーション】
木村健太は、偏差値的には普通の中学生だが、観察眼だけは鋭かった。
入学式の日から「あの人たちは普通じゃない」と思っていた。
参観日でも「あの人たちは何者なんだ」と思っていた。
そして今、名前を聞いて——
何かがつながりそうで、つながらない状態になっていた。
信玄が台所から出てきて、木村の前に湯飲みを置いた。
「座れ。話を聞こう」
「え、あ……はい」
木村が恐る恐る座った。
信玄が向かいに座る。
「木村と言ったな」
「は、はい」
「太郎とはどこで知り合った」
「同じクラスで……」
「太郎の友人か」
「……たぶん、そうです」
「たぶん?」
「あ、いや、友達です。はい」
信玄がゆっくり頷いた。
「そうか。よく来た」
木村の緊張が、少し解けた。
信玄の声が、不思議と落ち着かせる。
「……武田さん、って」
「武田だ」
「えっと……苗字が、その、有名な方と同じで」
「有名か」
「歴史で習いました。武田信玄って」
信玄が少し黙った。
「……そうか。有名になったか」
「え?」
「いや——なんでもない。茶を飲め」
「は、はい……」
木村がお茶を飲んでいると、ナポレオンが近づいてきた。
「木村」
「は、はい!」
「数学を教わりに来たのか」
「あ、えっと、はい」
「どこがわからない」
「方程式が……」
ナポレオンが腕を組んだ。
「どの種類だ」
「二次方程式が……」
「まだ習っていないはずだが」
「あ、でも予習で……なんか難しくて」
ナポレオンが太郎を見た。
「太郎、こいつは予習をするのか」
「するみたいです」
「フン。見どころがある」
木村が「え?」という顔をした。
ナポレオンが座った。
「見せろ。教えてやる」
「え、あ、えっと……」
「遠慮するな。俺は教えることが嫌いではない」
木村が恐る恐るノートを出した。
【ナレーション】
ここで木村は、フランス皇帝ナポレオン・ボナパルトに数学を教わるという、世界史上で最も奇妙な個別指導を受けることになった。
「ここを見ろ。この式をこう変形する」
「あ、そうか……!」
「わかったか」
「わかりました!」
「次はこれだ」
「えっと……こう、ですか?」
「惜しい。符号を見ろ」
「あ!マイナスか!」
「そうだ。焦るな。ゆっくり確認しろ」
木村がノートに書いた。
「……できた!」
「フン。飲み込みが早い」
木村が顔を上げた。
「……ナポレオンさんって、教え方上手ですね」
「当然だ」
「なんで数学が得意なんですか」
ナポレオンが少し考えた。
「……軍を動かすには計算が必要だ。兵站、補給、移動距離——すべて数字だ」
「兵站……軍隊の話ですか?」
「そうだ」
「……本物みたいな話し方しますね」
ナポレオンが一瞬止まった。
「本物だ」
「え?」
「……冗談だ。続けろ」
太郎が横で聞いていて、心の中で「冗談じゃないんだよな」と思った。
◆ 一時間後。
木村の数学の理解が、目に見えて上がっていた。
ナポレオンに教わり、太郎に確認して、また問題を解く。
その繰り返しで、苦手だった式変形が、すらすら解けるようになっていた。
「すごい……なんかわかってきた!」
「当然だ」とナポレオン。
「よかった」と太郎。
謙信がいつの間にか近くに来ていた。
「木村」
「は、はい!」
「真剣に学ぶことは——義だ」
「ぎ……義?」
「一生懸命やることは、誰に対しても恥ずかしくない。覚えておけ」
木村がぽかんとした。
「……はい」
「よし」
謙信が戻っていく。
木村が太郎に小声で聞いた。
「上杉さん、なんか……すごい人だな」
「まあ」
「なんか、こう……本物っぽい雰囲気がある」
「……まあ」
「本物ってなんの」
「……強い人、みたいな」
「そうだよな。あの人に怒られたら泣くわ、絶対」
「怒っても理由があるときだけだから、普通にしてれば大丈夫ですよ」
「太郎、なんか慣れてるな」
「……一ヶ月半一緒に住んでるので」
◆ おやつの時間。
信玄が台所からお盆を持ってきた。
クッキーと緑茶だ。
「食え」
「ありがとうございます!」
木村がクッキーを食べた。
「……おいしい」
「手作りだ」
「武田さんが作ったんですか」
「そうだ」
「料理もするんですね」
「する」
木村がもう一枚食べた。
「……武田さんって、怖そうに見えて、優しいですね」
信玄が少し黙った。
「……そんなことはない」
「でも手作りクッキー、怖い人は作らないですよ」
信玄が、わずかに表情を変えた。
「……そうか」
「美味しいです、本当に」
「……食え」
信玄が追加でクッキーをお盆に乗せた。
太郎は「信玄さんも木村に落ちた」と思った。
さくらが学校から帰ってきた。
「ただいまー!……あ、知らない人!」
「木村健太です。佐藤くんの友達で」
「わたし佐藤さくら!お兄ちゃんの妹!」
「かわいいね」
「えへへ!」
さくらが太郎の隣に座った。
信長がさくらの帰りに気づいて、ゲームを置いた。
「おかえり」
「ただいまー!信長、今日ね——」
さくらが信長に今日の出来事を話し始めた。
木村がそれを見て、太郎に小声で言った。
「あの織田さん、さっきまで無言でゲームしてたのに、妹さんにはめちゃくちゃ優しくなってる」
「……そうなんですよ」
「なんで」
「わかんないけど、ずっとそうです」
「妹さん、すごい人たらしだな」
「持って生まれた才能です」
クレオパトラが本を置いて、木村を見た。
「木村くん」
「は、はい!」
「数学は理解できた?」
「おかげさまで」
「それは良かった。ナポレオンの教え方は——まあ、悪くないから」
「まあ、とは聞き捨てならない」
ナポレオンがぴくっとした。
「悪くない、と言った」
「それで十分なのか」
「十分よ」
「フン」
木村がそのやりとりを見て、太郎に小声で言った。
「なんか……普通に仲いいんだな、みんな」
太郎が少し考えた。
「……まあ、そうかもしれないですね」
「最初めちゃくちゃ怖かったけど、普通に良い人たちじゃないか」
「普通とは言い難いけど……」
「佐藤、お前ここの生活、楽しいだろ」
太郎が黙った。
「……まあ」
「その顔は楽しいやつの顔だよ」
「そんなことは」
「楽しいんだろ」
太郎はそれ以上否定しなかった。
◆ 帰り際。玄関。
「お邪魔しました」
「また来るといい」と信玄。
「次は拙者のほうとうを食わせてやろう!」と秀吉。
「……また来い」と信長。
「数学でわからないことがあれば、また来て報告しろ」とナポレオン。
「……義ある勉学を続けろ」と謙信。
「また来なさい」とクレオパトラ。
「また来てね!!」とさくら。
木村がぽかんとして、太郎を見た。
「……全員に歓迎されたんだけど」
「それはよかった」
「なんか、大家族みたいだな、佐藤んちって」
太郎が少し考えた。
「……まあ」
「羨ましいわ、正直」
「え?」
木村がランドセルを背負い直した。
「俺んち、お父さんが単身赴任で、お母さんと二人だから——なんかこういう、にぎやかな感じ、いいなって」
太郎は何も言えなかった。
「また来ていい?」
「……いつでも」
「やった」
木村が歩き出した。
「また明日な、佐藤」
「うん、また明日」
【ナレーション】
木村健太が帰った後、リビングは——いつも通りだった。
ナポレオンがゲームを再開した。
謙信が瞑想に戻った。
信玄が夕飯の準備を始めた。
秀吉がLINEを確認した。
信長がさくらのそばでゲームをした。
クレオパトラが読書を再開した。
太郎がソファに座った。
父が仕事から帰ってきた。
「ただいま。誰か来てた?」
「友達が来た」
「友達!!」
父がなぜか目を輝かせた。
「木村ってやつ」
「どうだった」
「……みんなに気に入られてた」
父が笑った。
「そりゃよかった」
「まあ、みんなが良い人たちだから、とは思った」
父が少し驚いた顔をした。
「太郎がそんなこと言うの、珍しいな」
「……木村が言ってたので」
「木村くんが?」
「羨ましいって。にぎやかで」
父が少し黙った。
「そうか」
「……俺は最初うるさいとしか思ってなかったけど」
「今は?」
太郎は少し考えた。
「……まあ、悪くないかな」
父がにやっと笑った。
「三週間かかったな」
「うるさい」
「ははは」
その夜。
太郎は布団に入って、今日のことを振り返った。
木村が「羨ましい」と言っていた。
太郎は、それを聞いたとき——
自分の家のことを、少し、別の目で見た気がした。
うるさい。
騒がしい。
毎日何かある。
胃が痛くなることもある。
でも——
信玄のクッキーは美味しかった。
ナポレオンは木村に丁寧に教えていた。
謙信は「義ある勉学を続けろ」と言っていた。
秀吉は初対面の木村を五分で打ち解けさせた。
信長はさくらに優しかった。
クレオパトラは「また来なさい」と言っていた。
悪くない人たちだ。
いや——
「人たち」という言葉が、少し違う気がした。
なんと言えばいいのか、まだわからない。
でもいつか——わかる気がした。
太郎は目を閉じた。
隣の部屋から、ナポレオンのゲームの音がかすかに聞こえた。
リビングから、信玄が洗い物をする音が聞こえた。
どこかで、さくらが笑う声がした。
賑やかな夜だった。
悪くない、夜だった。
第七話・了
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