第三話「初めてのHR、そして家に帰ったらカオスだった」
引き継ぎお楽しみください
【ナレーション】
中学校生活、二日目。
入学式の翌日、最初のホームルーム——通称「HR」が行われる。
担任の先生との顔合わせ、クラスメートとの自己紹介、係決め。
普通の中学生にとっては、少し緊張する、でも楽しみな時間だ。
佐藤太郎にとっても、それは同じだった。
家を出るまでは。
◆ 午前七時。佐藤家・リビング。
「太郎」
朝食のほうとうを食べていた太郎に、クレオパトラが声をかけた。
今日も朝から完璧な美しさである。朝七時に何故そんなに完成しているのか、太郎には理解できない。
「今日のHRで、係を決めるでしょう?」
「……なんで知ってるんですか」
「あなたの学校のしおりを読んだわ」
「なんで読んでるんですか!!」
クレオパトラは気にせず続ける。
「図書委員か学級委員をとるべきね。情報と権力、どちらを先に持つかという問題だけど——」
「中学の係決めに政治を持ち込まないでください」
「すべては政治よ、太郎」
「朝からやめてください」
信玄が箸を置いて、落ち着いた声で言う。
「太郎、今日は無理せんでいい。最初は周りをよく見ることだ」
「……信玄さん、それは普通にいいアドバイスですね」
「当たり前だ。戦でも最初は地形を読む」
「戦じゃないですけど、まあ……ありがとうございます」
信玄がうんと頷く。この人だけは、たまに本当にまともなことを言う。太郎の中で信玄の株が定期的に上がるのはそのためだ。
「太郎殿!」
秀吉が台所から顔を出した。なぜかエプロンをしている。信玄の料理を手伝っていたらしい。
「今日のクラスの子たちの名前、全員覚えて帰ってくるのだぞ!人脈は財産じゃ!」
「三十五人いるんですけど」
「初日で覚えられれば、一生忘れぬぞ!拙者、草履取り時代に信長様の家臣の名を三日で全員覚えた!」
「それはすごいけど、俺には俺のペースが——」
「名前を覚えられた者は必ず心を開く!これ真理!」
「……まあ、それはそうかも」
「じゃろ!」
秀吉がにかっと笑う。
太郎はため息をつきながらも、心のどこかにメモした。
ナポレオンはソファでスマホを握りしめたまま、ちらと太郎を見た。
「太郎、授業でわからないことがあれば戻ってから教えてやる」
「ナポレオンさん、何が得意なんですか」
「数学。地理。戦略論」
「戦略論は科目にないですよ」
「いずれ必要になる」
「中学では……まあ、数学はありがとうございます」
ナポレオンが満足そうに頷いた。
ランキングは現在全国一位に返り咲いている。昨夜三時まで起きていたらしい。
謙信が、すっと太郎の前に何かを差し出した。
ローソンのポンタカード。
「……持っていけ」
「なんで学校にポイントカードが必要なんですか」
「お守りだ」
「お守りじゃない!!」
「義のカードだ」
「ポイントカードに義はない!!」
信長は朝から無言でゲームコントローラーを握っていた。
太郎が「行ってきます」と言おうとしたとき——
「……太郎」
「なんですか」
信長は画面を見たまま、ぼそりと言った。
「……自己紹介、大きい声で言え」
「……なんでわかるんですか、緊張してるの」
「顔に出てる」
太郎は少し驚いた。
「……はい」
「以上だ。行け」
太郎は玄関に向かった。
靴を履いていると、さくらが二階から駆け下りてきた。まだパジャマだ。
「お兄ちゃん、いってらっしゃい!」
「ありがとう。さくらも学校頑張れよ」
「うん!帰ってきたらゲームしよ!」
「いいよ」
太郎は玄関を出た。
春の空気が、顔に当たった。
【ナレーション】
午前八時十五分。
佐藤太郎は、普通に学校へ向かった。
家の中では信長が引き続きゲームをしており、謙信が瞑想を始め、秀吉が信玄に料理を教わろうとして断られ、ナポレオンがランキング防衛戦に入り、クレオパトラが何か読書をしていた。
平和な朝である。
この時点では。
◆ 午前八時四十分。市立第三中学校・一年二組教室。
教室に入ると、すでに何人かの生徒が席についていた。
太郎は自分の席——出席番号順に割り振られた席、窓際の真ん中あたり——に座った。
隣の席の男子が話しかけてきた。
「おはよ。昨日入学式で隣だった。佐藤くん?」
「あ、うん。佐藤太郎。よろしく」
「俺、木村健太。よろしく。昨日の……あの、保護者席の人たち、親戚?」
太郎の笑顔が、一瞬固まった。
「……まあ、そんな感じ」
「なんか、すごい人たちだったよね。特に背の高い人」
「……ちょっといろいろあって」
「へえ」
木村はそれ以上聞かなかった。
太郎は内心で感謝した。これが友達になれるかもしれない最初の人物だ。変に思われたくない。
やがて、担任の先生が入ってきた。
三十代くらいの男性。眼鏡で、少し気の弱そうな顔をしているが、目は優しそうだ。
「えー、皆さんおはようございます。一年二組の担任になりました、田村です。よろしくお願いします」
先生は黒板に「田村 誠」と書いた。
「今日は初めてのHRということで、まず自己紹介をしてもらって、その後係を決めたいと思います。では出席番号順に、名前と、一言何か——好きなことでも趣味でもいいので——話してください」
出席番号一番の生徒から始まった。
「青木花。好きなことは料理です」
「石田翔太。サッカーやってます」
「岩本美里。読書が好きです」
……
順番が近づくにつれて、太郎の心拍数が少し上がってくる。
信長の声が、頭の中でよみがえった。
「自己紹介、大きい声で言え」
太郎は小さく息を吸った。
「佐藤太郎です。歴史が好きです。よろしくお願いします」
大きい声、出た。
田村先生が少し嬉しそうに言った。
「おお、歴史好き!先生も歴史好きなんですよ。いいね」
クラスの何人かが太郎を見た。
悪い視線ではなかった。
【ナレーション】
自己紹介は無事終わった。
続いて係決めが始まった。
クレオパトラのアドバイスを思い出した太郎は、少し考えてから——
図書委員に手を挙げた。
本が好きだし、図書室に理由ができれば一人になれる時間も作れる。
戦略、というほどでもないが、まあ悪くない選択だ。
クレオパトラには報告しない。絶対に「そうでしょう」と言われるから。
HRが終わったのは午前十時ごろ。
その後は各教科のオリエンテーションが続き、気づけばあっという間に昼になっていた。
木村と一緒に購買のパンを買いに行った。
廊下ですれ違った女子グループに「昨日の入学式の保護者席の背が高い人、お父さんの知り合い?」と聞かれた。
太郎は「ちょっと特殊な親戚みたいなもんで……」と答えた。
「なんか強そうだったよね」
「まあ……強いです、確かに」
太郎は苦笑いした。
謙信が強くないわけがない。
◆ 午後三時。下校。
木村と校門まで一緒に歩いた。
「明日もよろしくな、佐藤」
「うん、よろしく」
悪くなかった。
最初の一日目よりずっと普通に、中学校が始まった気がした。
太郎は帰り道を歩きながら、少し気分が軽くなっているのに気づいた。
家の近所まで来たとき。
何かが聞こえた。
ドーン!!!!
「……え?」
ドーン!!ドドーン!!!!
太郎の家の方向から、何かが——爆発しているわけではないが、明らかに尋常ではない音がしていた。
走った。
玄関を開けた。
◆ 午後三時二十分。佐藤家・リビング。
「我の戦術を見よ!!」
「フン!その程度の策、読めている!」
「なんと……!ではこれは!?」
「甘い!!」
リビングのテレビの前に、ナポレオンと信長が並んで座り、熾烈な戦いを繰り広げていた。
スマホゲームの対戦モードである。
「な、なんの音だったんですか今のは!?」
太郎が叫ぶ。
秀吉がひょいと顔を出した。
「ああ、太郎殿おかえり!謙信殿が怒ったんじゃ!」
「謙信さんが!?何で!?」
謙信が、仁王立ちでリビングの隅に立っていた。
腕を組んで、明らかに不機嫌だ。
「……あの二人が、また朝から争いを始めた」
「ゲームで?」
「ゲームで」
謙信の声が、微妙に低い。
「我は昼に『少し静かにせよ』と言った。だが聞かなかった」
「それで?」
「……拳で机を叩いた」
「それがさっきの音!!机壊れてない!?」
「壊れておらん。叩き加減はわきまえている」
「わきまえないでほしい前に静かにしてほしい!!」
【ナレーション】
状況を整理しよう。
今日の午前中——太郎が学校に行っている間に、佐藤家では何が起きていたのか。
時系列で説明する。
午前九時。
ナポレオンがゲームの対戦相手を求め、信長に声をかけた。
「信長、対戦しろ」
「……面白そうだな」
こうして、フランス皇帝と尾張の大うつけによる、世紀の一戦が始まった。
午前十時。
信玄が止めに入った。
「二人とも、そのあたりにせよ」
「黙れ信玄、今いいところだ」
「フン、邪魔するな」
信玄は深いため息をついて台所に引き上げた。
午前十一時。
秀吉が「拙者も混ぜてくれ」と参入。
三つ巴になった。
秀吉は開始五分で負け、「これは戦場ではなく外交じゃ!」と言い訳しながら撤退。
午後十二時。
信玄が昼食を作った。
ナポレオンと信長は食事中も「さっきの局面は」「貴様の策は読めていた」と議論を続け、信玄が「飯の間は黙れ」と言った。
二人は黙った。
信玄だけは全員が従う。なぜかはわからない。たぶん飯がうまいからだ。
午後一時。
再び対戦が始まった。
クレオパトラが読書しながら言った。
「二人とも、少し声が大きいわよ」
「申し訳ない、クレオパトラ殿」
ナポレオンはすぐ謝った。クレオパトラには頭が上がらないらしい。
しかし五分後にはまた大声になっていた。
午後二時。
謙信が瞑想から戻ってきた。
「……うるさい」
「謙信、貴様には関係ない」
「義のある空間に騒音は不要だ」
「義とゲームは関係ない!!」
謙信と信長の言い合いが始まった。
午後三時。
謙信の拳が、テーブルに落ちた。
ドーン。
全員が静止した。
◆ 現在に戻る。
太郎がリビングを見渡す。
ナポレオンと信長がゲームを持ったまま固まっている。
謙信が腕を組んで立っている。
秀吉が「まあまあ」という顔をしている。
信玄が台所で何か切っている。
クレオパトラがワインを飲みながら本を読んでいる。
さくらはまだ学校から帰っていない。
太郎は深呼吸した。
「……信長さん、ナポレオンさん。昼間、どのくらい対戦してたんですか」
「……朝から」
「六時間!?」
「白熱していた」
「六時間白熱するな!!」
「太郎、この対戦は歴史的意義がある」
ナポレオンが真顔で言った。
「ゲームに歴史的意義はない!!」
「現代の戦術を学べる」
「学ばなくていいです!!」
謙信が静かに言う。
「太郎。我はただ、静かな昼を求めていた」
「ですよね……謙信さんが正しいですよ、今回は」
謙信が、わずかに表情を緩めた。
「……お帰り、太郎」
「……ただいまです」
そこへ、玄関が開いた。
「ただいまー!!」
さくらが元気よく帰ってきた。ランドセルを廊下に放り出して、リビングに飛び込んでくる。
「信長ー!今日ね、クラスの子にゲーム教えてって言われた!」
「ほう」
「信長が教えてくれたやつ!友達になった!」
「……そうか」
信長の目が、少し柔らかくなった。
太郎はそれを見て、思った。
こいつ(信長)、さくらには弱いな。
口には出さない。言ったら絶対否定されるから。
「太郎殿!学校どうじゃった!?」
秀吉が前のめりで聞いてくる。
「普通だったよ。友達になれそうな人もいたし」
「名前は覚えたか!?」
「……木村健太、とりあえず一人」
「一人じゃ!!まだ三十四人おるぞ!!」
「初日にコンプリートしなくていいですよ!」
クレオパトラが本から目を上げた。
「図書委員になったのね」
「……なんで知ってるんですか」
「しおりに書いてあったから。候補として推測していたわ」
「……正解です、一応」
クレオパトラが微かに微笑んだ。
「そうでしょう」
言われた。やっぱり言われた。
信玄が台所から顔を出した。
「太郎、腹は減ったか」
「減った」
「おやつを出す。少し待て」
「……ありがとうございます、信玄さん」
ナポレオンがスマホを置いて、ちらと太郎を見た。
「数学、わからないところはあったか」
「今日はオリエンテーションだったからまだ——でも、あとで教えてください」
「フン。それくらい朝飯前だ」
「お願いします」
謙信が、すっと太郎の前にポンタカードを差し出した。
「これは返す」
「朝渡されたやつじゃないですか。持ってかなかったよ」
「……今日の義は果たされた。だから返す」
「意味わかんないです」
「いずれわかる」
【ナレーション】
佐藤太郎、中学校二日目、終了。
学校では——木村健太という友達の候補ができた。図書委員になった。自己紹介で大きい声が出た。
家では——ナポレオンと信長が六時間ゲームで対戦し、謙信がテーブルを拳で叩き、信玄が黙らせ、秀吉が仲裁に失敗し、クレオパトラが静観していた。
どちらが「日常」なのかは、もはやわからない。
おそらく両方が、太郎の日常だ。
◆ 夕食後・太郎の部屋。
ナポレオンに数学を教わりながら、太郎はふと思った。
「ナポレオンさん、教えるの上手ですね」
「当然だ。軍を動かすには、全員が理解せねばならない。わかりやすく伝えるのは指揮官の基本だ」
「……なるほど」
「太郎、この問題を解け」
「はい」
太郎は問題を解いた。
間違えた。
「違う。ここをよく見ろ」
「……あ、そうか」
「わかったか」
「わかった」
「フン。覚えが早い」
ナポレオンが、珍しくほんの少しだけ、満足そうな顔をした。
太郎は問題を解きながら、思った。
この人、教師に向いてるな。
もちろん、口には出さない。
調子に乗るから。
夜十時。
全員がそれぞれの場所にいる。
信長は部屋でゲーム。謙信は瞑想。秀吉は父と晩酌。信玄は読書。ナポレオンはランキング防衛。クレオパトラは……何をしているのか、よくわからない。
太郎は布団に入って、天井を見た。
今日一日を思い返す。
自己紹介、うまくいった。
木村、いい奴そう。
図書委員、まあいいか。
家では謙信がテーブル叩いてたけど。
信玄のおやつがうまかった。
ナポレオンの数学、わかりやすかった。
悪くない。
悪くない一日だった。
太郎は目を閉じた。
【ナレーション】
春の夜。
佐藤家の電気が、一つ、また一つと消えていく。
最後まで電気がついていたのは——ナポレオンの部屋だった。
ランキング一位の防衛は、終わらない。
それはまた別の話である。
第三話・了
次回もお楽しみに




