第五十三話:迷宮
暗闇の中を落下しながら、わたくしは、ふわりと冷たい石の床に降り立ちました。
(先生、二人は!?)
『《問題ない。あちらを見ろ。》』
先生の冷静な声に従って視線を向けると、薄暗い空間の中で、ぽよん、という間の抜けた音が響きました。
「ニーナ、大丈夫ですか?」
「は、はい…ぽよぽよして、痛くありません…」
ニーナの戸惑う声。
わたくしが近寄ると、カヤさんとニーナは、巨大な半透明の青いスライムの上に落ちて無事でした。
「これは…カヤさんが?」
「ええ。咄嗟に喚び出しました。私の使い魔の『シズク』です。戦闘力は皆無なのですが…衝撃を吸収してくれて良かったです。」
カヤさんがスライムを撫でると、スライムは嬉しそうに震え、やがてシュルリと縮んでカヤさんの足元の影へと隠れました。
「カヤさん…申し訳ありません!」
ニーナがスライムから降りるなり、深く頭を下げました。
「私の不注意で、依頼主であるカヤさんをあのような危険な目に…護衛として、失格です。」
「わたくしからも謝罪いたしますわ。もっと遺跡の機構を深く解析しておくべきでした。」
わたくしもニーナの隣で頭を下げました。
カヤさんは少し困ったように微笑みました。
「頭を上げてください、お二人とも。古い遺跡ではよくあることですし、誰も怪我をしていないのですから。それに、私が月光草に気を取られて勝手に動いてしまったのが原因です。お二人のせいではありませんよ。」
その温かい言葉に、ニーナは悔しそうに唇を噛み締めましたが、すぐに顔を上げて周囲を見渡しました。
「ここから上に戻れそうですか?」
見上げると、上方に小さく、わたくしたちが落ちてきた穴の光が見えました。
「試してみますわ。術式起動―【空踏】」
空中に風の足場を作ってみましたが…三人分の体重を支えながらこの高さを登り切るのは、どう考えても魔力的に不可能です。
「…駄目ですわ。わたくし一人ならともかく、三人を引き上げるほどの強度は出せません。」
「私も、移動系の魔法は持ち合わせていないんです。」
カヤさんも申し訳なそうに首を横に振りました。
『《ルナイズ、無駄な足掻きはやめて周囲を解析しろ。》』
(分かっておりますわ。…【真理解析】)
この地下空間の構造をマッピングしていきます。
[対象:地下遺跡]
[構造:上層への階段・通路なし]
[特記事項:奥部に高濃度の魔力源あり。防衛機構多数。]
「…上に戻る階段や通路は、物理的に存在しないようですわ。」
わたくしがそう告げると、ニーナの顔が険しくなりました。
「どういうことですか? それでは、この遺跡を作った人間はどうやって出入りしていたのでしょうか。」
「昇降機などの魔術的な手段が用いられていたのだと思います。ここから脱出するには、遺跡の深部…恐らく中枢となる『動力部』に向かい、その機構を確認するしかありませんわね。」
「なるほど…」
ニーナが剣の柄を握り直します。
「カヤさん、申し訳ありませんが、ここから脱出するために、少し奥へ進みます。」
「分かりました。お二人に従います。」
「暗いですね…」
「ここはわたくしが明かりを灯しますわ。術式起動―【灯火】」
指先に青白い光球を灯し、周囲を照らします。
【真理解析】の視界と合わせれば、この遺跡は昼間のように見通せます。
「ここからは、隊列を変更しますわ。わたくしが先頭を歩きます。ニーナはカヤさんの護衛と、後方の警戒をお願いします。」
ニーナは静かに頷きます。
「承知しました。」
「頼りにしていますよ、ルナイズさん。」
カヤさんが優雅に微笑みかけます。
***
先頭を歩きながら、解析で得たマッピング情報を頼りに石造りの通路を進みます。
『《おい、そのタイル、踏むなよ。》』
(言われなくとも分かっておりますわ。)
「ニーナ、カヤさん。そこ、右側の少し色の違うタイルは踏まないように。毒矢が飛びますわ。」
「は、はい!」
「その先の通路、見えない魔力の糸が張ってあります。屈んで進んでください。」
罠の数々は、古びて動作が怪しいものもありますが、解析で構造が丸見えのわたくしにとっては、ただの障害物競走に過ぎません。
「ルナイズ…凄すぎます。まるでこの遺跡を作ったご本人みたいです。」
背後から、ニーナが感嘆の声を漏らしました。
「ただ、どこに何があるか視えるだけですわ。」
順調に迷宮を進んでいた、その時。
『《ルナイズ、前方から来るぞ!》』
先生の警告と同時に、暗闇の奥から、カタカタと無機質な音が聞こえてきました。
「ニーナ、カヤさんから離れないで! わたくしが対処しますわ!」
「はい!」
【灯火】の光が照らし出したのは、子供一人分ほどの大きさの石でできた浮遊する球体でした。
表面には古代の紋様が青白く発光しています。
[対象:遺跡防衛機構]
[状態:敵対]
[弱点:表面の紋様の結び目(魔力供給点)]
[攻撃手段:突進、微弱な魔力弾]
「ゴォォン…!」
球体が突然、猛スピードでこちらへ突進してきました。さらに、牽制するように表面から青い魔力弾を放ってきます。
「させませんわ。術式起動―【魔導盾】」
魔力弾の軌道上に極小の盾を瞬間展開し、弾き飛ばします。
間髪入れず、眼前に迫る石球に対しても魔力を練り上げました。
(術式起動―【魔導盾】、【身体強化】)
突進の軌道を逸らす絶妙な角度でシールドを展開し、球体の勢いを削ぎます。
そして、すれ違いざまに遠心力を乗せたコピシュの重い一撃を、紋様の中心へと正確に振り下ろしました。
「砕けなさい!」
ガァンッ!
重厚な鋼鉄の刃が弱点を的確に打ち据えると、パキンッ! とガラスが割れるような音が響きました。
球体の青い光がフッと消え、ただの石の塊となってガラガラと床に崩れ落ちます。
「ふう…こんなものですわね。」
わたくしはコピシュを軽く振り、鞘に納めました。
「すごい…あの一撃で。」
背後でニーナが感嘆の声を漏らし、カヤさんも安堵したように微笑みました。
「お見事ですね、ルナイズさん。」
「この先、防衛機構が活発になっているようです。ですが、動力部まではあと少し。このまま進みますわよ。」
わたくしたちは頷き合い、遺跡のさらに奥へと足を踏み入れました。




