66 ハイエース(物理)
ハンドルを握る優希を見れば、やたらと前傾姿勢になっていた。
慣れない車だからか、慣れない運転だからか、どっちなのだろう。
エアコンはフルパワーなのに、彼女の額には汗が滲んでいる。
こんな状況でなければ、絶対に運転を任せないレベルの禍々しさだ。
晃はついつい、言わずもがなのアドバイスをしてしまう。
「慌てない、で安全……運転を」
「車が来なけりゃ、大丈夫だよ。たぶん」
たぶん、で不安が爆発するが晃には何もできない。
あるとしても「無事を祈る」とかそのくらいだ。
一方で、優希は運転しながらアリバイ工作まで考えている。
圧倒的にデタラメな状況でも、頭の回転を鈍らせず動けるとは。
そんな優希に対し、晃は好感を超えて尊敬に近い感情を抱きつつある。
だからこそ、数時間前の自分のやらかしは耐え難かった。
「……ごめん、な」
「えっ、何が」
「や、あの、地下の――」
「その話、やめとかない?」
有無を言わせない口調で遮られ、晃は口を噤む。
自分でも、ちょっとどうかと思うタイミングだった。
どうやら、思った以上にどうかしていたらしい。
優希はデカい溜息を吐くと、助手席の方は見ずに呟いた。
「今じゃないでしょ、今じゃ」
可能な限り感情を排しての意見、と晃は受け取った。
だが明らかにそれとわかる分量で、不機嫌さも混入している。
ギリギリのところで、狂った殺し合いから逃げてきたばかりだ。
なのに、自分が積極的に人を殺しかけた瞬間と、ワザワザ向き合ってどうする。
いずれ直視する必要はあるにしても、それは確かに今じゃない。
マヌケさを思い知らされた晃は、謝罪の言葉を述べる。
「重ね重ね、ごめん」
「あのさぁ、晃……『許す』も『気にしないで』も嘘になっちゃうから、もう謝らないで。とりあえず、アレだよ。退院したら、何か奢って」
無理が丸出しな作り笑いを閃かせ、また正面に向き直る優希。
素っ気ない態度なのではなく、単に余所見すると事故るからだろう。
そんな分析をしつつ、晃は泣きたいような気分になった。
もしかしたら、無意識に泣いているのかも知れない。
霜山は、常識や道徳を超えた先にこそ人の真実がある――みたいな主張をしていた。
提唱者があのデブでなければ、説得されかねない含蓄はあった。
だけど、それはおそらく根本から間違っている。
正解が何かはさて措き、晃にとっては納得いかない話だ。
酔っ払っての暴言だけが本音、と断定するような浅さと雑さが拭えない。
人というのは、そこまで単純じゃないはずだ。
地下室で目にした狂乱が、優希の真の姿とも思えない。
表情筋の軋む音まで聞こえそうな、ぎこちない笑顔――
あれを披露した、さっきの優希の方がきっと本質に近い。
晃にとっては、それが揺るぎない真実だった。
そして霜山たちの核にあったのは、人とまともに関わるのを放棄した益体もないエゴイズムなのだろう、と晃は結論づける。
他人を理解できないし、そもそも理解する気もない。
だから見下し、利用し、どうでもいい存在に単純化し、自分を上に置く。
それは楽な生き方にも思えるが、あまりに空疎で空虚だ。
ウツロの中に悪意だけを詰め込んだのが、真の人間であってたまるか。
「うぅ……もう山を、出る……か?」
「うん。すぐに病院だから。もうちょい頑張って」
弱々しく訊いてくる玲次に、優希が明るい調子で返す。
それにしても――霜山たちの犠牲者は、何人くらいなのだろうか。
連中の手口や発言からすると、今回のような殺戮を何度も繰り返しているはず。
しかし、犯人不明の大量殺人事件をニュースで目にした記憶がない。
霜山に桁外れの財力や権力があるとしても、完全な隠蔽など無理だ。
そこまで考えた晃の脳裏に、ふと不吉な仮説が浮かんでくる。
もしかすると、霜山たちは「お客様」でしかなかったのでは。
今回のような「ゲーム」のため、客の要求に合わせて犠牲者や会場を用意し、終わった後は犯罪の痕跡を一切合切消し去る――
そんなフザケたイベントの主催団体が、もし存在していたら。
「まさか、な」
微かな呟きは、音声になったかどうかも怪しい。
馬鹿げた妄想だとは思うが、絶対ないとも言い切れなかった。
そういえば霜山も「掃除屋」がどうこうと言ってたような。
晃が生み出した疑念は、急速に輪郭を濃くする。
二人に伝えるべきか迷っていると、急ブレーキでつんのめった。
咄嗟に手を伸ばし体を支えた晃に、新たなダメージが追加される。
「ふぼぅんっ!? お、ぉ……どう、したぁ?」
「いや、あのっ、あれ! あれっ!」
「ぐぅううぅうぅ……ん?」
晃は限界を突破しかけた体を強引に起こし、優希が指差す方を見る。
呻き声が止まらない玲次も、運転席と助手席の間から身を乗り出した。
車は、軽同士ですれ違うのも無理っぽい、狭い道で停止している。
ヘッドライトが照らす先には、グニャリと潰れた塊があった。
白くて、細くて、傷だらけで、全裸で、髪が長い。
ダイスケたちの仲間――サクラ、だったか。
あの少女がいる。
あの子の死体が、道の真ん中に。
「どう、して」
こんな場所に、こんなものが。
優希が発した問いは、そんな意味だろうか。
いや、もの呼ばわりはモラル的に拙い気もする。
いやいや、それよりも、ここにサクラの死体がある意味は。
晃は状況を読み解こうとするが、乱れた思考が収拾できない。
もう終わったはずだろ、という抗議の声ばかりが反復される。
「と、とりあえず動かさないと、だよね」
「ぅ、あぁ……」
衝撃から先に立ち直った優希に問われ、生返事で応じる晃。
「車に積むの? 積んだ方がいい?」
「そう、すると……事情説明、が」
面倒になる、と続きそうなアドバイスを告げる玲次。
それを聞き終える前に、優希はシートベルトを外しながら答えを出す。
「わかった。じゃあ、道の端に除ける感じで」
外すのに手間取っているのか、ガチャガチャと金属音が鳴る。
それとは別に「ゴン」とか「ドン」とか、大きな音がするような。
どうやら妙な音の出所は、車内じゃなくて車外らしい。
異変を察したのか、ベルトを外した優希は車内に留まっている。
玲次は夜の明けた外を睨み、音の正体を探っていた。
胸騒ぎが止まらないけど、どうするべきかわからない。
そんな晃は、とりあえずウィンドウを全開にしてみた。
冷えた腥い空気が、生温い外気に撹拌される。
不規則な怪音は、車体左側の斜面から響いてくるように思えた。
窓から顔を出して見上げた瞬間、デカい何か視界を占領する。
落石――じゃない。
黒の、ハイエース。
晃に知覚できたのは、そこまでだった。
まずは衝撃。
同時に轟音。
続いて激痛。
そして暗転。
誰かに名前を呼ばれた、気がした。
しかし、応じようにも声が出ない。
耳鳴りは騒々しく、何か焦げるニオイが――




