53 死にそうもない死にぞこないの死
「くひっ――ぷぁあああぁああああっ!」
気合を入れたつもりなのか、口から汁気を撒き散らして叫ぶリョウ。
同時に、ダイスケだったものが無造作に放り捨てられる。
結構な勢いで頭から落ちたが、そこで鳴ったのは『ゴン』や『ガン』ではなく、『ぶちゅっ』という濁った音だった。
「ばふぁーぅ、ぜふぃー、ぷぇっ……ぶふぅー」
リョウの呼吸は荒く、不規則で、咽喉や口内に溜まった血涎がゴロゴロ鳴っている。
サッサと倒れろ、もういいだろ、その状態で何で立ってられんだよ――
間違いなく瀕死なのに、どうしようもなく危険な相手を見据える晃。
互いに素手で、武器になりそうなものは近くに転がっていない。
リョウは限界だろうが、晃も疲れ果てているし、左肩がまともに上がらない。
だけど、それでも――ここまでの流れの中で、最も有利な状況だ。
「もう、ギリギリだろ……寝てもいいんだぜ、ハゲェ……」
五歩くらいの距離まで詰めた晃は、軽めの煽りを入れてみた。
玲次の掲げたランタンは、揺れも収まって肩で息をするリョウを照らす。
目の前のデカブツからは、澱んだ視線と乱れた呼吸音しか返ってこない。
やはりダメージは深く、体力も気力も尽きかけているようだ。
そう読んだ晃は、思い付くまま雑言を紡いでいく。
「なぁ、アンタさぁ……ぶっちゃけ、自分を無敵だとか不死身だとか、そんな風に思ってたんだろ? 自分がケンカで負けるなんてありえない、とかさぁ」
小馬鹿にした口調での問いに、リアクションはない。
「なのに、甚振って遊んでたつもりのガキの反撃で、ボロボロになって……そんで死にかけてるのってさぁ、どんな気持ち? ねぇねぇ、今どんな気持ち?」
クロやリョウからカマされた、癇に障りまくる物言い。
晃はアレを参考にしつつ、薄笑いを浮かべてリョウをコケにし続ける。
本当なら、周囲をクルクル回って質問したいが、そんな元気はない。
リョウは無表情を維持しているが、口の端はヒクついていた。
これがネット掲示板なら透かさず「効いてる効いてる」と書き込んでる。
見た目からして、確実にヤバい雰囲気を振り撒いているリョウだ。
面と向かって罵声を浴びせられたりには、まず慣れてないだろう。
そのせいで耐性ゼロかも、という閃きが晃の舌の回りを滑らかにする。
「あれあれ~? なぁんだか元気がないぞぉ……もしかして『ボクちゃん、ここで死んじゃうのかなぁ。ぷるぷるぅ』って怯えてるのかにゃ~?」
「うるっ……せぇ」
「声が小さいぞぉ、リョウくぅ~ん。そんなんじゃ、ママに聞こえ――」
言ってる途中で、リョウが左足を大きく踏み出した。
そう認識した直後には、巨体が二歩くらい先まで迫っている。
死にかけでも、この機動力――でも、さっきまでより明らかに遅い。
今のリョウの動きだったら、晃にだって追える。
コイツはもう、規格外の怪物なんかじゃない。
「シッ――」
噛み締めた歯を剥き出し、弧の大きい右フックを放つリョウ。
速い――けど、これぐらい避けられると晃は判断。
下半身の力を抜いて地面スレスレに腰を落とし、右手一本で体重を支える。
頭上を拳が通り過ぎる最中、横向きの体勢から左足を水平に全力で蹴り上げた。
その一撃は、勢い任せの突進で浮いていた、リョウの足元を払う。
「おっほぅ、うぅんっ!?」
バランスを崩したリョウは、戸惑いの声を上げてフラつく。
それでも転倒せずに、右足に体重をかけて踏み止まった。
そこを狙い澄まし、晃は同じ姿勢のまま膝を狙った前蹴りを追加。
枯木をヘシ折るのに似た感触が、靴底を通じて晃に伝わる。
「ぬぇごっ――」
リョウは苦痛の悲鳴も、憤怒の絶叫も上げなかった。
ただ驚愕だけを露に、ありえない方向に曲がった膝から崩れる。
何故こうなっているのか、どうしても納得できない――
そう言いたげに歪んだ唇から、細かい血の泡が噴き出した。
「ぐぅうう、うぅううう……」
蹴りの反動で姿勢を維持できず、晃は床に引っくり返っている。
背中を派手に打って、負傷中の左肩もぶつけてしまった。
鋭い痛みが何度も走り、我慢できずに呻きが漏れる。
だが今の晃には、その苦痛を塗り潰すほどの解放感があった。
やってやった。
これで終わる。
込み上げてくる笑いの発作を、唇を噛んで堪える晃。
俯せで倒れたリョウの体は、数秒に一回ペースでビクッと跳ねる。
意識があるのかないのか――何にせよ、必要なのはトドメの一発。
痛みを乗り越えて体を起こした晃は、武器を探して周囲を見回す。
そんな動きを見せたのは、たったの数秒でしかない。
なのに唐突に、重たい何かが晃の腹にぶつかってくる。
「ぼぁっ!?」
肺の空気を残らず強制排出されるような、交通事故に似た衝撃。
短時間で尻と背中と頭を連続して打ち、直後に呼吸困難がやってくる。
何だこれは、何が起きた――混乱の中、晃は自分の首に伸びた太い腕を視認。
片手なのに、リョウは規格外の握力で血流と酸素が止めてくる。
首の骨が軋んでいる音が、だいぶ遠くから聞こえる気がした。
「ぁ……ぅ……」
気道は遮断されて、まともに声も出せない。
視界は銀と黒の明滅に占領され、耳鳴りばかりが喧しい。
圧し掛かられる重さが増えたように思えるが、晃には何もわからない。
不意に首にかかる圧が弱まり、目の前が一瞬だけ拓けた。
薄暗い中で見えたのは、狂気を宿しているリョウの、凄まじい笑顔。
「おばぇ、ぼぉ――じぃい、ねぇ」
生臭い呼気と一緒に、細切れに吐き出される呪詛の言葉。
内容はたぶん、「お前も死ね」という道連れの宣告だろう。
首にかかった五本の指が、再び晃の息の根を止めようとする。
最後の瞬間に見聞きするのがコレってのは、ちょっとイヤすぎるな――
と、危機的状況に相応しくない思考が晃の心に広がる。
「もぁん」
意味不明な一言の後、リョウから生温い液体が吐き出された。
「ぷぇっ! べっ!」
顔面に降り注ぐそれから顔を背け、口にも入った汁を吐き出す晃。
そんなことをしていると、首を掴んでいた腕から力が抜けていく。
顔を雑に拭って見上げれば、驚愕の表情で固まったリョウの顔面。
その口から細長い何かが飛び出している――錆の浮いたドライバーだ。
血肉でベトついた平たい先端が、前歯を裏から砕いて突き出ている。
「ぅ晃ぁっ! 生きてるっ――のかっ?」
「ぐぅぼっ、ぶぁふっ……げっけっ、うぅ……ふぅう、うん……あ、あ、あー……グッ、ゲホッ、だいっ、ぶ……ギリギリ、だけど、な」
二度三度と噎せてから、ノドの調子を確かめる晃。
どうにか出せた擦れ声で応じると、両目から光が消えつつあるリョウのハゲ頭の向こうに、玲次の強張った顔があった。
危ういところで、命を拾ったらしい――
ぐにょんと弛緩したリョウの体を押し除け、玲次の差し出した手を握る。
安心感から気が遠くなるが、晃はどうにか意識を手放さず身を起こす。
自分の血とリョウの血、それに正体を知りたくない苦すっぱい何か。
そんなのが混ざった液体を繰り返し吐き捨て、咳き込みながら深呼吸を繰り返し、晃は息を整える。
「……今度は、助けた。間に合った」
明後日の方向を見ている玲次が、小さく呟くのが聞こえた。
何がどう間に合わなかったのか、想像がつく晃は黙って聞き流す。
横向きに倒れ込んたリョウを警戒し、動かない巨体を凝視する晃と玲次。
二十秒ほど待つがピクリともせず、顔中の穴から粘度の高い血が溢れ続ける。
リョウの顔を思い切り蹴り飛ばし、仰向けの姿勢に移行させる晃。
『プッ、ブブッ――ブボボボボッ』
「くひぁっ!」
刺激に反応したのか、盛大な放屁が生じて玲次が飛び退いた。
間を置かず、屁よりも強烈な異臭が立ち昇り、周辺を汚染する。
身体能力も精神構造も怪物そのものだった、リョウという呼び名の他は何もわからない筋肉ダルマ。
そんな異常な存在が、全ての筋力を失い糞尿をタレ流す死体となって転がっているのは、どうにも現実感の抜け落ちた絵面だった。
「普段ナニ食ってんだ、コイツ」
鼻をつまんで苦情を述べる玲次の言葉で、晃はやっと気を取り直す。
早くこの場を脱して、優希と佳織のところに行かなければ。
今回で5章は終了、次回から最終章が開始となります……
キリもいいタイミングなので「面白い」「やりすぎだろ(もっとやれ)」「最後まで走り抜けろ」という方は、評価やブックマークでの応援をよろしくお願いします!




