学生寮その二
エレベーターから出ると、そこには広めの空間が広がっていた。ロビーに似ているが、大きな机が一つと、イスが何脚か用意されていた。それから調理台と洗濯機も見える。
「ここは共用のラウンジだ。それぞれの部屋にはキッチンが無いから、何か調理するならそこの調理場を使って。あ、あと洗濯もね」
と言う九山さん。ここは共用スペースらしい。寮の個室には最低限の勉学に必要なものしか用意されていないので、炊事や洗濯はこのラウンジで行うらしい。ラウンジは各階に設けられているのだとか。尤も、このラウンジで調理している生徒は少なく、皆食堂で食べるのだとか。
そうだよな……炊事とか面倒だもの。
後は中に入れば分かるから、と言い残して、俺達の部屋の前で九山さんは去って行った。見送ってから何気なく音無に視線を向けると、なんだろう? 少し体を揺らしているようだ。
……分かったぞ。どうやら音無はこれからの合宿生活にワクワクしているようだ。パッと見た感じだと分かりにくいが、何だかソワソワしているから間違いない。フッ、俺ぐらいコイツと長く一緒に居ると、いくら音無が感情を表に出さないタイプだとしても、手に取るように考えが分かるのだ。
「楽しみかい、音無?」
「美崎。ト、トイレ……」
俺は三○六号室の扉に思い切り、自分の頭を叩きつけた。ガゴン! という鈍い音と共に視界が一瞬ブラックアウトしたかと思うと、額から生温かい何かが顔面を伝って来る感覚を覚える。ああ、血だ……。あれ? これ結構出てね?
「み、美崎。大丈夫か? 血が出てるぞ!」
「え? いや大丈夫。いつもこれくらい出てるだろ? うん、いつも通りだよ」
「いや全然!? いつもは出てないぞ!?」
ぐぬぬ……最悪だ! 今すぐそこの吹き抜けからダイヴしたいくらいだ! 本当に幼い時から音無を見ているから、何でも分かるのだと慢心していた。一瞬でもそう思ってしまったのが恥ずかしいし、そんな自分にも腹が立つ!
この時の俺は羞恥心と疳癪で我を忘れ、常軌を逸した行動に出ていた。ちなみに、真顔で答える俺に音無はかなり引いていたようだが、当時の俺は知る由も無い。
「よし、とりあえず入ろうか!」
頭から鮮血を垂らしながら扉を開錠し、二人で中へと入った。入ってすぐの壁にスイッチがあったので付けると、部屋の電気が付いた。
十帖くらいだろうか。小窓のあるその一部屋には簡素な造りのベッドが二つ、机とイスがそれぞれ二対、壁に向かって設けられていた。それから冷蔵庫や薄型テレビも完備されている。
「最低限の勉学に必要なものだけ、ねぇ~……」
学生寮にテレビとか付けちゃう? 勉学には必要ないのでは? いや、でも知識や見解を広める為にはテレビも必要か。うーん、セレブの考えは分からん。
扉内部にはこの部屋の他に、トイレ、バスルームも付設されていた。ユニットバスではなく、しっかりと分かれていた。
俺がトイレを見つけた瞬間、音無が俺の脇をすり抜けて入っていく。俺が押しだされるような形で扉が施錠された。かなりの緊急事態だった様子。俺はその場で回れ右して、今度は床に据え置かれた小型冷蔵庫を開けてみた。上半分は冷凍庫になっているようだ。中は……氷だけか。そうだよな。テレビはどうだろう……あ! ちゃんと番組が見られるじゃん!
*
一通り物色し終えると、目眩を覚えてそのままベッドに倒れこむ美崎。金持ち学校の感覚に目眩を覚えた訳ではないし、朝からの疲労が蓄積していたからではない。……否、忸怩たる思いだが、その二つは正しく作用していた。だがこの目眩の最たる原因は、先ほどドアに頭を強打した事が原因だろう、とも思う。
美崎は自分の額に手を当て、魔法を詠唱する。すると出血が治まり、かさぶたが出来上がった。治癒魔法の一種である。自然治癒力を高める程度だが、軽傷ならば即座に完治する。あと数分もすれば、傷跡も目立たなくなるだろう。
その頃、トイレの水洗の音が聞こえ、音無が出て来た。美崎がベッドで寛いでいるのを発見すると、隣のベッドへと音無も飛び乗るのだった。その姿は少女然としていて、とても微笑ましいと美崎は感じていた。
「俺は顔を洗って、血を流してくるよ」
そう告げると、美崎はシャワールームに向かう。衣服に血痕が付着してないのを確認して、美崎は胸を撫でおろした。
もしこのスプラッター状態で教室へ向かって「やあ、こんにちは。今日から君達の授業を受け持つ事になったよ!」などと挨拶しようものなら、赴任初日からサイコパスだと思われてしまう。生徒や職員らに殺人罪や傷害罪を疑われた挙げ句、美崎のバラ色の学園生活が瞬時に灰塵に帰す様が想像できた。
(まぁ別に、二週間だけだし。何があっても大丈夫だとは思うけどなぁ)
今の美崎は今朝からの疲労感も相まって目は充血し、目元にはクマ、と言った様相だ。何を勘違いされても文句は言えない。しかし当人にとって、妙な噂を流されるのはゴメンである。
*
俺が顔を洗って部屋へと帰って来た時、音無はと言うと、机の上にドライフルーツをぶち撒けていた。床に落ちてしまった幾つかを拾って暫し眺めては、まだ食べられるかどうかを吟味しているようだった。「それはやめときなさい」と捨てるように命じる。落ちた物を食べて、腹を下されても困る。
さて……どうするか、と思案する。授業開始まで、まだ少し時間があるからだ。
とりあえずテレビをつけて眺めていたが……面白い番組は放送していなかった。時間もまだ午前中であり、バラエティやドキュメンタリー、アニメや映画などは大抵、夕方以降に放送されている。目下流れているのはワイドショーとニュース程度であった。
そういえばロビーに自動販売機があったな、と思い出す。何か買っておいて、冷蔵庫にでも入れておこうかと考える。
「音無。自販機に行くけど、一緒に来る?」
手持無沙汰だと思い音無を誘ってみたのだが「私はいい」と、ベッドに寝転がったまま断られてしまった。そして当人はと言うと、そのまま寝息を立てて眠り始める始末であった。
「無理強いも良くない、か……じゃあ、ちょっと行ってくるよ」




