時間はたまに、直線じゃない
夏の虫たちがじりじり、りんりんとあちこちで思い思いの鳴き声をあげている。湿気が纏わりつくようで少しだけ蒸し暑いけど、どうやら日陰にいるらしく、日中の肌に突き刺さるような暑さではない。
「……。……て、……っと、おき……、はやて……」
名前を呼ばれて、身体をぐらぐら揺すられる。ただでさえ頭がぐわんぐわんとまわっているような気持ち悪い状態なんだから、ちょっと優しくしてくれよ……なんて思いながらも、恐る恐る瞼を開く。すると、目の前には幼馴染である西依いろはの顔があった。
「お、おお……。んん……?いろはか……」
「何を寝惚けてんのっ」
言われて左右を見回すと、そこはいつもの山麓の神社だった。現在地を厳密に言うと境内の端の方の薄暗い木陰で、もうここ数日で見慣れているその場所その景色を前にしてほっと一息なでおろす。
「帰って来れたんか……」
「そうみたい。ほんま、不思議な体験やったなぁ」
「不思議で済む話か、これ……」
「不思議は不思議やったやろ?」
「まぁ、そうやけど……。言っても誰も信じへんやろうな……」
釈然としない気持ちを、がりがり頭を掻いて誤魔化した。
「……ん?」
動く気配を視界の端で感じて神社の入り口にちらりと視線を向けると、鳥居の前で人影がペコリと一礼しているのが見えた。もう夕暮れ時で薄暗くハッキリと顔は見えないが……、自分達の高校の制服を着ている女子生徒だということはわかった。自分達以外にもこんな神社に参拝に来る人間が、しかも同じ学校に居るだなんて思いもしなかったので、物珍しさにその参拝客をジロジロと遠目で見る。いろはも同じ感想を持っているようで、境内をゆっくり進むその女子生徒の姿をじっと見ている。どっかで見たこと有るような、そんな佇まい。まぁそんなに大きな学校じゃないし、すれ違ったことのない生徒の方が珍しいような環境だ、既視感くらいあるだろう。そんな風に思っていたのだが……ちょうどその女子生徒が手水舎で手を洗うために立ち止まり方向転換したおかげで少しだけその顔が垣間見えて、そして次の瞬間……
「わっ、わたしっ!?」
となりのいろはが思わず大声を出した。俺も声こそ出さなかったものの、それこそ叫ぶ一歩手前だった。そう、いろはが叫んだように、そこには制服姿の西依いろはが居たのだ。静寂に包まれている境内ではちょっとした声でもよく響く。私服いろはの声に反応した制服いろはが手を清める事を中断して顔をあげ周囲を見回している。俺達は反射的に「彼女に自分達の姿を見られてはまずい」と判断して木陰の薄暗闇に身を潜めて息を殺す。
「……」
「……っ」
十秒か二十秒か経って、制服いろはの中で今の叫び声は気のせいだということになったのか中断していた手洗いの作業を再開して、そのまま拝殿へと歩いていった。ひとまずバレなかった事にそっと息を吐いて、ひと安心。…………いやいやいやいや、ひと安心じゃない、なんなんだ、どういうことだこれは、なんでいろはがまたしても二人居るんだ。しかも今度はさっきの小学生いろはと違って高校生のいろはだ。もし鉢合わせになったら、きっと誤魔化せない。あぁ、今度はいったい、あのお参りしているいろはは一体“いつ”の西依いろはなんだ。未来か?過去か?
じっと。ただじっと音や風さえも立てないように物陰に二人で潜んでいると、制服いろははお参りを済ませてどこか満足げな様子で神社を後にしていった。
それを見届けてから、隣の私服いろはは、ぷはぁーと大きく息を吐いた。
「いやぁー……、子供の頃の自分ならまだ全然ありなんやけど、ほぼ同じ年齢の自分を目撃するって結構心に来るものが有るな」
「俺には想像できんわ……。っていうか、キツネ様は俺らをどこに飛ばしてくれたんや、全く。同じ年くらいのいろはがいるって、一体、今は何年の何月何日なんやろ。それともまだ、神様の棲家とやらに迷い込んだままか……」
「いや、多分これ、ついこないだの木曜日やと思う」
いろはが小声で、だけど確信を持ったふうな表情で言った。
「木曜日……?」
「うん、つい3日前のことやから覚えてる。お参りしようとしたら変な声聞こえたのが木曜日やった。あの時は気のせいかなーって思ってたけど、あれ、私やったんかぁ……」
いろはは納得ーと言わんばかりに一人でうんうんと頷いている。いやぁ、全然意味がわからない。なんで素直にもとの場所に帰してくれないんだよキツネ様は。子供いろはを助けて、それで終わりじゃないのか?
俺はそう思いながら山を見上げる。他人が今の俺を見たらよっぽど恨めしい表情をしているに違いない。しかししかし、さっきも言っていたことだが、あの神様は無意味に人間をおちょくったり化かしたりして楽しんでいるフシは全く無くて、それどころか全て自分達の行動や考えを本来のあるがままに導いてくれているような気がする。導くというよりは、自覚するというのだろうか、この一連の騒動で色々と自覚できた。……と、自分では思っている。
となりのいろはを見ると、じっと顔を見られていたようでバッチリ目があった。なんだか照れくさくて、少し強引に話題を振る。
「キツネ様、意味もなくこんなことはせーへんやろうな……」
「……うん。まだ、やることが有るんかもね……」
いろははこちらから目をそらして、地面の砂地に英語筆記体小文字のlの字の書き順でするりと◯を描いてみせた。そのいろはが書いた◯のように、どうやら時間の流れは必ずしも真っ直ぐではないらしい。遠回りしてこじれてまた遠回りして、やっと元の位置に戻るなんてことがあるのかもしれない。というか今まさにそれを体験しているから、あるのだろう。こうも自信たっぷりに言えるのである。
とにかく、いろはの記憶が正しいなら今日は木曜日。俺からすると5日前へのタイムスリップである。今度はこの木曜日に誰を助ければ良いんだ?ん?……そんなふうにこの時間旅行の意味を、半ばヤケクソで姿の見えない神様に問いかけてみる。
……木曜日。
そう、こないだの木曜日。
それは俺の家に、あの差出人不明の封筒が入っていた日。
…………。まさか。
「いろは、さっきの、ちっさいお前が持っていた封筒あるか!?」
「え、あぁ。あるけど……」
「見せてくれ、すぐにっ」
「わ、わかった……」
いろはがカバンの中から出したそれをひったくるように手に入れて、じっと見てみる。
「似てる……。汚れ方まで似てる!」
「似てるって?」
「いろは、俺のとこに届いた封筒も出せ!」
「……俺のとこって……あぁ、はいはい」
そして今いろはにカバンから取り出させた封筒は、木曜日に俺の家に届いていた封筒だ。そしていろは(小)がもっていた封筒といろは(大)に預けていた封筒を並べて見た。似ているどころか、ほぼ同じものだった。ほぼ、と表現したのは俺が預けていた方の封筒の方が若干の汚れや皺がついているから。しかしそれ以外は完璧と言っていい程似ている。この宛名を書いた人間でもここまで同じ筆跡の字を二度書くことはまず不可能だろうと思うレベルでそっくりだし(カーボン紙でも使ったのかってレベル)、泥汚れのつき方、かすれ方なんかも全く同じだ。
隣のいろはもその事実に気付いたようで、口をぽかんと開けて言葉を失くしている。
「これって、多分……そういう事やんな……」
「つまり……」
「この謎の封筒をうちのポストに入れたのは、他でもない……」
俺だったんだ……!!
中に入っていた鍵は、さっきいろはが傾斜の上からゴロゴロ転がり落ちた際偶然見つけた。この鍵を封筒に入れて家のポストに入れておけば完成。なるほど繋がった、そりゃあ直接渡せない訳だ。そうすれば、あとは勝手に時間が繰り返すのだろう。そうとわかれば、早速この手紙をうちのポストに――。
「……そう言えば、今何時やろ」
腕時計等をしていない俺達は、自然と携帯電話を取り出した。ディスプレイは先程までのとんでもなく壊れた表示ではなく、それぞれの携帯電話は18時35分を指し示していた。電波も繋がっている。
「携帯って、タイムスリップした時も時刻対応してくれるんやろうか」
「そんなん知るわけないやろ」
「あ、でも今はやてに電話かけたら、どっちの携帯につながるんかな!?すっごい気になる!」
「いやいや、絶対試すなよ!?」
そんな風な、少し間抜けで確かに気になる会話をしていると、いろはが「あ」と何かを思いついたようだ。「どうした」と言葉にすることを促す。
「なぁはやて。木曜日は何時くらいに家帰ったん」
「何時くらいって……帰った時にテレビやってて、確か表示が18時45分くらいやったような……。……あっ」
そこまで言って、まずいと気付く。
「大変や、はやて、あと10分もないっ!」
そう。この現在では、木曜日の俺が学校から自転車で帰宅の最中の筈だ。そして俺が家に帰った時、ポストには既に封筒は入っていた。この携帯電話の時刻表示が正しいのならば、いろはの言う通り、木曜日の俺が帰宅するまで、もう10分も無いということだ。それまでにこの手紙を投函出来なければ、俺の知っている現実とは食い違ってしまう事になる。
「早ようちに行かな!」
「うんっ……いたたっ」
立ち上がり駆け出そうとするも、この一連のなんやかんやで忘れていたがいろはは足を挫いていて、立ち上がるのも辛そうだ。ここに置いていくのは、……嫌だと思った。だからいろはに背中を見せて地面に屈んだ。
「ほらっ、背中乗れ!」
「えっ、でも……」
「いいから!はよせんと、間に合わんくなる!」
「っ、わかった!」
いろはが足を庇いつつ俺の背中におぶさったのをしっかり確認して立ち上がり、境内を飛び出した。
部活終わりに山に迷い込んで、何時間も山道を彷徨って、その上、小柄な女性とはいえ背中に人間をおぶってさらに歩き回って……正直俺の足腰もかなり悲鳴をあげている。地面を踏みしめるたびに足の裏や膝に鈍い痛みが走るし、太ももは乳酸が溜まりまくってる。
だけどここで走らなきゃ、これまでの事が全部台無しになってしまう気がした。失敗したらどんな現実が待っているのかはわからないけど……何にせよ、この自分の首に回された細い腕も、首や背中に感じる呼吸や温度も、もう失くしたくない。……それに、あの転校生とは、多分あんまり気が合わなさそうだしな。
汗だくになりながらも、ようやく自宅に辿り着いた。ガレージを覗き込んだが、自分の自転車は無いので木曜日の俺はまだ帰ってきていないらしい。間に合った!
「いろは、封筒とカギ!」
「はい、これっ」
既に背中で用意していたらしく、顔の右横からひょこっと封筒が姿を見せた。すぐさまそれを左手で受け取り、ポストへと投函……
「あっ、でもちょっと待って!」
「なんや!」
「メモ!」
「メモ!?」
「『大事なカギ、なくすな』って書かれたメモ!入ってたやん!」
「あぁ、そうか、そうやった、でも俺メモ用紙なんか持ってへんぞ!」
「私ルーズリーフとペンあるっ」
いろははそう言って背中でゴソゴソとカバンを弄って、俺の肩甲骨あたりを机にして紙に文字を書いている。
最初は「もっとわかりやすくメモ書いてくれよ」と思っていたが、こういう事情だったのか……。あぁ、なるほどなるほど……。
メモを封筒に入れて、今度こそ郵便受けに投函。
「今度こそ、これでええやろ……」
そう言ってため息を吐いた時だった。
「はやてっ、どっか隠れなっ……!!」
「えっ」
肩を叩かれつつ言われた言葉に、俺ははっと首を回して道の向こうを見ると、自転車に跨った俺がこちらへと走ってきているのが道の向こう、遠くに微かに見えた。確かに、自分の姿を客観的に見るのはなんか精神的にキツイ……って、そんな事を言っている場合じゃない!うちの前は一本道で、今からここを立ち去ったら絶対に姿を見られてしまう。かと言って人間二人が隠れられるような物陰は周囲に見当たらない。
「こっちやっ」
俺はいろはをおぶったまま、咄嗟に自宅のガレージに置いてある物置に駆け寄り引き戸を開く。篭っていた熱気と独特の埃っぽい匂いがむわっと溢れ出る。車の洗浄用道具やら自転車の空気入れやら、とにかく色んなものが中にしまい込まれているが、無理をすればギリギリ人間二人が入れるくらいのスペースがある。
「え、ええっ、ここ!?」
「ちょっとの間やっ」
いろはを背中から下ろし先に物置に迅速かつ丁寧に押し入れると、俺もそれに続いて中に入り、内側から急いで扉を閉める。物置は中から閉められるようには設計されていないのでほんの少しだけ閉めきれずに隙間が出来てしまうが、同時にすぐ近くでキキィ、と自転車のブレーキ音が聞こえた。そして「よいしょっと」という呟き。我ながら年寄りくさい自転車の降り方だ。
暗闇の中、俺はいろはと至近距離で顔を見合わせる。お互いの呼吸が顔をくすぐるくらいの近さ。カラカラと自転車の車輪が回る音と共に足音がさらに近づいてくる。ヤバいくらいに心臓がドキドキした。何に対してのドキドキなのかはもうこの際どうでもいいが、とにかくうるさいくらいに鼓動が鳴り響き、流石に聞こえないだろうとは思ったけど、なんとなく恥ずかしくていろはから顔を逸らす。
ガレージを歩く足音は止まり、ガチャンと自転車のスタンドを立てた音が聞こえた。そして足音は少し遠ざかり、郵便受けを漁る音。離れたとは言え、この距離でも物音を立てれば必ず怪しまれる距離だ。
俺はこの時、何秒くらいあの封筒とにらめっこしていただろうか。………………長い。嫌な汗が背中をつつっと滑っていく。目の前のいろはも足が痛むのか、表情を曇らせたり時折居心地が悪そうに僅かに身体をよじっている。
そして、ようやくガチャリと玄関扉が開く音が聞こえて、ただいまーという少々くたびれた声と、扉が閉まる音が聞こえた。
それでもまだ安心出来ずに少しの間外の気配に聴覚を集中させる。…………うん、何も聞こえない、大丈夫そうだ。そっと物置の扉を開き周囲を伺いながら外に出る。いろはも足を庇いながらそれに続いて外へと出てきた。
「あぁー、なんとかなったな……」
「……そやね。あとは、過去の私らに頑張ってもらおう」
「ちょっと気の毒やけどな」
「ふふ、確かに」
「ま、自分ちとは言え長居は無用やな。今度こそもう解決したやろうし、神社に戻るぞ」
「おうっ」




