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噛んで下さい、お願いします

 あれからどれくらい経ったか、手をつないだままキツネ様を探し続けたけれど、緊張しすぎて、ある意味それどころではない。手汗がすごいけど、だからと言って手をはなすのも嫌で(というか、下手に手を離すとこの男はもうそういう事をしてくれなくなりそうな気がする)、常にどうしようどうしようと思考がせめぎ合っている。注意力散漫である。するとはやてが急に立ち止まり、私にこう言った。


「ごめんいろは、ちょっとお茶もらっていい?ずっと歩いてたから喉渇いて……」

「え、あ、うん」


 よし。なんとか自然な理由で手つなぎを解除。カバンの中のタオルで掌をばれないように軽く拭ってから水筒を取り出し、コップに適当な量のお茶を注いで手渡した。はやてはそれを一息に飲み干すと「ありがとう」とコップを返却してきた。言われて見れば私も喉が渇いていて、今度は自分用にとお茶を注いで口の中を潤した。だけど水筒の中身は無限じゃないし、チョコレートはまだあるけれど、このままずっと山の中を彷徨い続けたらもうそれは遭難って言えるんじゃないだろうか。遭難しかけの6歳の自分を助けておいて、16歳の自分がその場で遭難だなどと……なんて間抜けな話だろうか。ある意味世界でたった一人の経験だけど死んじゃったら元も子もない。お茶を一滴たりともこぼすまいとコップをしつこく傾けて飲み干した。

「よし、捜索再開しよう」

「うん」

 もう一度、どちらからともなく手をつなぎ直して歩き始める。


 山の上の方に来ると、人間が歩く道も少しずつ狭かったり傾斜がきつくなったりする。右足のかかとあたりに違和感と言うか、明らかな痛みを感じてきた。これは間違いなく靴擦れだ。一応スニーカーだけど、あんまり履きなれてない奴だったのもあって……というか、こんだけ山道うろうろしたら普通の人は靴擦れの一つや二つ出来ますよ。隣の男は普段からテニスばっかりで足の皮ガッチガチみたいだけど。絆創膏も確か鞄に入れていた筈だから、それを貼れば少しはマシになる筈だ。次の一歩で一旦立ち止まらせてもらおう。そう考えて傾斜に足を掛けた瞬間、ずるりと足が滑った。身体のバランスが崩れる。お腹の底がひゅっと寒気が走った。


 こけてしまう!


 そう思って、つないだ手に力を込めるが、またしても手汗で手がぬれていて、ずるりと滑る。


 手汗の、あほーっ!!


 はやての掌から私の指がするりと解けていくのが、やけにスローモーションで見えた。あぁ、なんか色々な思い出が視界の端にちらちら見えては消えて……これが、走馬灯……。そして私の身体は急斜面をゴロンゴロンと転がっていき……もうどこが痛いとかぶつけてるとか判らないままに転がり落ちて、気がつけば仰向けになって寝転がっていた。


「いったぁ……」


 とりあえず、生きてはいた。


「いろはー!!大丈夫かー!!!」


 傾斜の上から、転がり落ちないように、しかし出来うる限りの速度でこちらに降りてこようとしているはやてが私に向かって叫び声をあげている。全身が痛いとかそういうのよりも、転がり落ちたショックで放心状態の私は「たぶんー……」と力のない掠れた声で返事をする事しか出来ない。無事斜面を滑り降りてきたはやては私に駆け寄ると心配そうに顔を覗き込んでくる。大丈夫、私。顔とか泥だらけじゃない?そう訊きたいけど、なんか声が出にくい。でもまぁ、大丈夫な気がする。あ、でも、ジーパンで良かった。何が良かったんだろうか。頭がまだちょっと混乱している。


「大丈夫か、頭打ってへんか?」

「頭は大丈夫やけど、あちこち痛くて……」


 いつまでも土の上で寝ころんでいる訳にもいかず、両腕を地面について起き上がる。するとはやてが手を差し伸べてくれた。紳士になったなぁ……、とそんな妙な感慨深さを感じながらその手を遠慮なくとって立ち上がろうとする。しかし、今度は左足首に痛みが走る。


「いたっ……」


 あぁ、これは捻挫だ。ひどくは無さそうだけど、歩き続けるのはちょっと、いや、かなり厳しそう。本当に、なんてことだ。この状況、ますます遭難に近づいている。足首を思わず手で押さえる。


「足捻ったんか……」

「えっと……」


 このままでは文字通り、はやての足を引っ張ってしまう。


「しょうがない、俺がおぶったる」


 絶望に暮れていた私にはやてがそんな事をいう物だから、予想外過ぎる彼の言葉に少しぽかんとしてしまい、少ししてから意味を理解した。


「おぶったるって、あの、おぶる?」

「他にどのおぶるがあんねん。おんぶしたる」

「い、いやいやいやいや、大丈夫っ、歩ける歩ける、おんぶは悪いって」


 とりあえず全力で拒否しておいた。申し訳なさすぎるし恥ずかしすぎるしで想像しただけで、あーもうダメだ、手汗どころの話じゃない。歩けることをアピールしようと慌てて立ち上がるが、左足首に激痛が走り思わず顔をしかめてしまった。口からも「いたっ」って声が意に反して漏れてしまう。


「ほら痛いんやろ。嫌かもしれんけどさ、お前をここに置いて行くわけにもいかんし我慢してくれ」

「い、嫌とかじゃ、ないけどさ……」

「ほら、ぼそぼそ言っとらんと」


 そう言ってはやては私に背中をむけて地面に屈んだ。


「わ、わかったよもう……。あとで重いとか言ってもしらんからね……」


 一応念押しして、はやての背中におぶさった。すると、私ひとり背負うくらいなんてことないと言いたげに軽々と立ち上がって、傾斜を昇り始める。こないだ自転車二人乗りした時は重いとか言ってたくせに。



 *


 俺は健康な男子高校生だ。

 だから、この状況に全く邪な気持ちが無いか?と問われれば、はいとハッキリ言い切る事はきっと出来ない。先に心の中で謝っておく。すまんいろは。白いキツネ……様を探すための視覚や聴覚よりも、背中や手の触覚に比較的神経が集中している事を……お許しください。だけど状況が状況で、下手をしたら本気でこのまま遭難して誰にも見つけられないまま仲良く山の一部と化してしまう。それだけは避けたいので、……山の中を宛てなく歩く。ここは自分達の生きている場所ではないから白い狐を探してガブッと噛んでもらい元の場所に戻ろうという考えでそれをしているのだが、その考えは失敗だった、と今になって思い始めた。ここがたとえ10年前の世界だろうが、麓の街に戻ったほうが圧倒的に安全だし、寝床もあっただろうし、背負っている彼女にこんな怪我をさせることもなかったのかもしれない。背負っているためいろはがどんな顔をしているかは分からないが、彼女の怪我は半分以上自分の責任だ。こいつがもし俺の足を引っ張っているなんて思っていたら、それこそ申し訳ないと思った。あぁ、なんでも良いから白キツネ……様、早く姿を現して下さい。そんなふうに思いながら山道を歩く。


「んん~……」

「……?どうしたん」


 突然いろはが耳元で小さく唸り声をあげるから、何事かと問いかけてみる。


「いや、さっきのさ、私の居ない世界が出来上がってー、みたいな話なんやけど」

「優等生な転校生が代わりに居た話か」

「うん。おばあちゃんが言ってたこと、色々思い出してて……。昔な、「神様ってどこにおるんやろうな」ってなんとなく訊いた事があって、どーでもいい世間話のつもりやったんやけど、そしたらおばあちゃん真面目に答えてくれて。「人間の世界とは別のところ。今でも昔でも未来でもない、時間とは無縁の場所にいらっしゃる」って」

「なんか難しいな」

「それ、私と同じ反応やわ。でも今になって……もしかしたら、それがここなんじゃないかなって思えてきて。さっき、はやても言ってたやろ。他の人と全く会わへん声も聞こえへんって。キツネ様に噛まれたのは、招待されちゃったんかもしれへんな。神様の棲家に」

「な、なるほど。そういう発想なぁ……」


 だんだん、納得しろとか出来ないとかそういう次元の話じゃなくなってきた。携帯電話が通じないどころかカメラさえ不思議なパワーで妨害されてしまうこの不思議空間を、所詮田舎の中でもぼちぼちな学力しか持ち合わせていない高校生の俺達がいくら頭をひねったって、理論的に説明できる術など持ち合わせて居るわけないのだ。ここは神様の家。携帯電話は禁止です!撮影はご遠慮願います!非常にシンプルで良いかもしれない。


「人間は映画のように順番に最初から物語を見るけれど、神様はその映画のフィルム一つ一つに描かれた絵を全て同時に見ることが出来る。一つの絵を入れ替えただけで、その後に描かれた絵も目まぐるしく変わっていく。いろんな可能性の世界が見えている。私が居ない“もしも”の世界もさ、きっとゴロゴロあるんやない?」

「……ほんじゃあ俺が体験したお前が居ない世界も、そういう事にしとくか」

「うん、そういうことにしとこう。さっきの小さい頃の私もきっと招待されちゃって、それでさっきので元いた人間の世界、時間に帰れたって事で」

「俺らも招待されたとしても、そろそろお暇させてもらいたいわ……」

「キツネ様、おらへんなぁ……」


 額に汗が浮いてきたし、流石に足にも疲労が来ている。ゴールの見えない散歩は普通の倍疲れる。今の自分達には闇雲という言葉がよく似合うな、なんて思ったりした。でも、何度も経験した通り、キツネ様は神出鬼没。いきなり転機が来てもおかしくない。そう、それはいきなり――。


 スタタタタと軽快な足音を連れ、森林の向こうから木々の間を縫うように白い影が駆けてくる。


「おおっ、はやて、キツネ様やでっ」

「……あぁー、やっと会えた……」


 思わず俺は安堵の息を吐いて首の力を抜いた。根拠なんてまったくないのに、もう大丈夫だ、なんて安心してしまう。白いキツネ様は俺たちの目の前で立ち止まり、相変わらずの青い瞳でじっと見上げてくる。いろはは怪我をしている足をかばいつつ俺の背中から地面に降りた。涼しくなったけど、正直少し寂しい。


「さ。噛んで下さいお願いします」


 いろははそう言って右掌をキツネ様に差し出して、俺も同じように差し出した。すごく変な光景だがもういちいち気にしない。俺もさっさと噛んでくれ。


「……?なんで噛んでくれへんの……」


 キツネ様は何故か俺達が差し出した右手をじっと見つめるだけで噛み付こうとしない。しかしその場から動こうともしない。何か、タイミングを計っているような……そんな様子に感じた。……っていうか、そのセリフは使う機会少なそうだな。そんなどうでもいい心の中のツッコミを読まれたせいなのか何なのか、突然キツネ様は素早く俺の右手に噛みついた。


「痛っ、やっぱ痛い!!」


 不意打ちの痛みに思わず声を出していると、隣のいろはも間髪入れずに噛みつかれて「いたー!!」と声を上げている。そして例のごとく……麻酔が回るのってこんな感じなんだろうか、意識が失われていってその場に倒れる。いろはも同じように横で倒れているのが見えたので、何となく、微かに残る意識を総動員していろはの手を握ると、弱々しくも握り返してきた。突然この状況に見舞われたさっきとは違って、あぁこれでようやく帰ることが出来るんだという安心感に包まれながら……俺は意識を手放した。

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