なんとかなる
「いろはちゃん、その封筒貸して。お姉ちゃんはまだ手キレイやから、入れ替えたげる」
そう提案したけれど、“わたし”は手紙の中身を見られるのが恥ずかしいようで身体をもじもじと揺らして手に封筒を握りしめている。ほほほ、かわいいな子供のわたし!
「大丈夫、中身は絶対みーひんからさ!」
「絶対?」
「絶対」
「絶対に絶対??」
「絶対に絶対!」
「絶対に絶対に絶対?」
「絶対に絶対に絶対!!もひとつおまけしとこうかっ?」
すると、“わたし”がおずおずと手の中の封筒を私に差し出してくれた。私が“わたし”の信頼を勝ち取ったのである。私自身、どんな手紙を書いたのかまではあまり覚えていないけれど、今読んでもきっと赤面ものの恥ずかしい文章が書かれているんだと思う。だけどそれは二度と同じ言葉では表せない、その時の私が文字に起こした大事な気持ちだ。だから私はこの手紙を20歳のあなたに読んでもらいたいと、心から思う。封筒を受け取って、箱の中に入った封筒も取り出して、手紙の中身は見ずに迅速かつ丁寧に入れ替える。そして手紙入りの封筒をそっと箱の中に入れて蓋を閉じた。
「これで、オッケーかな??」
「うん。ありがとう」
「あ、この封筒……」
シワが寄って土で汚れている、今はもう空の封筒。書いた人に渡そうと差し出したが、ぶんぶんと首を横に振って受取を拒否されてしまった。というか、私も書いた本人なんだけどさ。
「いらない。きねんに、あげる」
「……あはは、ありがとう」
何の記念だよ、わたし。今は、流石に自分の笑顔がひきつっている気がする。
「ほんなら、箱にカギかけてもっかい埋めるか」
はやてに促されて、蓋についているカギをしっかりと施錠してからそっと穴に戻すと、例の木の枝で今度はどんどん穴に土を流し込んでいく。5分ほどで箱は埋まり、はやては埋まった場所に枝を刺してから両手をパンパンと叩いてくっついている木くずや土を落としている。
「いろはちゃん。じゃあ、このカギは渡すから……今度はなくしたらあかんで」
「……うん」
“わたし”は私からカギを受け取ると、リュックサックについている小さなポケットの中へと丁寧に入れてしっかりとチャックを閉じた。そして“わたし”は、じっと私のことを見つめてきた。
「なに?どうかした?」
「あのさ、おねえちゃんはな、なんでいろはのこと、こんなにてつだってくれたん?」
「なんでって……。うーん、理由を訊かれると……」
まさかここに来て、「あなたは私だから」なんて言うわけにもいかないし……。しかしよくよく考えてみれば、悲しげに泣いている人や困っている人を見かけたら、私はいつもどうして来たかと問われると……。
「まぁー、うん。そういう性分ですから。へへへ」
理由なんてそんなもんで十分でしょうって感じで微笑みかけると、“わたし”は「しょうぶん?」と反芻して首を傾げていた。あぁ、小学生のわたしには難しかったかな。
「困った人を見ると、なんとなく首突っ込んじゃうの。そういう性格だってこと」
「そっか。……ありがとう、おねえちゃん、あとおにいちゃんも」
「俺はついでか」
はやては苦笑いを浮かべている。
「わたしも、おっきくなったらおねえちゃんみたいな人になりたい」
「……うん、なれるよ。絶対なれる」
断言します。なれます。大変なこととか、へこむこととか、腹が立つこととか、楽しいこととか嬉しいこととか、……本当にいろいろな事が起こると思うけど、頑張ってね。
私はそう念じて、“わたし”の頭を優しく撫でた。
用事も済んだし、あとはこの小さな“わたし”を麓まで送るだけ。そうだ、お父さんとかお母さんとか、すっごい心配してて、私が帰ってきた時なんてわんわん泣いてたんだ。今考えたら本当に申し訳ないことしたよ。早く帰してあげなきゃ。
そう思って、山を降りる方の道へと足を向けた時、またしても白いキツネ様が道の真中で仁王立ちしていた。
「キツネ様……」
今度は私達をどこかに導こうとかそういう感じではなくて、とことことゆっくりと歩み寄ってきた。
「白いいぬや」
犬じゃないぞ、キツネだぞわたし。キツネ様はそんな失礼発言をした小娘に天罰を与えるつもりなのか、“わたし”の真ん前で立ち止まるとじっとその青い目で“わたし”を見ていた。一体次は何をなさるつもりなのですか、と期待と少々の不安が入り混じった心持ちで様子を見守っていたのだけど、先に動いたのは“わたし”の方だった。なんとなんと、右手をキツネ様の頭の上に動かそうとしているではないか。まさか、ナデナデするつもりなのか、その白く美しい毛並みをナデナデするつもりなのか――。しかしそれは未遂に終わる。キツネ様は、“わたし”が差し出した手をがぶりと噛んだのだ。
「いたああーー!!」
「「ちょっ」」
これには隣にいたはやても驚いて、二人で同じ声をあげてしまった。しかしキツネ様はひと噛みしただけですぐに“わたし”の右手を解放した。そして“わたし”は意識を失ってその場で倒れてしまった。これって、まさか……。
次に瞬きをしたその瞬間、“わたし”は視界から跡形もなく消え去ってしまっていた。キツネ様もそれを見届けると、さささっと私達のもとから走り去ってしまった。
「……なぁ」
「なに?」
「わかるか、これ」
「わからんけど……」
「やんな……」
呆然として、二人で立ち尽くす。やっぱり夢なんじゃないかと思ってしまいたいけれど、醒める様子はまだまだ無い。
「とりあえず……これで、小さい頃のお前を助けたって事でオッケーなんかな……?迷って帰って来れなくなった過去はなくなって、明日学校に行けば、俺の前の席は東京からの転校生じゃなくてお前の席に戻ってると」
「それは、多分……」
「多分」
「だって私にだってこんなんわからんもん」
「そらそうか……」
「そらそうよ……」
というよりね、私達には明日の事なんかよりももっと非常に大きな懸案事項があるよね。
「なぁ、私らここから、どうやって帰ればいいんかな」
「あ」
そう。「ここ」と言ったのは、「ここ」ではなく「ここ」。……あぁ、なんか詩的な表現をしてしまった。つまりこの山のある場所から自宅に帰るのなんてなんら難しい話ではないんだけど……、ここで過去の“わたし”に出会ったという事は、未だに信じられないけど、時間とか空間とか、なんかそういう感じの概念をすっ飛ばしてしまっている可能性が非常に高い。でも私達がそんな状況に遭遇しているのは、人類の夢であるタイムマシンを発明した訳でもなんでもなく、二人そろってキツネ様にガブっと噛まれて気付けばここに居たというだけのシンプルに不思議な理由。だから、ここが自宅近くの小高い山だとしても、あー良かった疲れた疲れたって家に帰ったら若いお父さんお母さんと私と……うん、全体的に10歳若い西依家に出迎えられて、お前は誰だーって豆とか塩とかお酒とか投げつけられる可能性もあるってことだ。あ、想像したら結構凹んだ。
「もしかしたら、もう一回噛んでもらえれば戻れるのかもしれん」
「噛んでもらうって言い方もどうなんやろうな」
こんな言葉、多分残りの人生で5回使えば多い方だと思う。それは良いとして、でも確かに、この現象に出会った切っ掛けがそれだったし、目の前で小学生時代のわたしはキツネ様に噛まれて、直後に姿を消した。確証はないけど、恐らく“わたし”は家族のもとへ――。
「……あれ?」
「どうした?」
「いや……私てっきり、ここは10年前の山の中やと思ってたんやけど……それやったら、なんでさっき、小学生のわたしをキツネ様が噛んだんやろ。だってあの“わたし”はこのまま大人しく山降りれば帰れた筈やのに。意味もなく噛みまくって人間を化かしてるって訳ではなさそうやし……もしかしたら、ここは全然関係ない時代だったり……?」
「タイムカプセルが埋まってたから関係ないって事は無いと思うけど。……んん。でも、言われてみればお前がこの森で行方不明になった時、地元の大人とか警察とかが何十人かで捜索してた筈やのに、さっきあれだけ歩き回って全然誰とも会う事が無かったのは変やな……。あの時は前触れもなくひょっこり帰ってきてたから、歴史通りと言えば歴史通りやけど」
話していて思ったけど、私達の心持ちはもうすっかりタイムトラベラーのそれである。慣れってすごい。
「……やっぱり、まだなんかあるんやろか」
「はぁ、もうさっきから不思議現象が起こり過ぎて、頭が追いつかんわ……」
「でも確かに、戻るって考えるならはやての言う通りやと思う。もう一回キツネ様を探そう」
「そんで噛んでもらう、と」
「そうそう」
次の目標は決まった。決まったけど、キツネ様はさっきから出たり消えたりだ。こちらから探し当てる事なんて出来るんだろうか、と思う。とりあえず歩き始めてみたものの、歩き回っていた疲れもあるし、先ほどのカギよりもさらに難易度が高そうな探し物に気分が上がらないのもあるし……。好きな人とずっと二人で居られるのは、……嬉しいっちゃ嬉しいけど、明らかにこの山はデート向きにできていないよね。同じ山なら代官山とか青山とかが良かったわ。そんなしょうもない事を考えていた私ははた目から見ても相当落ち込んでいるように見えたのだろう。いきなりぎゅっと、手を握られた。
「うへぇっ……?」
「だっ、大丈夫。なんとかなるから、頑張ろう」
はやては、かわいげなんて全くない間抜けな反応をする私に目を合わそうとせず、前を向いたまま早口でそう言った。彼なりに私を励まそうとしてくれているのだろう。そのまま私の手を引いて歩き始めた。まぁ……代官山や青山じゃこうはいかなかったかもね、いいよもうこの裏山で。って思った。多分2人とも顔が赤いから、ここは赤坂って事で…………いやぁ、ダジャレにすらなってない。無しで。




