サクラEnd アフターストーリーSS『サクラはタンポポに憧れる』
四年間の遠距離恋愛を乗り越えて――。
玲とサクラは大学を無事に卒業し、先日、入籍を済ませた。
二人は正式に夫婦となり、それぞれの新しい人生を歩み始めていた。
玲は如月グループの次期総帥として、父親のもとで実践的に経営を学ぶことになった。
そしてサクラは――。
幼い頃からの夢だった、小学校教師としての道を歩み始める。
◇
「サクラ、明日から小学校の勤務が始まるね。大丈夫?」
夕食を終えた夜――
明日の準備を終えたサクラは、少し緊張した面持ちで鞄の中身を確認していた。
「はい。ちょっと緊張しますけど……準備はちゃんとしてきましたし、大丈夫です!」
そう言って笑うものの、声にはほんの少しだけ硬さが残っている。
玲はそんなサクラを見て、優しく微笑んだ。
「そっか。きっと最初は、お互い大変だと思うけど……頑張ろうね。」
「はいっ!」
サクラは元気よく返事をすると、明日から出会うことになる、まだ見ぬ子どもたちへと思いを馳せた。
どんな子たちがいるんだろう。
どんな毎日が始まるんだろう。
期待と緊張が入り混じる胸の奥で、ひとつだけ確かなものがあった。
――私は、ずっとこの日を夢見てきた。
サクラは、嬉しそうに微笑んだ。
◇
翌朝。
真新しいスーツに身を包んだサクラは、緊張した面持ちで教室の扉を開けた。
そして――。
「今日から、三年三組の担任になりました。如月サクラです。よろしくお願いします!」
教壇に立ち、少しだけ緊張しながら頭を下げる。
「サクラ先生、美人ー!」
「かわいいー!」
「若い先生だ!」
教室のあちこちから、素直な声が飛んでくる。
「ふふ……。ありがとうございます。」
思わず頬が緩んだ。
どうやら、初日から子どもたちに気に入ってもらえたらしい。
(やっぱり……子どもたちって、すごく素直で可愛いです!)
その様子を見ているうちに、ふと胸の奥に温かなものが込み上げてくる。
(私も、いつか玲さんとこんな子どもを――)
そこまで考えて、サクラはハッとした。
「……っ!」
頬が一気に熱くなる。
(だ、ダメダメ! 今は勤務中ですよ! 私は先生なんですから!)
小さく首を振って、気持ちを切り替える。
すると、何人かの児童がサクラの机の周りに集まってきた。
「ねえ、サクラ先生!」
「はい?」
「先生って、彼氏いるの?」
「えっ?」
突然の質問に、サクラは目を丸くする。
「だって、指輪してる!」
「ほんとだ!」
「先生、結婚してるの!?」
一斉に指輪へ視線が集まった。
「あ……はい!」
サクラは少し照れながら頷いた。
「先生、この前結婚したんです。」
「えーっ!」
「旦那さんってどんな人?」
「名前は?」
「先生と同じ学校の先生?」
次々に飛んでくる質問に、サクラは困ったように笑う。
(子どもたちに嘘をつくのはよくないですよね……。)
少しだけ考えてから、ゆっくりと言葉を選んだ。
「先生には、ずっと憧れていた人がいたんです。」
「憧れてた人?」
「はい。ずっと大切に思っていた人で……この前、その人と結婚しました。」
「へえー! どんな人?」
「とっても優しくて、素敵な人ですよ。」
そう答えるサクラの表情は、自然と幸せそうに緩んでいた。
「名前は?」
「玲さんっていうんです。先生と同じ年なんですよ。」
「玲さんかぁ! かっこいい?」
「……はい。」
少し照れながら頷く。
すると、子どもたちの間から、
「いいなー!」
「先生、幸せそう!」
という声が上がった。
やがて、教室には自然と拍手が広がっていった。
サクラは少し驚きながらも、嬉しそうに微笑んだ。
――この時のサクラは、まだ知らなかった。
その何気ない会話が、思わぬ形で広がっていくことを。
◇
翌日。
教室に入ったサクラは、すぐに違和感を覚えた。
「……あれ?」
いつもなら元気よく駆け寄ってくる子どもたちが、今日は何人かで集まり、こちらを見ながら小声で話している。
サクラは不思議そうに近づいた。
「ん? みんなどうしたんですか?」
すると、一人の男の子が恐る恐る口を開いた。
「先生……学校辞めちゃうの?」
「えっ?」
思いもよらない言葉に、サクラは目を丸くした。
「先生は辞めませんよ。どうしてそんなこと……。」
「だって、うちのお母さんが言ってたもん。」
「お母さんが?」
「サクラ先生って、如月グループっていう大きな会社の奥さんなんでしょ?」
「……!」
思わず言葉を失う。
「お金持ちだから、先生すぐ辞めちゃうんじゃないかって。」
「うちのお父さんも言ってた!」
「お嬢様なんでしょ?」
「先生って、コネで学校に入ったの?」
「えっ……。」
次々に浴びせられる言葉に、サクラは胸が詰まった。
そんな話をしたつもりはなかった。
ただ、聞かれたから答えただけだった。
「……先生は、辞めたりしませんよ。」
なんとか笑顔を作る。
「さぁ、そんなこと言ってないで……授業を始めましょうね?」
「……はーい。」
子どもたちは席へ戻っていく。
けれど、サクラの胸には重いものが残っていた。
◇
授業を終え、職員室へ戻る。
机に座ったサクラが小さく息を吐くと、隣の席の年配の女性教師が声をかけてきた。
「如月先生……噂、聞いたけど大丈夫?」
「え……噂、ですか?」
「ええ。次期社長夫人だから、すぐに辞めるんじゃないかとか……コネで採用されたんじゃないかとか。」
「……。」
サクラの顔から、少しずつ血の気が引いていく。
「わ、私はそんなふうには思ってないわよ?」
女性教師は慌てて付け加えた。
「ただ、そういう噂があるってだけ。あまり気にしない方がいいと思うけど……。」
「……はい。」
「それと……。」
女性教師は少し言いにくそうに続けた。
「子どもたちには、あまり自分の家庭のことを詳しく話さない方がいいかもしれないわね。」
「……はい。」
サクラは俯いた。
何も言い返せなかった。
自分が悪かったのだろうか。
夢だった教師になれた。
大切な子どもたちと毎日を過ごせる。
それなのに――。
たった一つの肩書きのせいで、自分の気持ちまで否定されてしまうような気がした。
◇
その日の夜。
帰宅したサクラの様子がいつもと違うことに、玲はすぐに気付いた。
「サクラ?」
「……はい?」
「どうした? 今日はずいぶん元気がないけど。」
「……。」
少し迷ったあと、サクラは今日あった出来事をすべて話した。
玲は黙って最後まで聞いていた。
「……そっか。」
静かに息を吐く。
「サクラは、どうしたい?」
「……え?」
「つらいなら、辞めたっていいんだよ。」
玲は優しく言った。
「サクラが傷ついてまで続ける必要はない。もし本当に苦しいなら、私がサクラを守る。」
その言葉に、サクラは一瞬だけ俯いた。
けれど――。
「……辞めたくありません!」
顔を上げたサクラの瞳には、はっきりとした意志が宿っていた。
「小さい頃から……小学校の先生になることが、私の夢だったんです!」
玲は少し驚いたように目を瞬かせる。
そして、優しく微笑んだ。
「サクラは、どうして小学校の先生になりたいと思ったの?」
「それは……。」
サクラは少し遠くを見るような目をした。
「私の大好きなおじいちゃんが、小学校の先生だったんです。」
サクラの表情が少しずつ明るくなる。
「おじいちゃんは、何でも教えてくれました。勉強だけじゃなくて、植物のこととか、昔のこととか……いろんなことを。」
「素敵なおじいさんだね。」
「はい。私の自慢のおじいちゃんです。」
サクラは嬉しそうに笑った。
「私、小さい頃に聞いたことがあるんです。『どうして先生になったの?』って」
「それで?」
「おじいちゃん、少し考えてから、こう言ったんです。」
サクラは祖父の声を思い出すように、ゆっくりと言った。
「『俺は、タンポポの綿毛みたいに、種を飛ばしたいんだ』って。」
「タンポポ?」
「はい。」
サクラは頷いた。
「自分が子どもたちに教えたことが、いつかどこかで芽を出して、花を咲かせるかもしれない。それが嬉しいんだって。」
玲は静かに耳を傾けていた。
「だから、私も……。」
サクラは少しだけ俯いた。
「そんな先生になりたいと思って、いっぱい勉強しました。」
「じゃあ、サクラが今やることは決まってるんじゃない?」
「……え?」
玲は穏やかに笑った。
「サクラが、どうして先生になったのか。その気持ちを、みんなに伝えてみたら?」
「……。」
「みんな、サクラのことを知らないから、勝手な噂をしてしまうんだと思う。」
玲はサクラの手をそっと握った。
「だったら、サクラ自身の言葉で教えてあげればいい。」
「私自身の……言葉。」
「うん。」
サクラはしばらく考えていた。
やがて――。
その瞳に、少しずつ光が戻っていく。
「……そうですね。」
そして、いつもの笑顔を浮かべた。
「私、やってみます!」
◇
数日後。
サクラの学校では、授業参観が行われていた。
三年三組の教室。
黒板には大きく、『将来の夢』と書かれている。
児童たちは一人ずつ、自分の夢について発表していた。
「僕はサッカー選手になりたいです!」
「私はケーキ屋さん!」
「私は動物のお医者さん!」
教室の後ろには保護者たちが並び、子どもたちの発表を嬉しそうに見守っている。
そして――。
全員の発表が終わったところで、サクラが教壇の前に立った。
「みんな、素敵な夢を聞かせてくれてありがとう!」
笑顔で教室を見渡す。
「ここからは、少しだけ先生の話を聞いてください。」
サクラは一度、深く息を吸った。
「先生は、小さい頃から小学校の先生になりたいと思っていました。」
子どもたちが静かに耳を傾ける。
「それは、先生のおじいちゃんが小学校の先生だったからです。」
「おじいちゃんは、私にたくさんのことを教えてくれました。だから私も、おじいちゃんみたいな先生になりたいと思って、一生懸命勉強しました。」
サクラは黒板へ視線を向けた。
「そんなおじいちゃんが、私に言ってくれた言葉があります。」
チョークを手に取り、黒板の端に小さく『タンポポ』と書いた。
「『タンポポのような先生になれ』って。」
「タンポポ?」
児童たちが顔を見合わせる。
「はい。」
サクラは微笑んだ。
「タンポポの綿毛は、風に乗っていろんな場所へ飛んでいきます。でも、飛んだ場所の全部で花が咲くわけではありません。」
子どもたちは黙って聞いている。
「でも……どこかで一つでも芽を出したら、いつか綺麗な花が咲きます。」
サクラの声が、静かな教室に響く。
「おじいちゃんは、自分が子どもたちに教えたことも同じだって言っていました。先生が教えたことが、すぐに役に立つとは限らない。でも、いつか誰かの心の中で芽を出してくれるかもしれない。」
サクラは、子どもたちを一人ずつ見つめた。
「だから先生も――」
ふわりと笑う。
「名前はサクラですけど、タンポポみたいな先生になりたいと思っています。」
その瞬間、教室の後ろから、ぱち……ぱち……と小さな拍手が聞こえた。
それが少しずつ広がっていく。
やがて教室いっぱいに、温かな拍手が響いた。
サクラは驚いたように目を瞬かせ――。
やがて、嬉しそうに笑った。
「……ありがとうございます。」
拍手が落ち着いたところで、サクラは今度は後ろに並ぶ保護者たちへ向き直った。
「そして、保護者の皆様――」
静かに頭を下げる。
「本日はお忙しい中、授業参観にお越しいただき、ありがとうございました。」
顔を上げる。
「私はまだ教師になったばかりで、至らないところもたくさんあります。ご心配をおかけすることもあるかもしれません。」
それでも――。
「ですが、子どもたちのことを大切に思う気持ちと、教師になりたいという気持ちは、誰にも負けないつもりです。」
サクラはまっすぐ前を見つめた。
「この子たちがいつか大人になった時、『この先生に出会えてよかった』と思ってもらえるように、一日一日を大切に頑張っていきたいと思っています。」
深く頭を下げる。
「これからも、どうぞよろしくお願いいたします。」
再び、拍手が起こった。
今度は子どもたちだけではない。
保護者たちからも、温かな拍手が送られていた。
サクラは顔を上げて微笑む。
その目には、少しだけ涙が浮かんでいた。
◇
その日の夜。
「ただいま!」
玄関の扉を開けると、玲が出迎えてくれた。
「おかえり、サクラ。今日はどうだった?」
「……はい!」
サクラは満面の笑みを浮かべた。
「ちゃんと、伝えてきました!」
「そっか。」
玲は安心したように笑った。
「よく頑張りました。」
「ふふっ。」
サクラは照れくさそうに笑った。
「玲さん。」
「ん?」
「私、頑張りますね。」
「うん。私も頑張る。」
二人は顔を見合わせて笑った。
それぞれの夢を胸に、二人はまた新しい未来を歩き始める。
いつか、どこかで芽を出す小さな種を、風に乗せながら。
サクラEnd アフターストーリーSS『サクラはタンポポに憧れる』
Fin.




