第五十八話 明かされる真実〜玲の救出大作戦!
修学旅行の帰りのバス――。
突然意識を失った玲は、そのまま如月グループが運営する総合病院へ緊急搬送された。
如月グループの御曹司が意識不明となった事実は、徹底した情報統制のもと、外部には一切公表されなかった。
病院内でさえ事情を知る者はごくわずか。
面会を許されたのは、修学旅行に同行し、一部始終を目撃していた生徒会のメンバーだけだった。
だが、医師たちでさえ玲の容体を説明することはできなかった。
「身体に外傷はありません。血液検査、脳波、MRIなど、あらゆる検査を行いましたが、異常は見つかっていません。ただ……意識だけが、極めて深い眠りに落ちているような状態です。」
原因不明――。
目を覚ます保証も、治療法もない。
静寂に包まれた特別病室。
規則正しく響く心電図の電子音だけが、重苦しい空気を際立たせていた。
白いベッドの上では、玲がまるで眠っているだけのように穏やかな表情で横たわっている。
その姿を囲む生徒会の誰一人として、言葉を発することができなかった。
胸を締めつけるような無力感だけが、病室を支配していた。
その時――。
ソノが静かに息を吸い、覚悟を決めたように一歩前へと歩み出た。
「玲先輩が眠っている原因に……心当たりがあります。」
静まり返った病室で、ソノは意を決したように口を開いた。
そう言うと、制服のポケットから黒い端末を取り出し、そっと皆の前へ掲げる。
(どんな手を使っても……玲先輩を助けなきゃ!)
その瞳には、揺るぎない決意が宿っていた。
ソノが語り始めた内容は、誰もが耳を疑うものだった。
この世界は『恋するエグゼクティブ』という乙女ゲームの世界であること。
玲はそのゲームを開発した、別の世界から転生してきた存在であること。
そして、自分もまた続編『恋するエグゼクティブ2』の世界から転生してきたプレイヤーであり、その秘密を玲と共有していたこと――。
あまりにも現実離れした話に、病室には重苦しい沈黙が落ちる。
誰もが言葉を失い、戸惑いと疑念の入り混じった視線をソノへ向けていた。
そんな空気の中、ソノは黒い端末の画面を操作する。
「そして、この端末です。これは先輩たちが帰る日に、生徒会長の机から見つけました。ログを解析すると、修学旅行中に玲先輩の異変が少しずつ進行していたことが記録されています。」
「そんな、おもちゃみてぇな機械で何が分かるんだ!?」
豪が焦りと苛立ちを隠せず、声を荒らげる。
その肩に、絢が静かに手を置いた。
「落ち着いてください、豪。」
絢は端末へ目を向ける。
「……確かに、ソノさんの話は常識では到底信じられるものではありません。」
一度言葉を区切り、静かに続けた。
「ですが……この端末が記録しているエラーコードの発生時刻と、修学旅行中に玲に起きていた体調の変化は、不気味なほど一致しています。」
その一言で、病室の空気が変わった。
律も記憶を辿るように目を伏せる。
「そういえば旅行中……玲はずっと眠そうだったよね。二日目にはふらついてたし、玲らしくないミスも何度かしてた。」
点と点が、一本の線になっていく。
豪は悔しそうに奥歯を噛み締め、拳を強く握りしめた。
「くそっ……! あの時、俺たちがもっと早く異変に気付いてやれてたら……!」
自らの拳を、もう片方の手のひらへ叩きつける。
鈍い音だけが病室に響いた。
絢は静かに玲の寝顔を見つめる。
「現時点で、医学的な原因は分かっていません。」
その視線をソノへ向けた。
「ならば、僕たちには……残された可能性を一つずつ試すしか方法はありません。」
まっすぐソノを見据える。
「ソノさん――」
その声には、もう疑いはなかった。
「僕たちに、何ができますか?」
如月グループ御用達の病院だけあって、必要な準備は驚くほど迅速に整えられた。
玲が入院する特別病室の隣には、すぐにもう一室が確保される。
高性能なパソコン、解析用の機材、専用回線――。
まるで最初から用意されていたかのような環境が、あっという間に完成していた。
「まさか、ここにきて……去年のビーチバレー大会の『両親公認の優勝賞品』が役に立つとは思いませんでしたね。」
絢が苦笑混じりに呟く。
豪は照れ隠しをするように鼻を鳴らし、得意げに胸を張った。
「へへっ。優勝賞品は何でもいいって言われたからさ。『如月を見守りたいんで、隣に個室とパソコン機材、それに通信環境を用意してください』って頼んだんだ!」
「さすが豪。そういうところ、抜け目ないね。……グッジョブ。」
律が呆れたように笑いながら親指を立てる。
豪は少し照れくさそうに頭をかいた。
「じゃあ、ここからは俺の仕事かな。」
律は黒い端末を手に取り、パソコンへ接続する。
画面には無数の文字列が流れ始めた。
「ソノはゲームの設定に詳しいよね。隣で分かることがあれば教えて。」
「はい!」
ソノは力強く頷く。
「専門的な解析はできません。でも、ゲームの仕様なら何か思い出せるかもしれません。」
二人は並んで画面へ向き合い、解析を開始した。
その間、残るメンバーは玲の病室で交代しながら見守りを続ける。
静かな病室には、心電図の電子音だけが規則正しく響いていた。
点滴につながれた玲は、穏やかな寝息を立てているものの、その顔色は青白く、普段の凛々しい姿とはまるで別人のようだった。
ベッドの傍らに立ったサクラは、そっと玲の腕へ触れる。
温もりはある。
それでも、その手が返ってくることはない。
「ごめんなさい……玲会長。」
涙がぽたりとシーツへ落ちた。
「私……『今度は私が玲会長を守ります』って言ったのに……。全然、守れてないです……っ。」
震える肩に、絢が静かに手を添える。
「サクラさんだけではありません。」
絢も玲の寝顔を見つめ、苦しそうに目を伏せた。
「僕たち全員です。玲の異変に気付きながら、それが危険な兆候だと理解できなかった。すぐ側にいたのに……何もできなかった。」
豪も唇を噛み締め、震える拳を強く握る。
「……悔しいな。でも、今は後悔してる暇なんてねぇ。玲を助けるために、俺たちができることをやるしかねぇだろ。」
その言葉に、誰もが静かに頷いた。
その時だった。
少し離れた場所から様子を見守っていた凌が、不思議そうに首を傾げる。
「……あれ?」
玲の右手が、何かを大事そうに握り締めている。
「この紐……何だ? お守り……?」
その一言に、打ちひしがれていたサクラ、絢、豪が一斉に顔を上げた。
黒い端末には幾重ものパスコードとプロテクトが施されていた。
しかし、律は一切怯まない。
画面いっぱいに流れるプログラムを追いながら、迷いのない指先でキーボードを叩いていく。
一つ。また一つ。
複雑に張り巡らされたセキュリティが、次々と突破されていった。
その様子を隣で見守っていたソノは、思わず息を呑む。
「律先輩……すごいです……。その技術なら、将来ゲーム開発会社に就職しても通用しますよ。」
律の指が、一瞬だけ止まった。
「……それ、前に玲にも言われた。」
不意に、あの日の声が脳裏によみがえる。
『律、天才!! ぜひ、我が社に……!!』
当時は、ただの冗談だと思っていた。
だが今なら分かる。
(……そういう意味だったんだね。)
律は静かに目を閉じる。
(玲……。君が何者だったとしても構わない。絶対に助けるから!)
再びキーボードを叩く指に、力がこもった。
やがて最後のプロテクトが解除される。
画面には、これまで隠されていたシステムログが表示された。
そこには、玲の意識が閉じ込められていると思われる領域が記録されていた。
《バグデータ隔離空間》
アクセス条件――「玲の選んだ人物」
認証キー――「お守り」
「これって……」
律が言葉を漏らしかけた、その瞬間だった。
ガチャッ――。
隣の病室の扉が勢いよく開く。
凌が息を切らしながら駆け込んできた。
「会長が、何かお守りみたいなのを握ってる!」
「!」
律とソノは顔を見合わせ、そのまま病室へ駆け出した。
ベッドに眠る玲の右手。
固く握られた拳の隙間から、白い紐だけがわずかにのぞいている。
「そうか……!」
律の瞳が大きく見開かれた。
「これが隔離空間を開く認証キーなんだ!」
慎重に玲の手へ触れ、お守りを取り出そうとする。
しかし――。
玲の指は、驚くほど強く握り締められていた。
眠っているとは思えないほど、その手は決して開こうとしない。
「くっ……」
どれだけ力を加えても、わずかに動くだけだった。
律は悔しそうに唇を噛む。
「このお守りが誰のもので、何色なのか分かれば……その人が端末を通して玲に呼びかけられるかもしれない。」
「順番に全員試すのは駄目なのか?」
凌が尋ねる。
律は静かに首を横へ振った。
「たぶん、この手の認証システムは、一定回数失敗するとロックがかかる。もしそうなれば、玲に二度と届かなくなる可能性がある。」
重い沈黙が流れる。
「……やっぱり、玲の手を開くしか――」
その時だった。
「ダメです!」
病室に、サクラの大きな声が響いた。
誰もが驚いたように、サクラを見つめる。
サクラは玲と律の間へ立ちはだかり、両手を広げた。
「玲会長が、一番大切に握りしめている想いなんです……!」
震える声で、それでも真っすぐ前を向く。
「それを無理やり暴くなんて……そんなこと、しちゃダメです!」
涙が次々と頬を伝う。
「玲会長だって……きっと、こんな形で知られたくないはずです。」
玲の眠る横顔を見つめ、唇を震わせる。
「もし無理やり開けて、玲会長が戻ってきた時……そんなことをした私たちを見て、本当の笑顔で笑ってくれるでしょうか……?」
誰も答えられなかった。
玲を助けたい、その一心だったけれど――
その想いが玲自身の大切な気持ちを踏みにじることになってしまうのなら――。
病室は、痛いほどの静寂に包まれた。
その沈黙を破ったのは、豪だった。
「だったらさ……。」
ゆっくりと顔を上げた豪の瞳には、迷いではなく強い決意が宿っていた。
「全員の想いを、一つに束ねるってのはどうだ?」
その一言に、全員が豪を見つめる。
「誰のお守りだろうと関係ねぇ!」
豪は玲の眠るベッドへ歩み寄り、拳を強く握り締めた。
「如月が、俺たちの誰かを選んでくれたのは間違いねぇ。でも、それは一人だけを信じたって意味じゃねーだろ?」
豪は振り返り、仲間たちを見渡す。
「ここまで一緒に戦ってきた仲間なんだ。だったら、全員であいつを呼び戻すぞ!」
「……!」
その言葉に、沈んでいた空気が一変する。
「確かに……!」
律が勢いよく顔を上げた。
「認証対象は一人でも、想いを届けるのは一人じゃなきゃいけないなんて決まりはない!」
「やってみる価値はあります!」
絢も静かに頷く。
サクラは涙を拭い、玲を見つめた。
「玲会長……今度こそ、私たちが迎えに行きます。」
凌も、小さく拳を握る。
「絶対に連れ戻そう。」
ソノは黒い端末を起動し、静かに深呼吸した。
「みなさん……お願いします。」
六人は玲のベッドを囲むように並ぶ。
玲が握り締めたお守りのある右手へ、それぞれがそっと手を重ねた。
もう片方の手は、黒い端末へ。
温もりが、少しずつ一つになっていく。
(玲を助けたい。)
(帰ってこい。)
(まだ終わっていません。)
(また笑ってほしいです。)
(会長――。)
(玲先輩……!)
六つの願いは、やがて一つの想いとなって端末へ流れ込んだ。
その瞬間――。
黒い画面が、眩い光を放つ。
『▶ 隔離空間 解除成功』
『▶ バグデータ隔離空間 解放開始』
「動いた……!」
律が息を呑む。
端末から溢れ出した光は、まるで六人の想いに応えるかのように脈打ち、病室全体を包み込んでいく。
重ねられた手から、玲の手へ。
玲の手から、お守りへ。
そして、お守りから黒い端末へ――。
眩い閃光が弾けた。
誰も目を開けてはいられないほどの白い光が、病室を埋め尽くす。
(待ってて――。今、助けに行く。)
その想いは、六人全員同じだった。
光はやがて一筋の道となり、現実と意識の狭間を繋いでいく。
ついに――。
玲が閉じ込められた『バグデータ隔離空間』への扉が、静かに開かれた。




