第五十四話 修学旅行・奈良編〜鹿と大仏と、世界の軋み――
11月――。
秋も深まり、朝晩の空気に少しずつ冷たさが混じり始めた。
朝早くの集合にもかかわらず、三年生たちの表情は期待に満ちていた。
今日から二泊三日、秋の修学旅行が始まる――。
行き先は、古都の風情漂う奈良・京都。
学園の一大イベントに、玲も目を輝かせ頬を緩ませる。
(あぁ、『恋エグ1』では泣く泣く削った修学旅行イベント。それを、まさか自分が生身で体験できるなんて……! ありがとう、神様!! ありがとう、『恋エグ2』!!)
手を組んで空を崇めていると、律が隣にやってきた。
「玲、何やってんの? ほら、もう出発するよ。」
「うん、律。二泊三日、最高の思い出を作ろうね!」
温かい笑顔を向けられ、律は一瞬押し黙る。
(この旅行で、玲に想いを伝えられたら――。)
「……律?」
「ううん、なんでもない。」
律は少し照れくさそうに視線を逸らした。
バスの前には、二年生のソノと一年生の凌が見送りに来てくれていた。
「ソノちゃんも凌くんも、私たちがいない間、生徒会のことよろしくね!」
「こっちのことは気にしなくていいから……。無事に行って、帰ってこいよな?」
凌の視線を逸らしながらも、口調はどこか心配そうだ。
「うん。お土産、ちゃんと買ってくるから!」
「玲先輩、私が知る限り大きな事件が起きることはないと思いますが……。シナリオは随分変わってきています。気をつけて下さいね?」
「うん。ソノちゃん、ありがとう。」
その時、バスの中から豪が大きな声を上げる。
「おーい、如月! もう出発するぞー!」
「はーい! じゃあ、行ってきます!!」
こうして、一行は修学旅行の舞台――奈良・京都へ向けて出発するのだった。
車内では早くも賑やかな声が飛び交っていた。
窓の外で景色が流れていく。
「生徒会のみんなで旅行なんて夏合宿以来ですね! 楽しみですっ!」
玲の隣でサクラが笑った。
「そうだね! サクラちゃんは何かしたいことある?」
「そうですね〜。出店でお土産見たり、食べ歩きとかしたいです! あと、京都には有名な恋みくじが引ける神社があって、そこに行きたいですっ!」
「いいね! 自由行動の時に一緒に行こうよ!」
「わぁ、いいんですか!? ぜひ、お願いします!!」
サクラと二人でキャッキャしていると、その横から少し顔を赤らめた豪が声をかけてきた。
「お前たち……なんか、可愛いな。」
「「……へ?」」
サクラと玲は意味が分からず、二人できょとんと顔を見合わせる。
すると、その後ろから律が呆れた顔をして声をかけてきた。
「豪……。その言い方、キモいよ?」
「本当に……。」
絢がその横から顔を出す。
「玲、なにやら楽しそうな話をしてますね。気持ちの悪いおじさんは放って置いて、僕も自由行動、ご一緒していいですか?」
「おじさんって!! お前らも同じ年だろーがっ!!」
豪のツッコミに一同が笑う。
これから始まる修学旅行に、みんなが心を躍らせていた。
昼前――。
バスは奈良へ到着した。
バスを降りた瞬間、目の前に広がるのは青々とした芝生と、のんびりと歩く鹿たち。
「本当に鹿だらけ……!」
「わぁ、可愛い〜。」
思わず声を上げる私の横で、サクラが笑う。
そこに豪が駆け寄ってきた。
「おーい、鹿せんべい買ってきたぞっ!」
「えっ? いつの間に!?」
驚いている玲を横目に、豪がせんべいを差し出す。
すると――
ぞろっ。
「……え?」
一頭、二頭、三頭――。
気づけば十頭近い鹿が豪を囲んでいた。
「ちょっ!? 待っ……多い多いって!!」
「ぷっ!」
その横で見ていた律が吹き出す。
「豪、すっごいモテモテだね。」
「いやっ、これはモテてるって言わねーだろっ!」
豪が逃げれば、鹿も一斉に追いかける。
「ぎゃああーーー!!」
「豪、頑張ってください。」
その様子を見て、絢はおっとりと手を振る。
そんな賑やかな様子を見ながら、玲は残りのせんべいを側にいた鹿にそっと差し出した。
すると、ぺこり――。
「えっ?」
まるでお辞儀をするように頭を下げた。
「かわいい……!」
もう一度せんべいを渡すと、鹿はゆっくり食べて、また小さく頭を下げる。
「玲会長、好かれてますねっ。」
サクラがくすりと微笑む。
「玲ってば、動物にも好かれちゃうんだからー。」
律は少し拗ねたような表情で呟いた。
鹿たちが芝生を歩き、修学旅行生たちの笑い声が青空へ溶けていく。
そんなゆっくりと流れる時間が、とても愛おしく感じられた。
その後、一行は東大寺へ。
南大門をくぐった瞬間――
「でっか……。」
誰からともなく声が漏れる。
圧倒的な存在感。
何百年もの歴史を刻んできた木造建築は、ただそこに立っているだけで人を圧倒していた。
「これが東大寺……。」
「教科書で見るより、何倍も大きいですねっ!」
サクラが隣で目を輝かせる。
大仏殿へ足を踏み入れると、さらに全員が息を呑んだ。
「うわぁ……!」
巨大な奈良の大仏。
静かに座るその姿には、言葉を失うほどの迫力があった。
「玲、一緒に写真撮ろう!」
律がスマホを掲げる。
「もちろん。」
まずは二人でパシャリ。
「ふふっ、待ち受けにしよっと。」
律は少し頬を染めると、嬉しそうに口元を綻ばせた。
その後は、観光客へシャッターをお願いし生徒会メンバー全員で記念撮影をした。
サクラ、律、玲、絢、豪――
玲を中心に各々ポーズを決める。
「いきますよー!」
パシャッ。
「すっごくいい写真が撮れましたっ! あとでみんなに送りますねっ!」
サクラは嬉しそうにスマホを眺めた。
あっという間に一日目の日程は過ぎていき、一行は宿泊する旅館に到着した。
食事会場で夕食を終えると、玲、律、豪、絢は同じ四人部屋に戻ってきた。
「はぁ~。楽しかったけど、さすがにちょっと疲れたね。」
玲は部屋に入ると、敷かれていた一番奥の布団に腰を下ろした。
「初日から、結構はしゃいでしまいましたね。」
絢は苦笑いしながら、ちゃっかり玲の横の布団に荷物を置いた。
「いやいや、まだだろ? これから温泉に入って、枕投げもするんだし!」
豪が言うと、横から律がツッコミを入れる。
「いや、枕投げは強制イベントじゃないし。そんな子どもじゃないんだから……」
そう言いかけた律の顔に、ボフッと豪が投げた白い枕が当たる。
「……だ〜か〜ら〜、人の話を聞けっつーの!」
豪が投げてきた枕を、キレ気味に投げ返す律。
その枕を豪がひょいと避けると、その後ろにいた絢の後頭部にガンッと当たった。
「わっ、やば! 絢、ゴメン……。」
絢は顔に青筋を立てながら、ゆっくりと振り返る。
「豪、律……。どうなるか、わかってるんでしょうね?」
「「ひいっ……!!」」
絢の後ろに、マイナス百度のブリザードが吹き荒れているのが見える。
豪と律は震え上がりながら、急いで身支度を整えると
「「大浴場に行ってきます〜〜!!」」
と、二人揃って出ていってしまった。
残されたのは、絢と玲と、荒らされた布団――。
絢は大きなため息をつく。
「はぁ……。あの人たちは、まだまだ子どもなんですから……。」
その台詞に玲がくすっと笑う。
「ふふっ、同い年なのにね。でも、みんなでわちゃわちゃするこの感じ。やっぱり好きだなぁ。」
「……そうですね。」
「あ、絢。良かったら、絢も先に大浴場行ってて? 私はちょっと疲れたから、部屋のお風呂に入ってゆっくりしとく。」
「……玲? 大丈夫ですか……?」
「うん。みんなで大浴場に行くとちょっと大変そうだから……。絢……。みんなのこと、お願いしていい?」
玲はコテンと首を傾げると、絢を見上げた。
その仕草に絢はキュンとしたが、玲の表情に少し陰りがあるのが見て取れた。
玲の疲れた様子を察して、絢はゆっくり頷いた。
「分かりました。では鍵は持って出ますから、玲はゆっくりしてて下さいね。」
「ありがとう、絢。」
パタン、と扉が閉まるのを確認すると、玲はゆっくりと息を吐いた。
「はぁ……。さすがに、みんなと裸の付き合いをするのは……抵抗あるなぁ。」
この身体になって一年半――。
でも、やはり気になるものは気になる。
玲は部屋に付いているシャワーを簡単に浴びると、浴衣に着替えて、ゴロンと布団に横になった。
スマホで今日の旅の思い出を見直す。
すると、サクラから写真が送られてきた。
それは大仏の前で撮った集合写真――
白い歯を見せて笑う豪。
穏やかに微笑む絢。
満面の笑みを浮かべる玲。
少し照れたように笑う律。
嬉しそうに微笑むサクラ。
誰もが幸せそうな表情で、写真に納まっていた。
(ああ、みんな本当にいい顔をしてる。やっぱり、私はみんなが笑っているこの時間が好きだ。だから……。)
玲は、ここ数ヶ月悩んでいた。
自分が選択すべき未来のこと――。
全員に笑っていてほしい。
だからこそ、自分は誰かを選ぶという選択ができない。
みんなが自分へ向けてくれている気持ちにも気付いていた。
けれど、みんなの気持ちを傷付けたくない。
玲はその一心で、無意識の内に自分の気持ちに蓋をした。
玲の瞼がだんだん重くなっていく。
身体が驚くほど重い。
意識が、泥沼に引きずり込まれていくように沈んでいく――。
意識が薄れていく中で、玲は願う。
この時間がずっと続きますように――。
その想いが、バグを起こしている最大の要因だと気づかずに。
その頃――。
誰もいない生徒会室で電子音が鳴り響いていた。
『▶世界修正進行中――』
『▶修正率20%』
『▶目標排除準備 完了』
それは、十秒にも満たない時間。
生徒会室はまた何事もなかったように沈黙した。
まだ誰も知らない。
修学旅行は、恋の思い出を作る旅では終わらない。
世界そのものが玲を拒絶し始める、最後の試練の幕開けだった。




