第四十一話 ヒロイン同士、秘密の会談!?
七月――。
ジメジメとした梅雨が明け、本格的な夏休みを目前に控えた一学期末。
生徒会室では、毎年の恒例行事『期末テスト対策勉強会』が開催されていた。
なかでも、新入生の黒崎凌の深刻さは群を抜いていた。
「……っ」
ガリガリと音を立ててシャーペンを動かすものの、プリントの難解な数式を前に、凌の眉間のシワは深くなる。
プライドの高い彼が、このまま赤点を取って「完璧な兄」の顔に泥を塗ることだけは、どうしても避けなければならない。
背に腹は代えられない状況だった。
凌は意を決したように、ガタッと激しく椅子を鳴らして立ち上がった。
そして、隣の席で静かに資料をめくっていた玲の前に歩み寄り、その肩をガシッと掴む。
「会長……! ――俺と、付き合ってほしい!」
……シーン。
一瞬にして、生徒会室の時間が完全に停止した。
窓の外で鳴く蝉の声すら、ピタリと止まったかのような、圧倒的な静寂。
(……え? まさかの公開告白……!?)
長机の端でノートを書いていたソノは、目を見開いたまま手に持っていたボールペンをポトンと落とした。
部屋の温度が目に見えて急降下する。
「……は? 今の、何?」
「黒崎……お前、なんて言った?」
「……聞き捨てならない言葉が出ましたね」
律、豪、絢の三人の目が、一瞬にして光を失った。
引き攣った笑顔のまま、彼らの背後からドス黒いオーラが立ち上る。
このただならない雰囲気に、手を口に当ててオロオロしているサクラ。
そんな修羅場の中心で、玲は少しだけ困惑したように首を傾げた。
「えーっと……凌くん。それって、勉強会のこと……?」
すると凌は、何を当たり前のことを言っているんだ、というように呆れた顔で眉をひそめた。
「もちろん、そうだけど……それ以外に何かあるのか?」
「「「「…………。」」」」
殺気立っていた先輩三人とソノが、一斉にガクッとずっこけ、揃って頭を抱えた。
(そっちかよ……!)
と、全員の心の声が完全にシンクロする。
「あはは……。うん、いいよ。凌くんが良ければ、いくらでも勉強に付き合うよ」
玲は引き攣った苦笑いを浮かべながら、そっと胸を撫で下ろした。
それと同時に、玲の脳裏にある「去年の記憶」が蘇る。
(あ、これ……既視感だ。去年、私が烈に勉強会の意味で『付き合ってほしいんだけど!』って言って、烈を怒らせたやつ……。なるほど、言われた側って、こんなに心臓に悪いんだね。烈、あの時は本当にごめん……)
今更ながら、烈の怒りの理由を深く理解した玲だった。
――チャイムが鳴る。
「それじゃあ、今日の勉強会はここまで! みんなテスト頑張ろうね!」
玲が荷物をまとめると、他のメンバーも雑談をしながらゾロゾロと部屋を出ていく。
「あれ? ソノちゃん、まだ帰らないの?」
「はい。私はもう少しやりたいことがあるので……」
「じゃあ、戸締まりお願いね!」
そうして、玲も部屋から出ていった。
すっかり静まり返った生徒会室。
茜色の夕暮れが窓から差し込み、誰もいない机をオレンジ色に染めている。
ソノは一人、長机に残ってキャンパスノートを見つめ、思案していた。
(……相変わらず、この生徒会室の生態系は玲を中心に回ってる。でも……彼が黒幕で、何か操っているって感じでもない……)
ソノがそこまで考えを巡らせた時だった。
コンコン。
静かなノックの音と共に、生徒会室の扉が開いた。
「失礼します。あ、ソノちゃん、まだ残ってたんですか?」
入ってきたのは、副会長のサクラだった。
「……はい、ちょっと考え事をしていて。サクラ先輩はどうされたんですか?」
「ちょっと忘れ物をしちゃって、取りに戻ってきたんです。」
サクラは両手を胸の前で合わせ、ふわふわとした天使のような笑顔をソノに向けた。
「ソノちゃん。もし、なにか悩み事があるならいつでも相談に乗りますよ?」
そのあまりの眩しさに、ソノの胸に一瞬の迷いが生まれる。
サクラは、本来のゲームの絶対的ヒロイン。
なのに、この世界では攻略対象たちが全員、彼女ではなく玲に夢中になっている。
ソノは手元のノートをそっと閉じると、思い切ってサクラの『本音』を尋ねてみることにした。
「……サクラ先輩。あの、一つ、聞いていいですか?」
「はい、何ですか?」
「サクラ先輩は……玲先輩のこと、どう思ってますか?」
ソノの唐突な問いに、サクラは少し驚いたように丸い目をパチくりさせた。
けれどすぐに、夕暮れの光に溶けるような、どこか懐かしむような微笑みを浮かべる。
「うーん、そうですね……。実は私、去年生徒会に入ったばかりの時、すごく不思議だったんです……」
「不思議、ですか?」
「はい。律くんも、豪くんも、絢さんも……みんな、どうしてあんなに玲会長のことばかり見ているんだろう、って」
(――ッ!?)
ソノの背中に、冷たい衝撃が走る。
サクラの口から出た言葉は、まさにソノが感じていた『違和感』そのものだったからだ。
「私、少しだけ『この学校、何かがおかしいのかな』って思ったことすらありました。会長が笑うだけで、みんな周りに集まっていくから……」
サクラは寂しそうに笑うわけでもなく、ただ淡々と、一年前の記憶を紐解くように語る。
「でもね、毎日一緒に過ごして、会長の優しさに触れて……私、納得しちゃったんです。会長って、いつでも自分のことより、私たちのことを一番に考えて動いてくれるんです。みんなの不器用なところも、強がりも、不安も……全員を、ちゃんと見ててくれる」
サクラの瞳が、夕日を受けてキラキラと輝き出す。
「あんな風に、誰にでも平等に、全力で味方になってくれる人が目の前にいたら……誰だって惹かれちゃいますよね。みんなが会長を大好きな理由、今ならすっごくよく分かります!」
そして、一呼吸置くと、サクラは迷いのない愛らしい笑顔で言った。
「私も、会長のこと、世界で一番尊敬して、大好きですから!」
「……。」
(洗脳じゃない……。世界のバグが生んだ歪みのはずなのに……みんな、自分の意志で、あの人を愛してるんだ……)
「ソノちゃん?」
不思議そうに首を傾げるサクラに、ソノは慌てて首を振った。
「な、何でもありません! 先輩の本音が聞けて、よかったです」
「ふふ。でもこの話は、私たちだけの秘密ですよ?」
「……はい。」
サクラの照れた笑みにつられて、ソノも自然と笑顔になる。
「じゃあ、一緒に帰りましょう?」
サクラの後ろを歩きながら、ソノは沈みゆく夕日を見つめた。
(玲……あなたは一体何者なの? ただのバグや黒幕じゃないのだとしたら……)
この学園に来てからの数ヶ月が走馬灯のように頭を巡る。
そして――
ソノの鼓動が一つ、大きく鳴った。
(もしかして……あなたも私と同じ――転生者?)
この日、ソノは一つの真実にたどり着こうとしていた。




