第三十七話 新入生観察日記と、奪われたスチル!?
歓迎会から数日後。
今日も新入生の黒崎凌は、定位置となった長机の端に座り、「監視」と称して玲をじっと見つめていた。
手元には開かれたキャンパスノート。
そこには『如月玲の行動記録』と題され、びっしりと文字が書き込まれている。
(……またやってる。)
その様子を少し離れた場所から見ていたソノは、心の中でそっとため息をついた。
(監視って言うか、あれはもうただの観察日記だよね……)
ソノが手元の資料に視線を戻そうとした、その時だった。
「ねえ、新入生くん。玲のこと観察するのはいいけどさ。」
いつの間にか凌の背後に立っていた白砂律が、面白がるような笑みを浮かべて覗き込んだ。
「観察するなら、ちゃんと傾向と対策を練らないとダメだよ?」
「……は? 対策?」
凌が眉をひそめると、今度は神城豪がバンッと凌の肩を叩いた。
「そうだぞ! あいつは集中すると平気で飯を食い忘れる! カロリーメイトとゼリー飲料の常備は必須だな!」
「いや、俺は別にアイツの世話係じゃ……。」
「それに……」
反論しようとした凌の言葉を遮るように、千早絢が優雅な手つきで紅茶のカップをテーブルに置いた。
「玲の無防備な笑顔は、時に恐ろしい破壊力を持ちますからね。直視する際は、あらかじめ心の準備を怠らないことですね。」
ふふっ、と微笑む絢の目は全く笑っていない。
完全に『俺たちの方が玲を分かっている』というマウントをとる先輩の顔だった。
「……あんたたち、頭おかしいんじゃないのか?」
ドン引きした顔で凌がノートを閉じると、ソノは心の中で激しく同意した。
(いやほんとそれ!! なんで攻略対象たちが束になって玲の厄介オタクみたいになってんの!?)
「くだらない! 俺は俺の仕事をする。」
凌は冷たく言い放つと、席を立ち上がり、足早に生徒会室を出ていった。
(……あいつらみたいに甘やかしてどうする。俺は、完璧に仕事をこなしてやる。)
特別棟の奥にある旧書庫。
凌は一人、埃っぽい空気の中で山積みになった段ボールと格闘していた。
生徒会で引き継がれてきた過去数年分の資料整理。
本来なら数人で手分けしてやるような力仕事だが、凌は誰にも頼らずに一人で片付けるつもりだった。
『完璧な兄さん(冴)』なら、これくらい一人で涼しい顔をして終わらせるはずだから。
「……っ、おも……」
重い段ボールを持ち上げた瞬間、ふらりと体勢が崩れる。
その時、ガチャと無遠慮に旧書庫の扉が開いた。
「うお、誰かと思えば生徒会じゃん。こんなとこで何してんの?」
入ってきたのは、着崩した制服に派手なアクセサリーをつけた上級生三人組だった。
部活をサボって隠れ場所を探していたらしい。
「……部外者は立ち入り禁止ですよ。」
凌が睨みつけると、三人組のリーダー格がニヤニヤと笑いながら近づいてきた。
「つか、お前……あの黒崎冴の弟じゃん。なんだよ、兄貴は天才で何でもできるのに、弟は生徒会の雑用係か? 全然似てねーな!」
ドクン、と凌の心臓が嫌な音を立てた。
一番言われたくない言葉だった。いつだって周囲は自分と『完璧な兄』を比べる。
「……あんたらに、兄さんは関係ないだろ。」
「図星かよ? かわいそーに、一生兄貴のオマケだな。」
「なんだと……ッ!!」
激昂した凌が、上級生の胸ぐらに掴みかかった。
「おっ、やる気か?」
相手がニヤリと笑い、大きな拳を振り上げる。
(しまっ――)
凌が咄嗟に目を瞑った、次の瞬間。
バンッ!!!
旧書庫の扉が、蝶番が吹き飛びそうな勢いで蹴り開けられた。
「おい。」
地を這うような低い声。
振り下ろされそうになった上級生の腕を、豪がガシッと掴んで止めていた。
「うちの新入生に、何してくれてんだ?」
「痛っ……! げ、生徒会……っ!?」
慌てる上級生たちの背後に、いつの間にか律が立っている。
「あーあ、めんどくさいなぁ。これ、暴力沙汰ってことで先生呼んで停学にしてもらう? 俺、そういう書類作るの得意だよ。」
その後ろから、絢が極上の笑みを浮かべる。
「おや、ご丁寧に名札をつけていらっしゃいますね?」
手元のメモ帳にスラスラとペンを走らせる。
「三年B組の方々ですね。……もちろん、お名前控えさせていただきましたよ。」
圧倒的なプレッシャーを放つ三人に、上級生たちが青ざめて後ずさる。
そして、三人の間を縫うようにして――玲が静かに前に出た。
凌を背中で庇うように立つと、冷たい眼差しで上級生たちを見据えた。
「うちの可愛い後輩に、何か用ですか?」
普段の温厚な彼からは想像もつかない、静かで、けれど絶対に逆らえないような威圧感。
「彼が一人で頑張ってくれていた仕事をバカにするなら……俺が、許しません。」
「ひっ……!」
その言葉に完全に戦意を喪失した上級生たちは、「お、覚えてろよ!」とテンプレのような捨て台詞を吐いて逃げていった。
放課後の渡り廊下。
茜色に染まる夕日の中、玲は安堵したように息を吐いた。
「……怪我がなくて、本当によかった。」
玲の隣には、俯いたままの凌がいる。
「……助けてくれなんて言ってない。」
ポツリと、凌が絞り出すように言った。
「俺一人でやれた。……完璧な兄さんみたいに、俺だって、ちゃんと一人で……。」
悔しそうに唇を噛む凌。
そんな不器用な後輩を見つめ、玲はふっと柔らかく微笑んだ。
そして――。
ぽん、と。
玲の大きな手が、凌の頭に優しく乗せられた。
「え……?」
「冴先輩はすごいけど、凌くんは凌くんだよ。」
夕日を背に受け、オレンジ色の光に包まれた玲の笑顔は、息を呑むほど美しかった。
「一人で完璧になんて、ならなくていい。……他の誰でもない『凌くん』が生徒会に入ってくれて、俺はすごく嬉しいんだから。」
「……っ」
凌の目が大きく見開かれる。
頭を撫でる手の温もりと、真っ直ぐに向けられた言葉。
野良猫のように威嚇ばかりしていた凌の耳が、夕日よりも赤く染まっていく。
「……っ。別に、俺は……」
ぷいっと顔を背けながらも、凌はその手を振り払わなかった。
(あ、凌くんがデレた。)
玲は慈しむように、その姿を見つめていた。
買い出しに出かけていたソノは、スポドリの入ったビニール袋を提げたまま、少し離れた曲がり角でその様子を見守っていた。
出るタイミングを完全に見失っていたのである。
美しい夕暮れ。
傷ついた後輩。
それを優しく包み込む、完璧な先輩。
一枚の絵画のように完成された、美しくも尊いその光景を見つめながら――
(いやぁぁぁっ!! ちょっと待って!? 『君は君だよ』のセリフからの夕暮れ頭ポンポン――!! 秋の文化祭の倉庫整理イベントで、私が回収するはずの激エモCGなんですけどぉ!?)
ソノは、心の中で涙を流して絶叫した。
(なんで男同士で消費してんの!? 私のスチル、返してーーっ!!!)
ソノの心の叫びなど知る由もなく――。
バグだらけの生徒会の日常は、今日も平和に暮れていくのだった。




