『恋エグ3』第二十三話 バレンタイン〜本命チョコと四重奏
二月十四日。
校内は朝から、甘いチョコレートの香りと独特の緊張感に包まれていた。
下駄箱を開ければ手紙が落ち、廊下を歩けば女子たちの視線が飛び交う。
特に生徒会室の男子陣への注目度は凄まじく、朝から凌や斗真のロッカーには大量の義理・本命チョコが殺到していた。
放課後、いつもの生徒会室。
「……ハァ。どいつもこいつも騒々しい。」
凌が生徒会室の机に書類を叩きつける。
受け取ったチョコはすべて「気持ちだけ受け取っておく」と丁寧に辞退してきたらしい。
「冷たいなぁ、凌は。女の子の甘い気持ちは受け取っとくもんやで?」
環季が女子からもらったチョコの箱を、器用に指で弄びながらニヤニヤする。
「まあ、凌くんの気持ちも分かるよ?」
斗真が温かい紅茶を口に含み、意味深に目を細めた。
「本当に欲しいチョコは、一つだけ……なんだろ?」
「〜〜〜っ! 誰がそんなこと言った!?」
凌が顔を赤くして叫ぶ横で、良樹がガタッと立ち上がった。
「あっ、ヒマちゃん!」
その声に、一斉に視線がヒマリに集まる。
生徒会室の扉の前で、ヒマリはバッグをぎゅっと抱きしめて固まっていた。
バッグの中には、昨晩遅くまでかけて作った手作りチョコが五つ。
「みなさん、あの……これ! いつもお世話になってるお礼です!」
意を決して室内に踏み込んだヒマリは、バッグから可愛らしくラッピングされた小箱を取り出した。
「ヒマちゃんの手作りチョコ!? やったー!!」
良樹が弾かれたように飛びつき、両手で恭しく箱を受け取る。
「うわぁ、ヒマリの手作りとか最高やん! 今日まで生きてて良かったわ〜。」
環季は自分の分を受け取ると、愛おしそうに頬を擦り寄せた。
「ありがとう、ヒマリちゃん。大切にいただくよ。」
斗真もまた、穏やかな笑みを浮かべつつ、しっかりと箱をポケットに収める。
「……まあ、ヒマリの感謝の気持ちだしな。ありがたく、受け取っとく。」
凌は素っ気ない態度を取りつつも、差し出された箱を手繰り寄せてじっと見つめる。
その耳の先端は、隠しきれずに真っ赤に染まっていた。
「ソノ先輩の分もあります!」
「ありがとうございます、ヒマリさん。観察の糧にさせていただきますね。」
五人全員へ配り終え、ヒマリはホッと胸を撫でおろした……はずだった。
「……なぁ、良樹。お前のチョコ、何色のリボンついとる?」
「え? 赤いリボンですけど……。」
「僕のも赤だね。」
環季の鋭い視線が、凌の手元に注がれる。
「……なんで凌のやつだけ、ゴールドのリボンなん!? しかも、箱も一回りデカない!?」
「「「え……!?」」」
男子三人の視線が、一斉に氷点下まで冷え切った。
「ち、違うんです! これはっ……!」
慌てるヒマリの顔が、一瞬で茹だこみたいに赤くなる。
「赤いリボンと同じ箱がなくなっちゃって……! それで、一つだけ違う物に……。」
ヒマリの声が、だんだん小さくなっていく。
ヒマリの困ったような様子を見て、斗真が助け舟を出す。
「まぁ、そういうことにしておこうか?」
「せやな。こんなん言うのは無粋やったわ。堪忍な、ヒマリ。」
環季も、素直にヒマリに両手を合わす。
「……うん。そうだね……。」
良樹は何か言いたげではあったが、言葉を飲み込んだ。
「あ、あの……私、教室に忘れ物しちゃって……取りに行ってきますね……!」
ヒマリは、誰とも視線を合わせられずに、生徒会室を飛び出すように出て行った。
◇
昨晩、ヒマリはみんなの顔を思い浮かべながらチョコを作っていた。
『俺はお前と一緒に、まだ見ぬ「運命」を見つけに行きたい……あれは劇のアドリブじゃねーよ。』
『あの時、お前を見てそう思った……俺の本心だ。』
クリスマスに、凌から言われた言葉がリフレインする。
部屋の片隅で、クリスマスプレゼントにもらったおやゆび姫のオルゴールが鳴る。
自分の中で、凌という存在が「特別」になっていることに、ヒマリはもう嘘をつけなくなっていた。
(どうしよう……。思わず飛び出してきちゃったけど、どんな顔して生徒会室に戻ればいいの?)
ヒマリが行く宛もなくトボトボと廊下を歩いていると、後ろから手首が、強い力で引っ張られた。
「ヒマリ!」
ハッと振り返る、そこには息を切らした凌の姿があった。
「凌会長!?」
「お前……急に飛び出して行くなよ! ビックリするだろ?」
「……すみません。」
ヒマリがしゅんと俯く姿を見て、凌が乱暴に自分の頭を掻く。
「……っ。責めてんじゃねー! 俺が言いたいのは……。」
そう言うと、凌はヒマリを真剣な眼差しで見つめた。「チョコレートの……お礼が、言いたかったんだ。」
「えっ……?」
視線が交わる。
「……ありがとな。めちゃくちゃ嬉しかった。」
騒音に紛れるように、凌が小さな声で呟いた。
ヒマリの心臓がトクンと跳ねる。
「俺……他のやつのチョコレート、全部断ったんだ。」
凌の声が低く響く。
「お前以外の奴から貰っても、何の味もしねーから。」
「凌会長……。」
凌が足を一歩踏み出した。
アイスブルーの瞳に至近距離で見つめられ、ヒマリは身動きが取れなくなる。
「初詣で、『素直になれ』っておみくじに書いてあって……。」
凌は苦笑し耳まで真っ赤にしながらも、絶対に視線を逸らさなかった。
「俺……お前の前では素直になるって決めたんだ。……お前を失いたくないから。」
凌の言葉に、ヒマリの頭の中は真っ白になった。
「凌会長、私は……。」
そう言いかけて、ヒマリの言葉が止まった。
(あれ? 私、何を言おうとしてるの……?)
ヒマリにとって、凌は「特別」になりつつあった。
だけど――。
どうしても、言葉が続かない。
二人の間に沈黙が落ちる。
その沈黙を破るように、凌が小さく息を吐いた。
「今、無理に何か言おうとしなくていいから。俺のことを、頭の片隅にちょっと置いといてくれたら、嬉しい。」
そう言うと、凌は踵を返した。
「あと、ヒマリ。今日はもうこのまま帰っていいぞ? 大した仕事はないから。」
後ろ手に手を振る凌。
そんな彼の不器用な優しさが、ヒマリは嬉しかった。
◇
凌の言葉に甘えて、今日はこのまま帰ろうとヒマリが下駄箱で靴を履き替えようとした時だった。
ポロっと手紙が落ちてきた。
差出人の名前はない。
『伝えたいことがあります。校舎裏に来てください。来てくれるまで待ってます。』
これは、また前回のように嫉妬した女子生徒からの手紙だろうか?
(でも、来てくれるまで待ってるって……。)
一抹の不安を感じながらも、ヒマリは一人、校舎裏へと向かった。
◇
夕焼けの赤と宵の紺が空で交わる。
校舎裏は誰もいないような静けさで満ちていた。
本当に、ここで手紙の送り主は待っているのか?
そう思っていると、柱の後ろで影がゆらりと動いた。
「ヒマちゃん。来てくれてありがとう。」
柱の後ろからゆっくりと姿を現したのは良樹だった。
「よっちゃん!?」
ヒマリが思わず胸を撫でおろしたのも束の間、良樹は真剣な表情でヒマリの前に立った。
「呼び出しの手紙、びっくりさせてごめんね。でも……どうしても二人きりで話したくて。」
「二人きり……?」
「うん。僕のチョコのリボンは赤だったけど……凌先輩のゴールドのリボンを見たとき、正直すごく悔しかったんだ。」
良樹はぎゅっと拳を握りしめ、ヒマリをまっすぐに見つめた。
「だって、ヒマちゃんをずっと思ってきたのは僕なのに……。ヒマちゃんのこと、一番知ってるのは僕なのに……。」
良樹が悔しさに顔を歪める。
「ヒマちゃんにとっての『一番の居場所』は、僕が作ってみせるから。……だから、僕のことも幼馴染じゃなくて、ちゃんと男として見てほしい。」
直球で一途な言葉。
夕暮れの光に照らされた良樹の瞳は、どこまでも澄んでいて熱を帯びていた。
ヒマリの心臓がトクンと音を立てる。
「よっちゃん……私――。」
「〜〜〜っと! そこまでや、良樹!」
「そこまでだよ?」
「「ええっ!?」」
校舎裏の物陰から、姿を現したのは環季と斗真だった。
「滝沢先輩!? 水川先輩!? なんでここに……!?」
驚く良樹に、環季は「やれやれ」と首を振る。
「お前が挙動不審にコソコソしとるからついて行ってみれば……。下駄箱に手紙入れて呼び出しとか、昭和の少女漫画か!」
「抜け駆けは感心しないな、良樹くん。」
斗真もまた、穏やかな笑顔の裏に鋭い光を宿して歩み寄ってくる。
「二人ともズルいですよ? 今は僕がヒマちゃんと話してるんで、邪魔しないでください。」
「甘いな良樹。恋愛は早い者勝ちやけど、奪い合いでもあるんやで?」
環季はヒマリの前に立つと、いつものおちゃらけた雰囲気を消し、ふっと真面目な顔つきになった。
「ヒマリ。ゴールドのリボンなんて、正直どーでもええ。お前が誰を好きでも、俺は俺のやり方で奪いに行くだけや。いつだって、ヒマリの本命の座を狙っとるんやから。覚悟しとき?」
「っ……!」
「ヒマリちゃん。」
斗真は一歩近づいて、逃げ道を塞ぐように視線を合わせる
「僕はね、君が誰を選んでも幸せならそれでいい……。なんて、物分りのいいフリをするのはもうやめたんだ。ヒマリちゃん、僕のこともちゃんと『特別』にしてくれる?」
「あ、あの……! 水川先輩……!?」
あまりの密着度に、ヒマリの頭はパンク寸前だ。
「おい……お前ら、そこで何やってんだ!?」
地獄の底から響くような低い声が聞こえ、全員が振り返る。
そこには、いなくなったみんなを探しに来た凌が、鬼の形相で立っていた。
「凌会長……!?」
「お前ら……。俺がせっかくヒマリを先に帰したのに、校舎裏に追い詰めて何群がってんだよ!!」
凌の眉間に深いシワが刻まれる。
「群がってへんわ、アプローチ中や!」
「黒崎先輩こそ、廊下で抜け駆けしたって聞きました!」
「そうだよ? 凌くん。自分だけいい格好をして選ばれようなんて……そうはいかないからね?」
「〜〜〜っ! うるせぇぇぇ!!」
凌がブチギレて怒鳴り散らし、校舎裏は一瞬で大惨事の喧嘩騒ぎに突入した。
次々と畳みかけられる四者四様のアプローチに、ヒマリの顔は湯気が出そうなほど真っ赤になり、ついにキャパシティをオーバーした。
「〜〜〜〜〜っ!!! もう、みなさん大嫌いですーーーっ!!!」
真っ赤な顔を手で覆い、ヒマリは脱兎のごとく校舎裏から駆け出していった。
「「「「あ、ヒマリ(ちゃん)!!」」」」
取り残された男子四人が、慌ててその後ろ姿を追いかけようとするも、その姿はあっという間に見えなくなった。
◇
『観察記録:バレンタイン特別編』
本命チョコを巡る「ゴールドリボン事件」発生。
廊下での凌会長による情熱的な牽制攻撃に続き、校舎裏にて残り男子3名による怒涛のアプローチ合戦が勃発。
最終的に四重奏の過密アタックにより、ヒマリさんは容量オーバーを起こして逃走。
ついに舞台は卒業式――最終決戦へ。
ソノはペンを止め、夜空に浮かぶ月を見上げた。
「……フフ。ヒマリさんは『大嫌い』と言って逃げてしまいましたが……あれは完全に『パニックによる自爆』ですね。」
ソノは、ヒマリからもらった小箱からチョコを一粒口へ運ぶと静かに微笑んだ。
「ヒマリさんは……どんな結末を選ぶのでしょうか?」
甘いチョコの香りが、部屋いっぱいに広がった。




