『恋エグ3』第二十話 文化祭後編〜おやゆび姫の幸せ、まだ見ぬ運命を探して
文化祭当日。
朝から学園は、いつもとはまるで違う熱気に包まれていた。
校舎のあちこちから、呼び込みの声や笑い声が聞こえてくる。
中庭には色とりどりの模擬店が並び、焼きそばやクレープの香ばしい匂いが漂っていた。
「いらっしゃいませー!」
「二年三組のメイドカフェ、ぜひ来てくださーい!」
「射的、一回百円でーす!」
廊下を歩けば、普段は見慣れた制服姿の生徒たちが、それぞれの出し物に合わせた衣装で行き交っている。
そんな賑やかな校内の一角――。
講堂では、生徒会が担当する演劇の開演を今か今かと待つ観客たちが、次々と席を埋めていた。
舞台袖。
ヒマリは両手を胸の前で握りしめ、何度も深呼吸を繰り返していた。
「すぅ……はぁ……」
心臓が、いつもよりずっと速く鼓動している。
今日まで、みんなで何度も練習してきた。
台詞も動きも、もう頭に入っている。
それでも――。
「緊張する……。」
ヒマリが小さく呟いた、その時だった。
背中に、そっと手が添えられる。
「ヒマリちゃん。大丈夫だよ。」
「……水川先輩。」
振り返ると、斗真が穏やかな笑顔を浮かべていた。
「でも……。」
ヒマリは、少しだけ視線を落とす。
「結局、今日まで決められなかったんです。」
何度も考えた。
おやゆび姫が最後に選ぶ場所。
誰のもとへ行くのか。
どこを、自分の居場所にするのか。
けれど――答えは出なかった。
「私……ちゃんと、おやゆび姫の答えを見つけられますかね?」
不安そうに尋ねるヒマリに、斗真は少しだけ目を細めた。
「大丈夫。」
そして、静かに続ける。
「どんなエンディングを選んでも、おやゆび姫は幸せになれるから。」
「……え?」
「ヒマリちゃんが選ぶのは、その方法だけだよ。」
その言葉に、ヒマリは目を瞬いた。
「幸せになる方法……。」
「うん。」
斗真は優しく頷いた。
「だから、もう少し肩の力を抜いて。ヒマリちゃんが、その時に『これがいい』って思ったものを選べばいいんだよ。」
しばらく黙っていたヒマリの表情が、少しずつ柔らかくなる。
「……ありがとうございます。」
その時――。
「そろそろ本番、始まるぞ!」
舞台袖の向こうから、凌の声が飛んできた。
「はい!」
やがて、講堂の照明が落ちる。
ざわめいていた客席が、一瞬で静まり返った。
そして――ゆっくりと、幕が上がった。
◇
舞台の中央には、一輪の大きな花。
その花の中から、小さな少女が顔を出した。
「ふぁ〜、よく寝た! あら? ここはどこかしら?」
おやゆび姫がキョロキョロと辺りを見回していると、舞台袖から、緑色のつなぎを着た良樹が、うさぎ跳びでやってきた。
「可愛いお嬢さん! 君は一体だれ?」
「私はおやゆび姫のヒマリ。あなたは?」
「僕はカエルの良樹だよ! ところで、ヒマリちゃん。突然なんだけど……。」
「うん?」
ヒマリが首を傾げる。
「僕と、結婚してくれない?」
「えっ!?」
突然のプロポーズに、ヒマリは目を丸くした。
「一目惚れなんだ! 僕のところに来れば、毎日おいしいご飯を作ってあげる! 危ないことがあったら、絶対に僕が守るから!」
観客席から、さっそく声が上がる。
「わぁ、いきなりプロポーズきたぁ!」
「良樹くんって、身体大きいけど可愛いよね! 私もこんな人に守られたい!」
ヒマリは良樹の手を握った。
「ありがとう。その気持ち、すごく嬉しい!」
その言葉を聞いた途端、良樹の表情がぱっと明るくなる。
「でも……。」
ヒマリが俯いた。
「私、まだ外の世界を何も知らないの。だから、もう少し他の景色を見てみたい。行かせてくれる?」
「……っ」
良樹の瞳が揺れる。
「僕は――」
何かを言いかけた良樹は、ぐっと口を噤んだ。
重ねた手を一度だけ強く握り、それから、そっと離す。
「……分かった。だけど……まだ僕は諦めたわけじゃないから。」
◇
次に現れたのは、メタリックなマントに身を包んだ環季だった。
「あー! 君、可愛いなぁ。名前なんて言うん?」
「私はおやゆび姫のヒマリ。あなたは?」
「俺はコガネムシの環季や。ヒマリ! 良かったら、うちに来ーひん?」
「え?」
「うちに来たら、豪華な家! 美味しい飯! 楽しい仲間! 自由時間もたっぷりあるで!」
環季演じるコガネムシは、両手を広げて得意げに笑った。
「そんな暮らし、夢みたいやろ?」
客席から笑いが起こる。
「環季くんのコガネムシいいね!」
「環季くんとだったら、楽しく暮らしていけそう!」
「それにヒマリやったら、コガネムシ界のアイドルになれるで! 俺がプロデュースして、人気者にしたる!」
環季が、台本にはない台詞を畳みかける。
「ふふっ。」
ヒマリは思わず笑ってしまった。
「コガネムシ界のアイドルって、楽しそうですね! でも……。」
ヒマリは首を横に振る。
「地位もお金も自由な時間も……魅力的だけど。私は、私らしくいられる場所を探したいんです。」
「おお……そう来るかぁ。」
環季は肩をすくめた。
「残念やな〜。ほんまにええの? こんなサービス、他では受けられへんで?」
「はい。」
ヒマリの返事に、迷いはなかった。
「そっか。なら、しゃーないな!」
環季はヒマリの背中をぽんと押す。
「俺を振り切って行くんやから、ちゃんと自分の居場所を見つけるんやで?」
「はい!」
◇
次に現れたのは、茶色のジャージを着た斗真。
「おや? こんな所にお客さんとは珍しい。君は?」
「私はおやゆび姫のヒマリ。あなたは?」
「僕はモグラの斗真だよ。まぁ、ゆっくりしていくといい。」
そう言うと、斗真はゆっくりと湯呑みに口をつけた。
「ここなら、雨も風も心配ない。暖かい場所で、安心して暮らせる。食べるものにも困らない。」
斗真は、穏やかな声で語りかける。
「静かな場所で、誰にも邪魔をされず、二人で穏やかに暮らしていかないか?」
観客席から、ため息が漏れる。
「斗真くんとだったら、どこでもいい! 二人きりで暮らしたい!」
「分かる! 私も水川くんに守られたい!」
斗真は、さらに続けた。
「人は、安心して暮らせる環境があって初めて、自分らしくいられるんじゃない?」
「確かに……。」
ヒマリは少し考える。
けれど、首を縦に振ることはできなかった。
「確かに、安心して暮らせる環境は大切です。でも、私は……変化のない安心より、危険があったとしても新しい世界が見たいんです!」
モグラは、少し寂しそうに笑った。
「そっか。君はそう考えるんだね。いいよ。君なりの答えを見つけておいで。」
「はい!」
◇
そして――。
次に現れたのは、黒いマントを羽織ったソノだった。
「おや? 可愛いお嬢さん。私はツバメのソノ。君は何をしているの?」
「私はおやゆび姫のヒマリ。私は、自分の居場所を探して旅をしているの。」
「そう。じゃあ、私の背中に乗るといいよ。どこへでも連れていってあげる。知らない国でも、遠い場所でもいい。」
ソノの声が、静かに響く。
「……どこへでも?」
「ええ。途中で戻りたくなったら、それでもいい。大切なのは、君が自分で選ぶことだから。」
おやゆび姫は、しばらくツバメを見つめた。
「ありがとう。じゃあ、私をまだ見たことのない世界へ連れて行って?」
ツバメはヒマリの手を取ると、嬉しそうに微笑んだ。
◇
舞台の照明が変わった。
花々が咲き乱れる、花の国。
その中央に、王子の衣装をまとった凌が立っている。
「〜♪」
歌詞のないハミングが、静かに響く。
その美しさと佇まいに、会場全体が、はっと息を呑んだ。
台詞はない。
ただ洗練された動きと歌声だけで、この人物が何者なのかを理解させるほどの説得力があった。
「凌くんが本気出すって言ってた意味が分かるね。」
「ああ、普段とは別人みたいやん。」
舞台袖で、斗真と環季が視線を交わす。
(会長……すごい。)
舞台上では、ヒマリも一瞬その迫力に気圧された。
けれど、すぐに我に返り、演技を続ける。
「あなたは誰? 何をしているの?」
凌はヒマリの方へ、ゆっくりと振り向いた。
「俺は凌。今は、歌を歌っていた。まだ見ぬ誰かに届くように。お前は? ここで何をしている?」
「私は、おやゆび姫のヒマリ。自分の居場所を探して、まだ見たことのない世界を旅しているの。」
凌は驚いたように目を丸くすると、ヒマリに歩み寄った。
「それは……すごいな。俺はここで、ただ誰かを待っているだけなのに……お前は自分の足で探しに行くんだな。」
凌は、アイスブルーの瞳でヒマリを見つめる。
「それで……お前は、その『居場所』を見つけたのか?」
ヒマリは小さく首を横に振った。
「分からない……。私には、まだ見たことのない景色がたくさんある。だから、そのすべてを見てみつけたいって思ってる。」
「そうか……。」
その言葉を聞いて、凌は嬉しそうに笑った。
「ここは好きなように過ごせる場所。無理に変わる必要もないし、誰かの期待に合わせる必要もない。」
そこで一度、言葉を切る。
「だけど……。」
凌はヒマリをまっすぐ見つめた。
「俺の『運命』は、ここでは見つからない。」
ヒマリは、凌の言葉を受けてゴクリと喉を鳴らした。
(こんな台詞、知らない……)
本当はここで――。
『お前も、この花の国で暮らさないか?』
そう言うはずだった。
けれど凌は、台本にはない言葉で話を繋いでいる。
(凌会長、今アドリブで繋いでる……!)
固まっているヒマリを導くように、凌が続けた。
「お前がまだ居場所を見つける旅を続けるなら、俺もその旅に一緒に連れて行ってくれないか?」
「えっ!? そんなことできるんですか!?」
ヒマリは、思わず役を忘れて本気で驚いた。
その様子を見て、凌がクスリと笑う。
「ああ。言っただろう? ここは好きに過ごせる場所だって。いるのも自由だし、出るのも自由。」
その言葉を聞いて、ヒマリはポカンと口を開けた。
(こんな展開、知らないんですけど! 一体どうすれば……。)
構わず、凌は続ける。
「俺は今まで、動く勇気が出なかったんだ。でも、お前が来て変わった。」
その声に、先ほどまでの王子としての余裕とは違う、どこか真っ直ぐな響きが混じる。
「俺はお前と一緒に、まだ見ぬ『運命』を見つけに行きたい。……今度は、お前の答えを聞かせてくれ。」
ヒマリの胸が、ドクンと鳴った。
そして、考えるより先に――。
「分かりました。凌――。」
ヒマリは凌へ向かって手を伸ばした。
「私と一緒に行きましょう!」
二人は嬉しそうに手を取り合った。
花びらが舞う。
照明がゆっくりと明るくなり――。
舞台は、華やかなフィナーレを迎えた。
――大きな拍手が、講堂いっぱいに響き渡った。
◇
「……これで、おやゆび姫のお話はめでたしめでたし、ですね。」
ソノが微笑む。
「いや、しかしやで……。凌、アドリブが過ぎひん!?」
環季が、凌にもの申した。
「はぁ? 最初にアドリブやったのお前だろ!? コガネムシ界のアイドルにするって、ヒマリをスカウトしたくせに。」
「ぐぬぅっ。」
二人のやり取りを見ていた斗真が、間に入る。
「でも、今日の凌くんの演技は凄かったよ。最後は雰囲気ごと持っていかれちゃったもんね。」
斗真は両手を上げ、完敗とばかりに肩をすくめる。
「でも最後のあれ……アドリブの台詞は演技なの? それとも……凌くんの本心?」
「はぁ!? 知らねーし。とっさに出たんだってば!」
その輪の中に、ヒマリも入ってくる。
「みんなアドリブばっかりだから、ドキドキしちゃいましたけど……。でも、演劇すっごく楽しかったですね!」
緊張から解放されたヒマリが、満面の笑みを浮かべる。
その笑顔につられるように、みんなの表情も綻んだ。
「せやな。」
「うん。やって良かったね。」
「私も楽しかったです。」
「僕も、今度はヒマちゃんに選んでもらえるように頑張ります!」
「おいおい、次もやるって決まってねーだろ。」
それぞれの言葉を聞きながら、ヒマリは今日一番の笑顔で答えた。
「ふふっ。またみんなでやりましょうね!」
◇
文化祭も無事に終わり、夜。
凌は自室のベッドに倒れ込んでいた。
演劇の後は、各クラスの催し物への顔出しやトラブル対応に追われていた。
身体は疲れ切っているはずなのに――なぜか、あの舞台での出来事が頭から離れない。
『俺はお前と一緒に、まだ見ぬ「運命」を見つけに行きたい』
あの時、どうしてあんな言葉が口から出たのか。
ヒマリに選択肢を与えるため。
そう思っていた。
けれど――。
自分の幸せを掴むために、自ら動くおやゆび姫。
今ある安寧を壊したくなくて、動けずにいる王子。
では、自分は?
このまま、待っているだけでいいのか?
凌は天井を見つめたまま、静かに目を閉じる。
あの言葉は、王子としての台詞だったのか。
それとも、自分自身の本心だったのか。
まだ、答えは分からない。
ただ――。
今までと同じままでは、いられない。
そんな予感だけが、胸の奥に残っていた。




