『恋エグ3』第十九話 文化祭前編〜自分たちで紡ぐ物語
十月の半ば。
来月に控えた文化祭に向けて、生徒会の仕事は一気に忙しくなっていた。
屋台に縁日、メイドカフェなど、毎年さまざまな出し物で盛り上がる学園祭。
そんな中、生徒会が担当するのは、前年度も好評だった演劇だった。
今年の題目は――『おやゆび姫』。
生徒会室のホワイトボードには、キャスト表が貼り出されている。
おやゆび姫――ヒマリ
カエル――良樹
コガネムシ――環季
モグラ――斗真
ツバメ――ソノ
花の妖精の王子――凌
「……俺が、王子!?」
自分の名前を見つめた凌が、露骨に顔をしかめた。
「俺、そんなキャラじゃねーけど……。」
照れを隠すような、ぶっきらぼうな声が響く。
「凌、王子が不満なん?」
環季がキャスト表を覗き込み、ニヤニヤと笑った。
「それやったら、俺のコガネムシと交換するか?」
「それは……遠慮しとく。っつーか、この題目とキャスト決めたの誰なんだよ!」
凌が訴えると、ソノが淡々と答えた。
「顧問の亀山先生ですよ。『あなた達なら、この題材を最高の料理にできる』と。」
「……料理って。」
凌が呆れたように呟く。
その隣では、ヒマリが手渡された『おやゆび姫』の冊子を開いていた。
「へぇ~。おやゆび姫かぁ……。」
楽しそうにページをめくっていたヒマリが、ふと首を傾げる。
「……あれ?」
もう一度、ページをめくる。
「……中身がない!?」
冊子は、表紙と数枚の白紙だけだった。
ソノはその冊子を受け取ると、空白のページをみんなに見せる。
「亀山先生が私たちに渡したのは、このキャスト表と題材だけです。ストーリーは、自分たちで作りなさい、と。」
「はぁ!? そんな丸投げかよ!?」
凌の声が、生徒会室に響き渡った。
「でも、面白いと思うよ。」
斗真がキャスト表を眺めながら、穏やかに笑う。
「自分たちで作るなら、原作をそのまま再現する必要もないってことだよね?」
「確かに!」
良樹が身を乗り出した。
「ということは……おやゆび姫が最後に結ばれる相手は、王子じゃなくてもいいってことですか!?」
一瞬、部屋が静かになった。
環季が、ニヤリと笑う。
「……ほんまや。」
そして、ゆっくりと全員を見回した。
「むしろ、そっちの方が面白いやん?」
「……おい。」
凌の眉がピクリと動く。
「何だよ、その顔。お前、絶対ろくなこと考えてないだろ!」
「さあなぁ?」
環季は楽しそうに笑った。
「でも……俄然、やる気出てきたわ!」
「お前、何する気だよ……。」
凌が警戒する横で、ヒマリは表紙だけの台本を机に置いた。
「それで……具体的には、どんなお話にするんですか?」
「そうですね。まずは原作を整理してみましょう」
ソノがホワイトボードの前に立つ。
「おやゆび姫は、小さな女の子が花から生まれるところから始まります。そして、カエルに連れていかれてしまう。」
「じゃあ、僕がヒマちゃんを攫うんですね!」
良樹が爽やかな笑顔で言い切った。
「……言い方。」
凌が即座にツッコむ。
ソノも淡々と訂正した。
「『連れていく』です。」
「はい!」
「次に、おやゆび姫はカエルのもとから逃げます。その後、コガネムシに連れていかれて――。」
「また誘拐されるのかよ……。」
凌が呆れた声を漏らす。
「せやから、そんな単純にはせーへんって!」
環季が胸を張った。
「そこは俺に任しとき。コガネムシとの出会い方、めっちゃ面白くしたるわ。」
「お前に任せて大丈夫なのか……?」
「失礼やなぁ。俺、こういうの得意やで?」
環季は自信満々に笑う。
ソノは気にせず、話を続けた。
「その後、おやゆび姫はモグラのところへ行き、ツバメと出会う。そして最後に、花の国へ辿り着く――というのが大まかな流れです。」
「原作では、最後に花の国で王子に出会って、そこで幸せになるんだよね。」
斗真が顎に手を当てる。
「でも……せっかく自分たちで作るんだったら、もう少し違う結末にしたいな。」
その言葉に、環季も頷いた。
「俺も同感や。」
良樹も真剣な表情で口を開く。
「原作のおやゆび姫は、最後に花の国で『自分の居場所』を見つけますよね。」
「そうですね。」
ソノが頷く。
「だったら……僕たちが作るおやゆび姫は、その『居場所』を自分で決める物語にしてみたらどうですか?」
ヒマリが、ぱちりと瞬きをした。
「自分で……決める?」
「それ、いいね。」
斗真が穏やかに笑う。
「誰かに『ここにいなよ』って言われた場所じゃなくて、自分が『ここにいたい』と思える場所を、おやゆび姫が選ぶんだ。」
「……!」
ヒマリの表情が、ぱっと明るくなる。
「それ、素敵です!」
「うん。」
斗真が頷く。
「だから――最終的な結末は、おやゆび姫であるヒマリちゃんに決めてもらいたいんだ。」
「えっ!? 私ですか!?」
ヒマリは目を丸くした。
「そんな重大なこと、私が決めていいんですか!?」
「もちろん。だって、この物語の主人公はヒマリちゃんだから。」
斗真が笑う。
「……それ、面白いやん!」
環季が楽しそうに言った。
「ヒマリは責任重大やけど……俺らも、本気でおやゆび姫が『ここにいたい』って思えるようにアプローチするで?」
「はい! 僕も全力でヒマちゃんが選んでくれるように頑張ります!」
良樹も拳を握る。
「いや、だからヒマちゃんじゃなくて、『おやゆび姫』な……。」
凌が呆れたように突っ込む。
けれど、その表情はどこか真剣だった。
組んでいた腕をほどき、凌はまっすぐヒマリを見る。
「……分かった。そこまで言うんなら、俺だって負けてらんねー。」
ぶっきらぼうな声。
けれど、その瞳には迷いがない。
「手加減はしねーからな?」
「……!」
ヒマリは少しだけ目を見開いた。
なんだか、ただの演劇の打ち合わせとは思えない。
けれど――。
「私も頑張ります!」
ヒマリは両手を胸の前で握り、笑顔を浮かべた。
「みんなで、いい劇にしましょう!」
ソノは静かに周囲を見回した。
カエル役の良樹。
コガネムシ役の環季。
モグラ役の斗真。
そして、花の妖精の王子役の凌。
全員が、それぞれ何かを考えているように見える。
(これ……文化祭の演劇の話ですよね?)
ソノは小さく息を吐いた。
(なんだか……別のバトルが始まりそうな気がするんですけど……。)
◇
それから数日。
生徒会室では、文化祭の演劇に向けた練習が始まっていた。
「じゃあ、まずはそれぞれの役を固めていきましょう。」
ソノの声に、全員が台本代わりのノートを開く。
まだ完成した脚本はない。
決まっているのは、『おやゆび姫』という題目と、それぞれの役だけ。
最初の練習は――役作りからだった。
「まずはカエル役!」
「はい!」
良樹が勢いよく手を挙げる。
「僕は、おやゆび姫を見つけたら、とにかく大切にします! 毎日おいしいご飯を作って、一緒に遊んで、危ないことがあったら守って……。」
「めっちゃ過保護やん。」
環季が笑う。
「ヒマちゃん……じゃなくて、おやゆび姫がずっと笑顔でいられる……そんなカエルの役にしたいです。」
「次はコガネムシ!」
環季が待ってましたとばかりに立ち上がる。
「俺は、おやゆび姫を見つけた瞬間にスカウトする! 豪華な家! 美味しい飯! 楽しい仲間! 自由時間もたっぷり! ってな!」
「……怪しい勧誘にしか聞こえねー。」
凌が呆れる。
「なんでや! 楽しい暮らしには、気持ちだけやのーて、それなりの環境も大事なんやで!?」
「確かに、それは一理あるよね。」
斗真が立ち上がる。
「次は僕かな。モグラは、おやゆび姫に安心を提供してあげられる役にしたい。」
穏やかな声だった。
「暗くて静かな場所だけど、雨も風も防げる。食べるものにも困らない。」
「……なるほど。」
ヒマリが頷く。
「では、次は私ですね。」
ソノは台本に視線を落とした。
「ツバメは、おやゆび姫の望む場所へ連れていく役です。」
「ツバメは、どんなところに連れていってくれるんですか?」
ヒマリが尋ねる。
ソノは少しだけ考えて答えた。
「おやゆび姫が望むならどこへでも――。まだ見たことのない土地でもいい。やっぱり最初が良かったと戻ってもいい。おやゆび姫が望む場所にお連れします。」
ソノは静かに続ける。
「私のツバメは『あなたはここにいるべき』と、考えを押しつけない。だって、おやゆび姫の人生はおやゆび姫自身で見つけてもらいたいからです。」
「そして――最後が、花の妖精の王子。」
「……俺か。」
凌が面倒そうに立ち上がる。
「凌会長の王子は、どんな王子なんですか?」
ヒマリが尋ねる。
「まだ決まってねーけど……。」
少し考えながら、凌が口を開く。
「こっちが何か与えるような、押しつけがましい感じじゃなくて……お互いが素の自分でいられる感じがいいと思う。」
凌はヒマリを見る。
「無理してると、絶対いつかそこにいることが苦しくなる。だから、俺は特別なことはしない。その上で、おやゆび姫が『ここにいたい』って思えたなら……
それが本当の居場所なんじゃねーの?」
「なるほど。これで、だいぶ物語の方向性が見えてきましたね。」
ソノが頷いた。
◇
それぞれの練習が終わり、みんなが帰ったあと。
一人、生徒会室に残ったヒマリは、机に頬杖をついていた。
「うーん……。」
目の前には、みんなで書き込んだ台本。
『おやゆび姫が最後に選ぶのは――』
その先がどうしても埋まらない。
「おやゆび姫が最後に望むものって……なんだろう?」
ヒマリは腕を組み、真剣に考え始める。
カエルのところでは、大切に守ってもらえる。
コガネムシのところでは、楽しい時間を過ごせる。
モグラのところでは、静かに安心して暮らせる。
ツバメは、もっと広い世界へ連れていってくれる。
そして――花の国の王子の前では、素でいられる。
どの場所にも幸せがある。
だからこそ、正解なんてきっと誰にも分からない。
「私が本当にいたい場所って……どこなんだろう?」
これは、おやゆび姫の物語。
けれど、自分にも繋がる物語。
安易に結末を決めるのは、違う気がした。
しばらく考えたあと、ヒマリはそっと台本を閉じた。
「……まだ、分からないや。」
最後のページは、真っ白なまま。
おやゆび姫が誰を選ぶのか。
どこを「自分の居場所」にするのか。
その答えは、まだ決まっていない。
けれど――。
「これでいいのかも。」
ヒマリは小さく笑った。
答えが決まっていないからこそ、この先の物語は自分たちで紡いでいける。
「……頑張ろう。」
台本を胸に抱き、ヒマリは生徒会室を後にした。
文化祭まで、あと数週間。
この真っ白なページに、どんな物語が綴られるのか――。
その結末を、まだ誰も知らなかった。




