1-65.ふかふかベッド
焦げ茶の重厚な木製扉が、静かに押し開かれる。
清潔な白壁の室内。天井から吊るされたガラスの蕾が、やわらかな橙光を零し、天井と壁をほのかに染めていた。
並べられたベッドが二つ。
テーブルが一卓、椅子が二脚。
角の取れた椅子の背もたれは、枝をしならせて作られている。
あえて残された節の模様と、使い込まれた木肌。磨き上げられた表面は、深い飴色の光沢を湛えていた。
豪奢ではない。
だが、瀟洒な調度が整えられた室内には、落ち着いた静けさが満ちている。
開いた扉の陰から、キトが顔を半分だけ出して部屋を覗き込む。
「うわ……な、なにこれ……。え……こんなきれいなとこ、入っていいの?」
「おう! 今夜の宿だぜ! あ、ここじゃ靴は脱ぐんだ」
「靴を脱いでから部屋に入るの?」
「おう! そいつだぜ!」
デラダンはキトの背後に立ち、入口脇の靴箱を指さした。
示された先へゆっくりと視線を流し、キトは靴箱の前へ歩み出る。
後から部屋へ入ったデラダンが、靴を脱ぎ、靴箱へ収めてみせた。
スリッパに履き替えた姿を見て、キトも真似をする。
グエンが物珍しげに言った。
「ここは靴を脱ぐのか。俺の故郷みたいだな。しかし、炙り酒の二階に、こんな良い宿がくっついてるとはなあ」
「アニキんとこもそうなんすか! つっても、こんなお上品なのはアッシもここ以外知らねえっすよ。炙り酒は、内輪のやつらが運営してるとかで、作りがしゃれてやがるんで」
「いや、俺の故郷も、でかい家とかの寝室くらいだよ。俺が住んでた安部屋じゃ、靴のままだったし」
「アッシらの住んでるボロアジトも似たようなもんっすよ」
「デラダンは一人暮らしじゃないのか?」
「ジアとユイークとアッシの三人っす。ほとんどスラムみてえなとこっすけど」
「へえ、面白そうだな」
「へっへっへ、ぜひ遊びにきてくだせえ! 歓迎しやすぜ!」
「そうだな。明日にでも行ってみるか。今日はもう、そろそろ日が暮れるだろうし」
グエンは窓へ視線を向ける。
外の明るさから時刻を計ろうとして――ふと気づいた。
ここは大隧道の内部だ。
青白い人工照明が通路を満たしており、太陽の移ろいで時間を測ることはできない。
時計を探して視線を泳がせた、その時。
室内を駆けたキトが、テーブルの前で声を上げた。
陶器の小皿に盛られていたのは、色とりどりの宝石のような塊。
「わ! なにこれ、きれいな石があるよ!」
「お、そいつぁ、鉱石糖だぜ。キト、知らねえのか?」
「うん、初めて見た。きれーだね」
「へっへっへ、食えるんだぜ、こいつあよ」
小皿に盛られた鉱石糖は、クラスターの形をしていた。
デラダンの太い指が、鉱石糖の山からミッドナイトブルーの透明な一粒を摘み上げる。
そのまま口へ放り込んだ。
口内で転がされたクラスター状の鉱石糖が、コロコロと軽やかな音を立てる。
キトも真似をして、鮮やかなオリーブグリーンの鉱石糖を口に入れた。
コロコロと音が鳴る。
「! 甘い! おいひいね!」
「シンプルでうめえんだ、これが。アニキも一つどうっすか? ここらの土産っすよ。色によって味が違うんすよ」
「へえ、デラダンのはサファイア、キトのはペリドットか? なら、俺はこの重銀っぽいやつにしよう」
グエンは鉱石糖の山から、スノーホワイトの一粒を選び口に入れる。
舌の上で転がした。
「ん、ミルク味か。ハッカかと思った」
「アッシのはブルーベリーっすね。たぶん、よくわかんねえすけど」
「んー……ぼくのは……レモン!」
「いいねえ。ほっとするよ」
グエンは鉱石糖を舌で転がしながら、テーブル脇の椅子に腰を下ろした。
キトとデラダンも並んで腰掛ける。
鉱石糖の転がる軽い音。
それに混じり、小さな丸い壁掛け時計の秒針が静かに時を刻んでいた。
ふと、キトの目線がくぎ付けになっていることに気づく。
グエンはキトの視線を追った。
そこにあったのは、一対のベッド。
「キト、ベッドが気になるのか?」
「う、うん。あんなおっきいの初めて見たから……」
「気になる方を使っていいぞ」
「……いま?」
「おう、いいぞ」
「やった」
小声でそう言うと、キトはベッドへ走る。
両手でマットレスに触れ、体重をかけていくと、小さな手が沈み込んでいった。
「わ、わ、すっごい柔らかい」
キトの膝丈ほどの厚さがあるマットレスに、そっと足をかけ、ゆっくり登る。
膝立ちでベッド全体を見まわしてから、うつ伏せで倒れこんだ。
「うわあ……柔らかいしいい匂いがする……ここで寝ていいの?」
「もちろん。好きなだけな」
あとはもう、子供のお決まりパターンだ。
全身で柔らかな感触を存分に味わったあとは、ベッドの上で飛び跳ね始める。
高さを増すジャンプに、デラダンが慌てて声をかける。
「おいおい! キト! あんましはしゃぎ過ぎるとベッドが壊れちまうぜ!」
――コンッコンッ。
扉がノックされる。
「ん」
「うっす!」
グエンが腰を上げかけたが、デラダンが飛び上がる勢いで先に席を立った。
ドタドタと豪快な足音を立てて入口へ駆ける。
開かれた扉の向こうに立っていたのは、エリエラだ。
「姐さん! ちわーっす!」
「ごきげんよう。あら、こちらのお部屋も可愛らしくて素敵ですね」
部屋を覗いたエリエラが、柔らかな声で微笑む。
室内へ身を乗り出すエリエラの頭上で、デラダンが鼻の穴をひくつかせている。
何かを言いかけて口を開き、しかしすぐに閉じ、口をへの字に曲げた。
「いらっしゃい、エリィ。もういいのか?」
「ええ、お待たせいたしました。お食事にいたしましょう」
「よし、行こうか。んで、デラダンはなにしてんだ?」
「バナーチだ!」
キトは、ベッドから勢いよく飛び降りる。
一方、デラダンは口をへの字に曲げたまま、天井を見つめていた。
本人が答えるより早く、横に立ったキトが答える。
「あ、エリィ、いい匂いする」
「ふふふ。さきほど、グエンさんにいただいた香水をつけてみました。キトさん、鼻がいいですね」
グエンも席を立ち、皆の輪に入る。
ふわりと、爽やかな花の香りが鼻を撫でた。
「あ、確かに。良い香りだ」
「ええ、お気に入りです」
「お花と、ランカのおいしそうな匂い」
「うっす! いいっす!」
デラダンがようやく口を開いた。
グエンは、その意を決したような一言から、彼の思惑を察する。
(ああ、いい匂いだって言いたいのを我慢してたのか。アニキといい、姐さんといい、上下関係に律儀なやつだな、デラダンは)
直立不動のデラダンの背を軽く叩き、グエンは笑った。
「さて、一階に行こうか。皆で飯にしよう」
「うっす! ジアとユイークが先に席を取ってやすんで!」
「準備万端だな。ありがとよ」
「ええ、デラダンさん。ありがとうございます」
「いえいえ! これくれえ朝飯前っす!」
グエンは靴に履き替え、扉をくぐる。
続いてキト、デラダンが廊下へ出た。
キトは小走りでエリエラの背後へ回り込み、デラダンの死角へ身を隠す。
当の本人はそれに気づかない。
先頭に立ち、胸を張って声を張り上げた。
「さて! いきやしょう!」




