1-60.良きに計らえ
「……はあ、やめじゃ。ヌシは、クアカリ達に愛されておるな。祖式構文を消すも拒むも、これで得心がいったわ」
「クアカリ? ノダナ族のことか?」
「ならば、ヌシは世界樹の巡り人かもしれんの。もうそんな頃合いか……」
「ふう……歳をとり過ぎると、会話もままならなくなるのか? 目の前にいる人間と話せ」
かみ合わない会話に、グエンは苛立ちを滲ませた。
サーラは肩を落とし、大きく息を吐く。
「まあ、そう怒るな。すまんかったの。ほれ、座れ。商談じゃったか」
「座れってどこに」
サーラは座臥へ戻り、静かに腰を下ろした。
彼女が身を沈めた瞬間、グエン達の背後に、それぞれ一脚ずつ椅子が現れていることに気づく。
「いつの間に……」
足先に触れるほど近くへ置かれた椅子。
目を見張るグエンの横で、デラダンが声を上げた。
「へ? さっきまでの色っぺえねえちゃんが……」
意識を取り戻したデラダンの視線の先、座臥に腰掛けるサーラは少女の姿へ変わっていた。
(こいつ、目を離した隙にまた姿を変えやがった)
突っ込む気力すら湧かず、グエンは胸の奥で小さくため息をつく。
デラダンの声に、キトとエリエラも変化へ気づき、戸惑いを浮かべた。
「え、あ、前会った女の子だ」
「あら、つい先ほどまで別の方がいらっしゃったと……」
三人は互いに視線を交わす。
グエンは深く息を吐いた。
「宝石オババというのは、姿を自在に変えられるらしい。さっきの寝っ転がっていた女性と、そこに座っている女の子は、どっちも宝石オババだよ」
「へ? 姿を変えるってえ……どういうこって?」
「変身するの?」
「まあ、不思議なこともあるんですね」
「これ、グエン。儂の秘密を勝手にバラすでないわ。まあ……ヌシには悪いこともしたから、よしとするが。が、儂の名はサーラ。誰が宝石オババじゃ」
少女の声と姿に似つかわしくない口調で、サーラが言う。
その様子に、デラダンは両腕を組み、眉間に皺を寄せ、唸りながらしきりに首を傾げた。
キトとエリエラは、さほど驚いた様子もない。
仲間達の反応をひと通り眺め、グエンは腰の軍刀の柄へ左手を添えた。
「でだ、サーラさん。その碧銀核、買い取ってもらえるのか? いい加減まともな会話を期待したいんだが」
「そうカッカしなさんな。すまんかったのう。長生きしとるとの、退屈なんじゃよ。つい悪ふざけをしてしもうてな」
「悪ふざけというより、悪ノリだったろ。……いや、性癖か? あれは」
「ま、まてまて、言うな! 儂にも恥じらいというものがある! ……ちと待っておれ」
サーラは座臥の前に置かれたテーブルの裏から、一枚の約束手形とペンを取り出した。
碧銀核をテーブルへ置き、宝石だらけの指輪がはまった人差し指で軽く突く。
すると碧銀核は光の泡に包まれ、その表面に菖蒲色の古代文字が浮かび上がった。
「な、なんでえ……こりゃあ……」
「わあ、きれいだね」
「祖式構文ですね」
「姐さん、知ってるんで?」
「親族の知己に、詳しい方がおりましたので」
「へえ、さすが姐さんっすね!」
「ん、そこの大きいの。ヌシの後ろにあるペリドット、それも売りたいのか?」
「へ? あ、忘れてた! こいつも頼んます!」
「ふーむ、ま、そいつは二束三文じゃな。多めにまけて10万じゃ」
「10万か……あのデカブツリクセン、けっこう大変だったんだけどな……」
そんな会話の最中、サーラは紙へさらりと一筆を書き終える。
碧銀核を包む光の泡へ指を差し入れ、そのまま持ち上げて約束手形へ押し付けた。
光の泡はみるみる縮み、約束手形の表面に蒼く輝く印へと変わる。
紙を摘み上げ、テーブル越しにグエンへ差し出した。
「ほれ、諸々の意味合いを込めて色を付けておいた。良きに計らっておくれ」
「ったく、偉そうに。良きに計らえなんてはじめて言われたよ。露出癖はあるわ、偉そうだわで、多少、値を上乗せしたくらい、ん? ……ん? んん!?」
傍耳を立てていたデラダンが、大きな肩をすぼめ、そそくさとグエンの傍らへ寄る。
声を潜めながら、グエンの手元へ視線を落とした。
「ろ、露出……アニキ、何の話っすか。く、くく、詳しく。……っんお!」
二人は一枚の紙を凝視したまま動かない。
待ちかねたキトが、エリエラの顔を見上げて言った。
「固まっちゃった」
「お二人とも、どうなさいました?」
しばしの間。
グエンは目をこすり、目を細めては額面を何度も見直す。
横から覗くデラダンも、目をしぱしぱさせていた。
「ア、アニキ、数字が」
「お、おう。ちょっと、俺の知ってる数字じゃなくて、こう、動悸がな。……エ、エリィこれ、いくらなのか、読んでくれないか」
「はい、かまいませんよ。こちらは、約束手形ですね」
「あ、約束手形っていうのか、その紙」
「ぼ、ぼくも見たい」
「はい、どうぞ。ごいっしょに」
「あ、丸がいっぱい書いてあるね」
「そうですね。2,010万ギンです」
「見間違いじゃないのか……200万かと思って五度見したぞ……。いや、200でも十分高いんだが……」
「や、やりやしたね! アニキ! ペリドットが10万って聞いて心配しやしたよ!」
「すごいの?」
「そうだと思いますよ」
エリエラは柔らかな微笑みを浮かべ、グエンへ約束手形を差し出した。
受け取ったグエンは右手を強く握りしめ、勢いよくサーラを振り返る。
「こういう悪ふざけなら大歓迎だ!」
「ほっほっほ。そうじゃろう、そうじゃろう」
座臥に身を預けたサーラは、胸元に垂れるダイヤモンドのペンダントを指先で弄びながら、にんまりと笑った。
「あ、この手形ってやつ、どうやって現金にするんだ?」
「銀行に行けば、現金に換えられますよ」
「へえ、エリィはさすがに育ちが良いだけあってよく知っているな……」
「家族がたまたま扱っているのを見ただけですから」
「家族がたまたま扱うもんなのか……?」
「ああ、その手形の期日は60日じゃよ。すぐに欲しけりゃ、今日にでも換えてくればええ。銀行も喜んで金を出すじゃろう」
「よし! 早速換えよう。いざ、銀行へ! ……あ、その前に、さっき言ってた、よくわからん話を聞きたいんだが」
「なんじゃ? なんぞあったか」
「世界樹の巡り人だとか、クアカリの加護とか。俺のことか?」
「ふーむ……。教えてやってもいいが、タダで教えるのも……つまらんのう」
少女は金色のパイプをくゆらせ、紫煙をゆっくりと宙へ吐き出した。
淡い琥珀色の照明が室内を満たしている。
体を起こして座臥から足を下ろし、胸元へ流れた結わえられた銀髪を背へ払い、静かに片足を組んだ。
咥えていた金のパイプを手に取り、グエンの握る約束手形を指し示す。
「おお、良いことを思いついた。それと交換でどうじゃ。儂は、この世のすべてを知っておる。過言ではなく、な。さっきの話などと、そうケチなことは言わん。2,000万ギンで、お前の知りたいことを、なんでも答えてやるぞ」
『2,000万!?』
グエンとデラダン、二人の声が重なった。
震えて仰け反る二人を、エリエラとキトは対照的に静かな表情で見つめている。
「な! 2,000万ギンする情報なんて」
言いかけた瞬間、グエンの脳裏にある言葉が浮かんだ。
――鏡面街。
グエンが探し続ける、次元の狭間に揺蕩う、時空を超えた幻の都市。
バナーバルの大隧道が穿つ守護山脈。その奥、世界樹が座する禁足地のどこかに、鏡面街の入口があるとされていた。
グエンは、その禁足地へ足を踏み入れるため、ここへ来たのだ。
その鏡面街の在処すら、彼女は知っているのかもしれない。
言葉を失ったグエンを、サーラは薄く笑みを浮かべて眺めている。
束の間の沈黙を、キトの一言が破った。
「ね、ねえ、エリィ。2,000万ギンって、バナーチ何本買えるのかな……」
「バナーチですか? そうですね、毎日おなかいっぱいに食べてもなくなりませんよ」
「え! じゃあ、フルーツジュースも飲める?」
「ふふふ、おかわりもできますよ」
「ええ! す、すごいね」
その言葉に、グエンはキトへ視線を向けた。
喜びに満ちた表情を、エリエラが優しく見守っている。
(そうだった。キトをホテルに泊める、守ってやるって約束したんだ。エリエラもな)
グエンは頭を掻く。
振り向き、サーラへ視線を向けた。
「魅力的な話だが、もう金には使い道があるんでね」
「なんじゃ、今だけの大特価じゃぞ? 今後、儂が同額で答えるとも限らん」
「そうは言っても、この金はこの四人で山分けだからさ。ま、またの機会を作るさ」
「や、山分けって、アッシもですかい?」
「そりゃそうだろ。デラダンがいなきゃ、無事に帰れなかった。綺麗に四等分だ」
「ア、アニキ! さすがはアッシが見込んだアニキでさあ!」
「まあ、その金はヌシのもんじゃ。好きにするがええ」
「何はともあれ、良い値をつけてくれた。ありがとう」
「口止め料も入っとるからのう」
「ははは、約束は守る。じゃ、また核が手に入ったらお邪魔するよ」
「言うとくが、次は適正価格じゃぞ」
「ああ」
約束手形を胸ポケットへしまう。
椅子から立ち上がり、軽く手を上げて挨拶を送った。
サーラは紫煙を吐き、少女の姿に似合わぬ婀娜っぽい笑みで応えた。
「うっす!」
「それでは、ごきげんよう」
「あ、じゃ、じゃあ」
三人も続いて席を立つ。
グエンを先頭に、入口の幕をくぐり、サーラの館を後にした。
琥珀色の淡い光の中、サーラはひとり座臥へ身を横たえる。
額に埋め込まれた蒼氷色の宝石を指先で弾いた。
「星の終わりを呼ぶ、世界樹の巡り人か。儂らはまた、滅びを糧にせねばならんのかの……」
長く、深いため息。
揺らめく紫煙は、やがて静かに霧散していった。




