1-59.おつかいなのだな
石像のように、身じろぎ一つしない仲間たち。
「まさか、さっき店の前にいたラリったやつも、おたくがやったのか?」
「退屈での」
「飽きたら戻してやれよ」
「そう、本来ならワシが戻さん限りもとには戻らんのじゃ。……危険すぎるのう、おヌシ。儂の手に余るなど。……過ぎた存在は、危険因子でしかないのじゃよ」
「俺はただ、その核を金に換えたいだけなんだが……」
「儂はの、この快適な塒でもうしばらくはのんびりしたいんじゃよ」
「ああ、バカンス中だったのか。しばらくって、10年くらいか?」
「ほっほっ、千年くらいかの」
「……祖人には寿命がないと、聞いたことがある」
「寿命はある。が、星よりも長く生きる儂ら、ヌシらから見れば永遠と同義じゃろうて」
「お星さまとおしゃべりできるってのは光栄だね。で、買い取りの話をしたいんだが」
「だからこそじゃ。天壌無窮の安寧、その平らな水面を乱す、泡沫の如き淀み。ヌシのような存在には、敏感なんじゃよ」
「俺は年寄りの話も最後まで聞く、可愛いタイプの若者なんだが……。どうもおたくは、若者の話を聞かないタイプの年寄りっぽいな。ポエミー過ぎて、何を言ってるのかわからん」
「ぬかせ」
深く被ったフードの下、額の晶曜石が青白く瞬いた。
祖式構文起動。
フードから垂れた銀髪、緩く結わえられた毛先が揺れると、ローブがはためき、サーラの身体を光の泡が覆った。輝く光の膜の表面を、菖蒲色の古代文字が滑走する。
「見た所、腕に覚えがありそうじゃ。その落ち着きは、儂のような女に負けるわけがないという自信からじゃろう? じゃが、人の身一つで、バナーバル全ての人間を相手にできるかのう?」
「なに?」
「祖式構文とは“世界を書き換える力”じゃ。物も、人の意識も、記憶も、すべては儂の思うがままよ」
サーラを包む光の泡、その表面を滑る古代文字が加速する。
爆ぜるように、光の泡が臨界を越えて拡大した。
グエンを含め、その場にいるすべての人間の体をすり抜けて、光は奔流のように広がる。
館を包んでも収まらず、ノマドベースを呑み込み、錯乱男を連行中のイオルとガングー、炙り酒のマスター、さらには大隧道の壁をすり抜け、内輪地区を丸ごと覆い、外境ゲートにまで到達した。
守護山脈の山肌から膨らんだ光の泡が、瞬く間にバナーバル市すべてを覆い尽くす。
「さあ、バナーバルにいるすべての民よ! グエン・クロイド、こやつを殺せい!」
サーラの声が、都市全域を貫いた。
直後、キト、エリエラ、そしてデラダンが、同時にグエンへ振り向く。
焦点の合わぬ三人の目が、グエンを見つめた。
それだけではない。
全方位から、波のように意識が押し寄せる。
目に映らない波が熱を帯び、意思を宿したまま肌に貼り付く、濃霧めいた感覚。
グエンの左頬に紅蓮の火焔文様が浮かぶ。
その瞬間。
入口の幕が開いた。
「あー、こてつなのだな」
張り詰めた場にそぐわない、のんびりとした、子供めいた幼い声。
幼児ほどの背丈、黄色いヘルメットを被った三等身弱の獣人が立っていた。
グエンに向かって動き出したばかりの三人が、ぴたりと止まる。
慣性だけが残り、体がわずかに揺れた。
サーラは驚きのあまり、胸の前に右手を掲げたまま、静止している。
ノダナ族の姿に、全員の視線が釘づけになった。
ノダナ族はキトの横を通り抜け、グエンの足元へ歩み寄る。
目線の高さにあるグエンの膝を、ポンポンと叩いた。
「おしごとで、いそがしいのだな。たいへんなのだな」
「あ、お、そうか。仕事……ん? 酒臭いぞ? まさか、ずっと炙り酒で飲んでたのか?」
「まだのめるのだな」
「仕事の前の一杯だったのか。随分と飲んだなあ」
「おしごとして、えらいのだな。ほめてもいいのだな」
「ん……? あ、ノダナ族が仕事して偉いってことか」
「ほめるか? ほめるか?」
両腕を組み、胸を張る。
ちらちらとグエンを見上げ、言葉を待っていた。
紅蓮に燃えた左頬の火焔文様は、もう消えている。
二人のやりとりを前に、サーラは目を見開いたまま、見守ることしかできない。
「ああ、そうだな。ノダナ族は仕事して、偉いな。すごく偉い」
「ぬんっ」
組んでいた両腕を解き、腰に当てて胸を張る。
満足げな笑みを浮かべ、グエンの膝をもう一度ポンポンと叩いた。
体ごと向きを変え、サーラの足元へ。
背負っていたリュックを下ろして口を開けると、両手を無造作に突っ込んだ。
小さな両手に、砕けた碧銀核の欠片を山盛りにして差し出す。
サーラはフードを下ろし、すぐさま膝立ちになる。
両手を皿のように広げ、ノダナ族の小さな手から、碧銀核の破片を受け取った。
「もってきたのだな」
「か、かたじけのうございます」
「えらいか?」
「は、はい、それはもう」
「てれるのだな」
小さな手が再びリュックへ伸び、破片が次々と載せられる。
やがて、青白い光沢を放つ山ができあがった。
「ムロージのおつかいおわったのだな」
「そ、それでは、お土産を。こちらを召し上がってくだされ」
サーラは、壁の棚へ移動すると、空いていた丸い深皿に碧銀核の破片を流し入れる。
次に、下の棚に置かれた藤蔓細工の篭を手に取った。
彼女は腰を下ろすと、ノダナ族の前で篭の蓋を取り、中身に掛けられた白い布巾を外す。
鼻をスンスンと鳴らしながら、ノダナ族が身を乗り出して覗き込む。
そこには、きつね色に焼かれたドーナツが敷き詰められていた。
「わるいのだなあ」
言い終える前に、手が伸びる。
黒いかぎ爪で一つ掴み、にっこりと微笑み、頬張る。
「うまいのだな。うれしいのだな」
「喜んでいただけて何よりです」
「んもっ、んもっ」
一つ、二つと平らげる。
口の中にドーナツが残ったまま、両手に一つずつドーナツを確保した。
「ありがとうなのだな」
「またドーナツを食べにきてくだされ」
「なのだな」
出口へ向かい、ふと立ち止まる。
両手に持ったドーナツとグエンを見比べ、小さく尋ねた。
「……こてつも食べたいか?」
「お、ドーナツくれるのか?」
しゃがんで目線を合わせる。
ノダナ族はドーナツを飲み込み、右手を差し出した。
「ひとくちならいいのだな」
「ええ? 一個くれないのか?」
「よ、よくばりはよくないのだな」
「もらい!」
かぶりつく。
丸いドーナツの、四分の一が欠けた。
「わ、わわ。くちがでかいのだな。たべすぎなのだな」
「あー、確かにうまいな。昔貰ったやつとそっくりの味だ」
濃厚な甘さと、鼻腔を抜けるバターの芳醇な香り。
五十四年前、カガミの前でかぶりついたドーナツの記憶。
風化していた思い出が、香り立つように蘇った。
同時に、呼び覚まされた感情が胸を詰まらせ、目頭を熱くさせた。
堪えるように、必死でドーナツを飲み込んだグエンに、ノダナ族が首を傾げる。
「はらぺこか? なら、くえくえ」
「……いや、一口でおなか一杯になったよ。ありがとう」
「ほんとか? うまいとうれしいぞ」
「ああ、本当だよ」
「んー……はらへったら、またやるのだな」
「おう、またな」
「なのだな」
欠けたドーナツを咥え、手を振ると、入口へ向かっていく。
自動で開く幕を抜け、ノダナ族は館を後にした。
小さな背が消えるまで、室内は静寂に満ちる。




