1-42.こてつ
グエンは我が目と耳を疑った。
コテツの名を知り、その名を呼ぶ人間がいる可能性はゼロではない。
いたとしても、54年前を知る人物であり、相応の年齢のはずだ。
オライオンが寝ている横に立ち、ドーナツをくわえて椅子によじ登っているノダナ族は、ゴカ村で出会ったノダナ族そのままだ。
(い、いや、俺もじじいになってないから人の事は言えないが……。俺には鏡面街にいたという理由がある。けど、ノダナ族はなんで年を取らずに? 超長生きの種族だったのか?)
驚愕の眼差しに気づいているのかいないのか、ノダナ族はようやく椅子を登り切った。
「いつものくれなのだな」
「ミードをストレートで、はちみつトッピングですね」
「なのだなあ」
注文を受けたマスターは振り向き、バックバーのボトルラックへ手を伸ばした。
ドーナツをかじりながら、満面の笑みでカウンターに着くノダナ族。
グエンはその横顔をただ見ていることしかできなかった。
鉤爪の指でドーナツをつまみ、口をもぐもぐさせたままグエンの方に顔を向ける。
「やっぱりこてつなのだな」
「……俺はグエンだ。こてつじゃない」
「こてつなのだな?」
「……コテツはゴカ村で死んだんだ」
「いきてるのだな」
「それより、お前、あのときノダナ族なのか? ゴカ村にいたやつか?」
「なのだなあ」
「……その見た目で長生きなんだな」
「ぬんっ」
ノダナ族は両手を腰にあて、自慢げに胸を張った。
「本当にあの時の……ま、ノダナ族も元気そうで何よりだ。ノダナ族がいるとは聞いていたが、いるのは別のやつだと思っていたよ」
「なのだな?」
首を傾げるノダナ族に、グエンは笑った。
「変わりないようで安心したよ」
「こてつ、あぶないのだな」
「ん、何が? 腹でも壊してるのか?」
「おんなのひとがあぶないのだな」
「なに? おんなのひと?」
「こっちがあんぜんなのだな。あっちはあぶないのだな」
「その言葉、聞いたことが……あるような……。あんぜんなのだな……?」
グエンの脳裏に、突如遠い記憶が蘇った。
54年前のあの日、愛する人が死ぬ直前のやり取りを。
『こてつ、にげるのだな』
『逃げるって……急にどうした』
『何から逃げるの? ノダナ族さん』
『あっちがあんぜんなのだな。にげるのだな』
立ち上がったまま茫然とするグエンに、キトが声をかけた。
「グエンさん……グエンさん、どうしたの?」
その言葉に反応できなかった。
抱きしめた最愛の人。
腕の中で、失われていく温もり。
石のような冷たさが、グエンの肌に蘇っていた。
「グ、グエンさん」
気づけば、キトが紙ナフキンでグエンの目元と頬を拭いていた。
自分が泣いていたことに気づき、グエンは慌てて苦笑する。
「い、いや、どうしたんだろうな。はは、目に虫でも入ってきたかな」
「こちらを」
「……ありがとう」
カウンター越しに差し出された温かいおしぼりを受け取り、椅子に腰を下ろした。
血の気の引いた手に、おしぼりから温もりが伝わってくる。
顔を拭いながら、ジャケットについた水滴に気づき、そっと拭き取った。
「食後のフルーツジュース、邪魔をして悪かったな」
「う、ううん」
キトの背をさすり、席へ促す。
たれ耳がぺしゃんこになったまま、キトは椅子に座った。
薄暗い洞。岩肌から滴る冷たい水。動かないカガミ。
広場の闇に照らされる屍、縁に消えた友人、力尽きた仲間たち……。
記憶の中の人々には、声も顔もない。ただ、冷たさだけが残っている。
風化したはずの場面がフラッシュバックし、困惑のまま、グエンはつい先ほど聞いたノダナ族の言葉を反芻していた。
(おんな、のひと……女の人と言ったのか?)
大きく深く息を吸い、ゆっくりと吐き出した。
右隣を見れば、ノダナ族も心配そうにグエンの顔を見上げていた。
「へいきなのだな?」
「ああ、平気だ。さっき、女の人が危ないと言ったのか? 誰か危ない目に合うのか?」
「なのだなあ。あっちなのだな」
ノダナ族の黒い鉤爪が示す先を追い、マスターは怪訝な表情を浮かべた。
「大隧道の奥、亀裂の方向……女性……? まさか、エリエラさんが?」
「エリエラ?」
「グエンさんが守りに行くって言ってた人だ」
「誰にしろ、二度もノダナ族の警告を無視するわけにいかない。ノダナ族、道案内を頼めるか?」
「えー、むりなのだなあ」
「え?」
「みちわかんないのだな」
「いや、けど危ないって知ってるってことは、一緒にいたとかじゃないのか?」
マスターがなみなみとミード酒の入ったピッチャーを運び、カウンターへ置いた。
ドーナツの最後の一かけらを口に放り込み、ノダナ族は両腕を組む。
幼児のような体型で椅子にちょこんと座ったノダナ族は、もぐもぐと咀嚼を繰り返しながら、ガラスのピッチャーを見つめて身じろぎひとつしない。
見かねたマスターが助け舟を出す。
「ノダナ族は方向音痴なんですよ」
「方向音痴? あっちがあぶないとか何とか、そういうのは鋭そうだと思っていたが……」
「危険の予知と回避ができるそうですが、それ以外の方向感覚は鈍いと聞きますね」
ノダナ族は組んだ両腕を解き、ミード酒の入ったピッチャーを両手で掴んだ。
大ジョッキより一回りも二回りも大きなピッチャーを傾け、喉を鳴らしてミード酒を飲み始める。
「んくんく……ぶはぁ」
堂々とした呑みっぷり。
皆が固唾をのんで見守っていた。
「まようのだな」
しばし沈黙が落ちた。
キトがおずおずと右手をあげる。
「あ、あの、ボク、道わかるよ」
「お、おお、本当か! さすがガイトだ! ノダナ族、だいたいの位置はわかるか?」
「ん~、なんかあぶなそうなどこだったのだな」
「そうなんだが、そうじゃなくて、特徴のある地形とか。壁とか崖とか、分かれ道とか」
「のだな? あ、あなのさきにがけがあったのだな」
「あ、そ、それ、通行禁止されてるとこ」
「わかるのか?」
「う、うん、ちょっと前に地震あったときに、崩れて、通れるようになったって」
「それなのだな。りくせんたくさん、きをつけろ」
「りくせん? それが危ないの原因だな。そこにはモービルでいけるか?」
「うん、ほかの人もモービルで行ってるよ」
「よし、すぐに行くぞ!」
「う、うん!」
「あ、モービルだと会話ができないのか。くそ、あらかじめインカムを用意しておくべきだった。……しかたない、ある程度の道を教わっておくか」
「インカムでしたら、当店に隊員用のものがありますよ」
マスターはカウンターの中から、手のひらサイズの白い樹脂製ケースを取り出した。
「クエスタ直営店ですので、支給用の備品はある程度揃えてあります。どうぞ、ご自由におもちください。返却はいつでも構いませんよ」
「助かる! 無線式……? ……キト、使い方わかるか?」
「うん、できるよ」
「んくんく……ぷはあ」
マスターから二人分のインカムを借り受け、キトへインカムを手渡した。
キトはグエンのモバイルを借りると、インカムの設定を始める。
二人分の設定完了。
支払いを済ませたグエンは、オライオンを抱え、キトを連れ急ぎ店外へ走っていった。
店を後にしたグエン達を見送り、マスターは憂いを口にする。
「あのグエンという人で大丈夫だろうか。何か心に抱えている様子だったが」
「む。こてつはつよいのだな」
「グエンと名乗っていたけど」
「こてつはこてつなのだな。すんごくつよいのだな」
「……守り神の君がそういうなら、大丈夫なんだろうね。何か特別な方かな?」
「んくんく……ぷはぁ」
空になったピッチャーをカウンターに置くノダナ族。
マスターの目をじっと見つめる。
「まだのめるのだな」
「はいはい。おかわりですね」
「なのだな」
「そういえば、自分以外の誰かの危険を知らせるなんて、初めて聞きましたよ。エリエラさんとはそんなに仲良くなったのかな?」
「とくべつなのだな」
「特別な何かがある人、という意味かな?」
「こてつみたいなのだな」
「ふむ」
これ以上聞いても、望む答えは返ってきそうにない。
マスターはピッチャーを回収し、新たなミード酒を注いだ。




