1-40.見えない壁
店の正面、歩道のど真ん中に建てられた純白の石柱。その頂点に、大鷲の像が翼を広げていた。
羽一枚一枚が見事に再現され、爪を立てる石柱にも、本物と見紛うほど生命力に満ちたツタの彫刻が施されている。その高さは5m以上ある。
威厳すらある佇まいに、通り過ぎざまのグエンも思わず目を奪われた。
大鷲の立ち姿へ食い入るような目を向けるグエンを、キトが見上げて言う。
「それ、大隧道の途中で見つかった地下ダンジョンにあったんだよ」
「地下ダンジョン? 名前は聞くけど、もしかして近いのか?」
「うん。大隧道の奥に行くと、壁の隙間から行けるんだ」
大鷲の彫像を通り過ぎ、グエンは店舗の敷地に足を踏み入れた。
しかし、後ろに続いてくるはずの足音がない。
振り返るグエン。
「どうした?」
「え、えっと、あの」
炙り酒の店先、頭上に吊るされた肉カーテンの前でキトが立ち尽くしていた。
たれ耳はこれ以上ないほど倒れて栗毛色の髪に埋もれ、尾は濡れた麻縄みたいに、力なく萎んでいた。
腹の前で指を絡ませて言葉に詰まる姿を、オライオンが心配そうに見上げている。
「そ、あ、あの、うう……」
言葉にならない声を漏らすその視線の先には、木製の柱にかけられたマークがあった。
二重の円が描かれ、外側の円が点線になっているシンプルなデザインだ。
「このマークがあると問題があるのか?」
「う、うん……」
キトは目を伏せ、俯いてしまった。
状況が理解できないグエンは、マークの描かれたプレートを外して右手に持ち、店内へ入っていった。
「邪魔するよ! 店の人、いるかい?」
昼食時間にはまだ早く、店内にはほとんど客がいなかった。
カウンターに立っていた白髪初老の男性が顔を上げる。
「いらっしゃいませ。どうしましたか?」
「連れがこのマークを見て様子がおかしくなってね。なんか理由がありそうなんだが、わかるかい? えっと、あなたはここのマスターかな?」
白髪を後頭部でまとめ、白い口髭を蓄えたマスターが笑顔で応対する。
「はいはい、マスター兼責任者です。そのマークは、クエスタ本部から設置を義務付けられている標識なんです。外輪者の立ち入り禁止を意味しています」
「外輪者? ああ、なんか何度か聞くなあ、その言葉。なんなんだ? 外輪ってのは」
「その様子ではバナーバルに来て日が浅そうですね。おや」
グエンの襟元に光る銀色のエンブレムを見つけ、マスターは頷いた。
「外輪の方は多くの規制を受けています。でも、正規隊員の同行者であれば、外輪の方でも店内へ入れますよ。どうぞ」
(キトは10歳と言っていたな。こういう話はキトがいないうちに聞いておきたいが……いや、店先に一人で長々と待たせるのは可哀そうだな。あの様子じゃ尚更だ)
「ひとまず、連れてくる。あ、子犬みたいなやつも一緒だけど、店内に入ってもいいかな」
「カウンターに上ったり、粗相がなければ大丈夫ですよ」
「ありがとう。助かるよ」
優しく微笑むマスターに礼を言うと、グエンは店外へ急いだ。
肉のカーテンの前、キトとオライオンはさっきと全く同じ姿勢でそこにいた。
グエンは柱から外したプレートを戻すと、朗らかな笑顔でキトの手を取る。
「よーし、飯食うぞ! オライオンも来い」
「え」
「ウォン!」
手を引かれたキトは、驚いた表情で大きな肉のカーテンの下を歩いていく。
足元で先導する、小さな白い背中と、手を引く大きな背中を交互に見ていた。
炙り酒店内。
グエンはキトの手を引いたままカウンターへ直行した。
水の入ったグラスが置かれたカウンター席に腰かける。
左側の、小さな背もたれのついた固定椅子を軽く叩き、隣の席に座るよう促した。
「ほら、キトはここ。オライオンは、俺の膝だ」
まるで言葉を理解しているように、オライオンはグエンの膝に飛び乗る。
一呼吸開けて、キトが椅子によじ登って腰かけた。
(さて、外輪ってのがなんなのか、詳しく聞けそうだが……)
未だにキトのたれ耳も尻尾も、力なく萎れたままだ。
「まずは腹ごしらえだな。マスター、入口に吊るされている干し肉のカーテンは圧巻だったね。スパイスの効いたのがありそうだったけど、あれは食えるのかい?」
「もちろん。辛いのと、甘辛いのがあるけど、どっちが良いかね?」
「そりゃあ、辛いやつで!」
「お二人分で良いかな?」
「あ、キトはどうする? 干し肉食うか? 辛いのと甘辛いの、どっちがいい?」
「え、あの……ボクも食べていいの……?」
「そりゃそうだろ。両方か?」
「あ、甘いのが気になる……」
「じゃ、マスター俺が辛いので、キトは甘辛い方。あと、膝にいる相棒に、軽くローストした赤身肉を頼めるかな。硬ければ硬いほど良い」
「かしこまりました。すぐにお持ちしますか? まだ食事前で暇ですから、メニューをご覧になってお待ちいただいても良いですよ」
「ならお言葉に甘えようかな」
「それでは、少々お待ちを」
会釈をするマスターの肩越しに、カウンター内にも肉が吊るされているのが見えた。
大きな金属製の鉤爪で豪快に吊られた肉の列は、入口よりも色味が深く鮮やかだ。
(うわ、あっちのやつを頼めば良かったな。熟成が進んでて旨そう……お)
吊るし肉をねめ上げるグエンの心の声を察したのか、マスターはカウンター内の干し肉を大振りのナイフでそぎ落としていく。
(ラッキー! 旨そうな方が食えるぜ!)
思わず舌なめずりをするグエン。
横では、キトがメニュー表にある一枚の写真にくぎ付けになっていた。
「ん? キト、それが食いたいのか? バナーチ……ってやつか?」
「う、うん。これ、配られて食べたことあるんだけど……小っちゃくてパサパサしておいしくないんだ。でも……ちゃんとしたお店のは、すっごく美味しいんだって……」
写真を食い入るように見つめて答える姿に、グエンは思わず笑ってしまった。
「ははは、じゃあ、バナーチを頼もう。他には? あ、ミックスジュースだってよ! これフルーツのジュースだろ? ランカ入りだって。うまそうだな」
「え? ランカのジュース? ぜ、贅沢品だあ……」
「わかる。フルーツをジュースにするなんて贅沢だよなあ」
ゴクリッと喉を鳴らすキト。
自分を見つめる視線に振り向くと、歯を見せて笑うグエンと目が合い、釣られて笑う。
「贅沢、しちゃうか?」
「え……う、うん!」




