1-38.姫をつれてくのだな
エリエラを助手席に乗せた四輪の車両は、ノマドベースを出発し大隧道路を奥方向へ3kmほどの地点を走っていた。
前方、まっすぐ伸びた大隧道路の表面に、色違いの線が横断するように走っている。それは傾斜状の道路を補修した跡。補修跡に沿って視線を這わせると壁に到達し、壁面を割るひび割れに代わり、隙間を埋めて補修されたそれは遥か三百メートル上の天井まで伸びている。
壁のひび割れは、左側は補修され完全に埋まっているが、右壁のひび割れはひどく、大きな亀裂部分は補修されずに口を開けていた。亀裂の根本、道路に面した部分は、亀裂への入口のようになっているようだ。亀裂の奥から、オレンジ色の灯りが差している。
ここまで平行に並んでいた壁の照明が、ひび割れを境に上下にずれていた。
助手席に座るエリエラが照明を見上げて言う。
「大隧道が……上下にズレているのですか?」
「そう。けっこうでかい地震があったんすよ。地盤がズレて、大隧道が切断された跡らしくて」
エリエラの問いに、キャップを後ろ被りにした運転手の青年が答えた。
バナーバルでは一般的な栗色の髪をした、細身の若者だ。
青年は車両を右側の亀裂へ向けると、薄暗い亀裂を少し入った地点で停車した。
「到着! 俺は弁当を運ぶんで!」
言うが早いか、青年は弾けるよう扉を開けると車外へ飛び出してしまった。
亀裂の内側は暗いが、奥に設置された金属製の門に取りつけられた照明が、柔らかなオレンジ色の光で照らしている。
エリエラは、後部扉を開け弁当搬出の準備をする彼に声をかける。
「ここまでありがとうございました。とても助かりました」
「う、うっす!」
顔を上げず、作業をしたまま答える青年。
エリエラも助手席から降り亀裂路の内側を見上げる。
大隧道路から見るよりも、亀裂は深く、大きかった。
10m以上もある幅の入口部分には鉄骨で補強されている。
青年は貨物室から弁当を詰めた番重を持ち上げ、見上げるエリエラの横顔を見た。
「ほんとにすんげえ美人さんだなあ……あ、やべ」
彼女が振り返ったので、青年は慌ててそっぽを向いて門へ走り出した。
亀裂の入口を数m進むと、無骨な鉄骨で組まれた枠組みに、これまた無骨にはめられた鋼鉄の扉が設けられていた。
観音開きの扉は開け放たれている。
扉の横には、岸壁を繰り抜いた空間にプレハブの詰め所があり、青年の弁当を心待ちにしている隊員がいた。
「こんちわ! 炙り酒宅配サービスでーす! おまちどうさんでっす! お弁当、お届けにあがりあっしたー!」
「きたきた。ゲート番なんて、これだけが楽しみなんだよ。……ん、あちらの方は?」
番重を受け取った男性隊員が、青年の後ろに歩いてきたエリエラに気づいた。
青年は振り返るでもなく、伝票と弁当の内容を確認しながら答える。
年頃が似通っている彼らは、気の置けない口調で続けた。
「うちのマスターに言われて乗せてきたけど、マスターの知り合いかなあ?」
「なんだ、乗せてきたくせに知らないのか。お姉さん、ここを通るの?」
「はい。わたくし、エリエラと申します。お通りしてもよろしいでしょうか?」
「おっと、これまたご丁寧にどうも。ほんじゃ、お通りの前に照合だけさせてくれ。エンブレムを読ませてもらうよ」
隊員はベルトから端末を取り外すと、エリエラのブラウスの襟に着けられたエンブレムに読み取り口を近づけた。
端末が、剣とツルハシの交差する重銀製エンブレムに触れ、液晶に情報が表示される。
隊員は照合可能な距離に近づいたことで、エリエラの顔がはっきりと見えた。薄暗い照明ではぼんやりとしていた彼女の容姿を目の当たりにして、隊員の態度が変わる。
「あ、きょ、エリエラ・アグナスタさんね。きょ、今日正規隊員になったばかりで。って、アグナスタって……もしかして、統括本部長の、ヒッジスさんの?」
「ええ、遠縁の者です。でも、どうかご内密に願います」
エリエラは柔和な微笑を浮かべると、華奢な人差し指を唇に当てた。
青年と隊員はエリエラの可憐な所作に見惚れ、一瞬言葉を失ってしまう。
「……あ、も、もも、もちろん。プライベートなことなんで! あ、でも、もしかして1人でここから先に行くの……んですか? この先は大隧道の支道とは違って、調査中だったり不明な場所だったり、ずっと危険ですよ」
「はい、一人で行くつもりです。わたくしだけでは通していただけないのでしょうか?」
「正規隊員であれば、通るのは問題ないんですが……。通常は数人のチームで、それなりの装備と準備が必要な場所ですので……」
「そうですか……。でも、私はこの奥に行かなければなりません。自分の身は自分で守れます。どうか通してください」
「えーと、通るのは問題ないんだけど……」
「では、通りますね」
「いやいや! 一人でなんて危なすぎて! リクセンって化け物だって出るし、地盤のズレで街の地下ダンジョンとも繋がってすごく危ないんですよ! 遺跡もいつ崩れるか!」
「私の事はご心配に及びません。こう見えても逃げ足には自信がありますから」
胸の前で組まれた両手は強く握られ、彼女の決意の強さが見て取れた。
だが、柔和な仕草で品のある佇まいの彼女は、どう見ても荒事とは無縁だ。
丸腰で非力な女性でしかない。
「確かに正規隊員なら通れるんですけど、貴方のような方を一人では……その……心配というか……」
「わたくしに何の問題があるのでしょう?」
「せ、せめて護衛とか、もしくは亀裂内部に詳しい人が一緒とかなら」
「私はバナーバルに来たばかりです。そのような従者はおりません」
「じゅ、じゅうしゃ……?」
聞き慣れない言葉に呆ける隊員だったが、外見に似合わぬエリエラの強情さに困惑した。どうしたものかと考え込み、ふと名案を思い付いて声を上げた。
「そ、そうだ! もしかしたら、あいつが引き受けてくれるかも! ちょ、ちょっとだけ待ってくださいね!」
彼は返答を待たず、番重を抱えて詰め所を走っていく。
番重で両手が塞がったままで、扉を上げるのに苦労しつつ中へ入ると、ドタバタと動き回る音が聞こえた。
そして、静かになり、ボソボソと話し声が聞こえる。
エリエラと青年が立ち尽くしていると、さきほどの隊員が中腰で入口に現れた。
扉の向こうに伸びた手の先には、背の小さな相手がいる様子。
その相手は外に出るのを渋っているようで、懇願する彼だけが見えている。
「ね、あとでドーナツをあげるから、あの女の人とちょっとだけ一緒に行ってよ、ね」
「のだなー?」
「あ、ハチミツもつけるんで」
「はちみつ? たっぷりか? いいやつがいいんだなあ」
「たっぷりたっぷり! 高級ハチミツ付き、この後すぐ炙り酒に注文しておくから! 用事が終わったら、炙り酒で食べられるよ!」
「のだなあ」
彼と一緒に、のそのそと出てきたのはノダナ族だった。
背丈は幼児より少し大きいくらい。
まん丸い顔にどんぐりまなこで、コアラのように黒い鼻先。
黄色いヘルメットからは、飴色の体毛が生えた犬のようにとがった小さな耳がはみ出ているが、隊員と繋いでいる小さな手には、指の代わりに黒く長い鉤爪が生えていた。
「まあ、なんて可愛らしいんでしょう。ウォンバットに似ていて愛らしいですね」
「ウォンバット? というのは動物ですか? 彼は、ん、彼? 彼女? かはよくわかんないですけど、ノダナ族です」
「ノダナ族……あ、あのノダナ族ですか? 初めて会いました」
「ですです。あのノダナ族なんです」
「なんなのだなー」
ノダナ族は目撃数こそ少ないが、比較的有名な獣人族だ。
エリエラの祖国や正スクアミナ経典では聖なる存在として扱われ、一般的には幸運を運ぶ守り神として語られることが多い。彼らがいる場所は安全とされ、鉱石掘りを好むとされる彼らの性質上、大隧道のような採掘現場では文字通り守護神と言えた。
「今日はたまたま遊びに来てたんです。ノダナ族とはよく一緒におやつを食べたりしてて……あ、じゃなくて、この先に行くなら、ノダナ族がいれば安心です」
「しょうがないのだな。いくのだな」
隊員の横で、ノダナ族は腰に手を当てて胸を張った。
小さな体で太々しい態度。
思わず皆が笑顔になる。
「ふふふ、ありがとうございます。わたくしはエリエラです。よろしくお願いいたします」
「のだなー」
「ノダナ族がいたなんてラッキーっすね」
「ほんと、ノダナ族がいれば安心だよ。あ、でも」
隊員はエリエラの方に向き直ると、気恥ずかしさのあまりエリエラの目を直接見ないようにして、言葉を続けた。
「く、くれぐれもノダナ族が行きたがらない場所には進まないでください。ノダナ族は危ない所には絶対行きたがらないから」
「はい、わかりました。何から何まで、ありがとうございます」
隊員の目を一瞬見つめ微笑むと、エリエラは胸に右手を添え浅く会釈した。
彼女の髪に飾られたジュエルチェーンが、シャラリと涼やかな音を奏でる。
あまりに自然で軽やかな所作に、頭を下げられた隊員の方が慌ててしまう。
「あ、いえ! 入口を警備する隊員として、あの、あたりまえで! はい!」
「それでは、ごきげんよう」
「ご! ごきげんようであります!」
顔を真っ赤に染めて軽礼で返す隊員。
その横で同じく顔を赤く染めた青年。
小さなノダナ族の手を引き鋼鉄の扉を潜る彼女の後ろ姿を見送りながら、二人同時に深いため息をついた。
「まじかよ……あんな綺麗な人はじめてみたわ……」
「俺も。っていうか、すごいっすね。俺、ここに来るまで一回も目、見れなかったっす」
「いや、俺だってギリ……あー、もっとスマートにかっこよく話したかったー」
「めっちゃわかるっすよ。今ぐらい自然にしゃべりたいっす」
「……いいなあ、ノダナ族」
「……っすね」
エリエラとノダナ族は、壁に吊るされた照明が照らす亀裂路の奥へ進んで行く。
男達は、奥で左へ曲がる亀裂路に、二人の後ろ姿が見えなくなるまで見送った。




