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世界樹の巡り人  作者: 蔵人
第1章 邂逅のバナーバル
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1-21.クエスタ本部 統括本部長室

 クエスタ本部、三十五階。

 エレベーターを降りた一行は、通路をまっすぐ進み、突き当たりにある部屋へと向かった。

 ユイナは「統括本部長室」と記された扉を、間を置いて三度ノックする。


「ユイナです。お連れいたしました」


 扉横のスピーカーから、落ち着いた男性の声が返ってきた。


「ごくろう。入ってくれ」

「はい」


 カチャン、と電子錠の開く音。

 ユイナが扉を押し開けると、室内から紅茶の柔らかで芳しい香りが流れ出してきた。

 足を踏み入れた瞬間、奥の壁一面に張られたガラス窓が目に飛び込む。

 バナーバル市街を一望するその窓を背に、デスクに腰掛けた壮年の男性が、一行を静かに迎えた。

 短めの栗色の髪と整えられた口髭。

 額の生え際には、メッシュのように白髪が混じっている。

 オーダーメイドのダークブラウンのスーツは、席を立って悠々と歩くヒッジスの体に過不足なく馴染み、立ち姿そのものが彼の肩書きを語っていた。


「はじめまして。私はクエスタ統括本部のヒッジス・アグナスタです。どうかね、気分は。まあ、まずはこちらへ」


 ヒッジスは自身のデスク前に置かれた黒檀の長テーブルを、掌で示した。

 テーブルの上には、すでに紅茶とケーキが用意されている。


「はじめまして。グエン・クロイドだ。街中で暴れた殺人犯に対して、理解に苦しむ厚遇ぶりだが、どういう意図があるのかな」


 グエンは勧められるまま席に腰を下ろす。

 向かいにヒッジス、横にはユイナ。

 二人の隊員は、グエンを挟むように背後へ控えた。


 ヒッジスは手慣れた所作で紅茶をカップに注ぎ、まずグエンの前へ置く。

 ソーサーには、薄くスライスされたレモンが一切れ。

 続いてユイナ、自身の分と注ぎ分け、同じ流れで切り分けられたシフォンケーキを配っていく。

 一連の動きに無駄はなく、来客を迎える笑顔には場を掌握する余裕が滲んでいた。

 その目尻に刻まれた皺を、グエンは一瞬だけ見つめる。

 胸ポケットに挿された木目の美しい万年筆が、ヒッジスという男の格を静かに主張していた。


「ふむ、その疑問はもっともだね。厚遇とまではいかないが、どうかな。この紅茶とシフォンケーキ、ここの二階にあるカフェで買ったものでね。注文すれば、今日のように突然の来訪者があっても部屋まで届けてくれる。私が受付に配属された平職員の頃から数えて、約二〇年間になるかな。毎朝この二つで一日を始めると決めていてね。お茶の時間は、私にとって誰にも邪魔されたくない貴重な時間だ」


 ヒッジスはカップを手に取り、香りを楽しんでから紅茶を口に含む。

 グエンもまた、差し出された紅茶に口をつけた。


「紅茶は甘くないのもいいけれどね、私はどうも砂糖がないとダメだ。お口に合わないかな?」

「甘いものは得意じゃない。だが、香りは好みだ」


 ヒッジスは黒檀のテーブルの上で手を組み、姿勢を正した。


「それは失礼した。無糖に変えようか?」

「いや、わざわざ用意してくれたものを下げる必要はない。いただこう」

「次の機会には無糖でおもてなしさせていただくよ。さて、ここまでお越しいただいたのはほかでもない。エンブラに対する戦闘行為について」

「三人だったか、死んだのは」

「ボディカメラから、君の仕業だというのは分かっているが……。釈明しないのかな?」

「釈明? なぜ?」

「我がバナーバル国内での殺人は、すべて極刑だ。死刑、または大隧道奥地での無期限採掘労働だよ」

「なるほど。だが、エンブラ人はまだ残っているだろう? 兵士と、あのエンブラのくせに白いなりをしている騎士どもだ。できるなら、エンブラ兵の駐留場所を教えてくれないか。ゴミを残してしまっては禍根を残す」

「……大人しく法に従う気ない、という回答かな?」


 ヒッジスは低く落ち着いた声で言うと、両の掌を組み、グエンの目をまっすぐ見つめた。

 室内の空気が、わずかに軋む。


 ユイナはヒッジスの横顔とグエンの表情を、視線だけで行き来させた。

 グエンの背後に立つ隊員は、肩にかけたライフルのバンドを握り直す。

 もう一人は腰のスタンロッドに手を添え、目配せが走った。

 グエンは紅茶を口に含み、鼻腔を抜ける甘い花の香りを静かに楽しむ。


「俺はエンブラ人以外は、極力殺したくない。むしろ、あんたらはエンブラから守る対象だ」

「ぷっ……これは失礼しました」


 背後で、短い失笑が漏れた。

 ヒッジスの視線が動き、無言のまま隊員をたしなめる。


「守ると? 齟齬があったら申し訳ない。確認したい。君が、エンブラから、我々を守ると言っているのかな? 確かに、君と白鯨騎士団との戦いぶりは見事だった。しかし、我々には自治部隊を含め、ヘビークラストなど我が国固有の兵器も多数所有している。君に守られるような存在ではない」


 ヒッジスは、予想外の返答に対し、言葉を選び、慎重に重ねていく。

 その声には驚きと呆れが滲んでいたが、先ほどまでの緊迫感は薄れていた。

 返答次第では戦闘を辞さぬ構えだった隊員たちも、身構えていた肩から、徐々に力を抜いていく。


「戦力はあるようだが、エンブラ相手に、まして王族が乗り込んでくれば、ひとたまりもない。俺は、二つの理由で旅をしている。その一つが、エンブラという国を亡ぼすことだ」

「君なら王族が来ても殺せる、そう聞こえるが」

「ああ」

「私が知る限り、いや、歴史が教える限りだ。二千年以上もの歴史を持つエンブラ帝国が、王族を戦いで失ったのは一度だけ。しかもそれをやってのけたのは、反帝国の象徴にして英雄、54年前に姿を消した戦姫殺しだけだ。王族を殺せるなど、君の主張は絵空事だよ」

「ヒッジスさんとやら、賢そうだが、どうも会話は苦手なのかな」

「どういう意味かね?」

「おたくらが言う戦姫殺しは、俺のことだ」

「……君が、あの戦姫殺しだと?」

「ああ、エントランスにあるような細身の青年じゃないが」


 ヒッジスは大きく息を吐き、胸ポケットから万年筆を抜いた。

 それを右手に持ったまま、椅子の背もたれへ体を預ける。


「……ここで大笑いでもして見せれば、君の冗談も報われるだろうが、そういう気分にはなれなくてね。……ふう、君の処遇については色々と思案しようかと思っていたが、その様子では、有意義な交渉とはいきそうにない」


 ユイナがヒッジスへ向き直り、言葉を選ぶように尋ねた。


「それでは……」

「ああ。グエン君、残念だが君の身柄を拘束する。エンブラとの交渉材料になってもらうよ」

「恐縮ですが、グエンさんは私の最愛の弟を救っていただいた恩があります」

「ユイナ君、本当に恐縮している人間はそういう発言は控えるものだ。今は、君の私情で判断を変えるわけにはいかない。わかっているだろう」

「……はい」

「残念だが、これで決まりだ」

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