1-22.クエスタ本部 炎の採用面接①
ヒッジスがボールペンのノック棒を押した。
カチリ――乾いた音と同時に、グエンの背後に立つ隊員が腰のベルトからスタンロッドを引き抜き、空を薙ぐ。伸展したロッドの先端に、青白い電流がほとばしった。
もう一人の隊員は、間合いを詰めるようにライフルを構え、グエンの真横に立つ。
その動きとほぼ同時に、グエンの左頬に火焔紋様が浮かび上がった。
次の瞬間、体表をなぞるように炎が立ち上り、室内の空気が歪む。
ヒッジスは、その光景を前に息を呑んだ。
「報告では聞いていたが、炎とは……」
「俺はこんな所で止まるつもりはない。有意義かどうか、少し見せてやろう」
入口の扉が勢いよく開け放たれ、八人の隊員がなだれ込んでくる。
刹那、グエンのベルト、左腰に吊られた軍刀『濡焔』が、拘束具ごと炎に包まれた。
「あっつ!」
ライフルを構え、グエンの側面に立っていた隊員は、耐えがたい高熱にさらされ、思わず身じろいだ。
突入した隊員たちも、天井へと立ち上る炎の壁に気圧され、足を鈍らせる。
グエンは、その一瞬の停滞を見逃さない。
椅子から立ち上がる動きの中で軍刀を掴み、引き抜く。反転――次の瞬間、右後方の隊員が握っていたスタンロッドが断ち切られていた。
さらに身を翻し、グエンは黒檀のテーブルへと跳び乗る。
そのまま、ヒッジスの正面に、座禅を組むように腰を下ろした。
ヒッジスの首元に、ぴたりと刃が添えられる。
入口から入ってきた隊員たちは取り囲もうと迫ったが、首元に突きつけられた刃を見て、黒檀のテーブル約二メートル手前で急停止を余儀なくされた。
肌には触れていない。
それでも、首元近くにかざされた灼熱が空気を焼き、ヒッジスの表情を歪ませる。
スタンロッドを切り落とされた兵士は手元を見下ろした。
柄を握るグローブの生地がかすかに切り取られ、肌が露出している。
指の皮一枚をかすめただけの斬撃に、背筋が冷えた。
「いまの一瞬で……なんて奴だ」
出鼻を挫かれ、動けぬ隊員たちを前に、ヒッジスはこわばった表情のまま、テーブルの上に転がるスタンロッドの先端を横目で捉えた。
その横で、ユイナが慌てて身を乗り出し、グエンをなだめる。
「れ、冷静になってください。グエンさん。こんなことをしてはご自身の不利益になります」
黒檀のテーブル上に座すグエンは、ゆらめく熱気を纏いながら、室内の人間すべてを舐めるように見渡す。
そして、静かに笑った。
「俺は冷静だよ。まだティータイムだ。ただ、俺がその気なら、この部屋を炎で満たしてオーブンのようにできる。皆様方、お揃いのところ申し訳ないが一網打尽だ」
「報告は受けていたが……これは、もしや祖式構文……? 君はトルリクの祖人かね?」
「悪いがそっちは専門外だ。俺のは祖式構文とやらを必要としない」
グエンは左頬に浮かぶ火焔紋様を、左人差し指でひと撫でする。
そのまま軍刀をヒッジスから遠ざけ、彼の前に置かれたシフォンケーキの上へとかざした。
触れる直前で止まる刃。紅蓮の輝きが増す。
ジュウッ――音を立てて、砂糖をたっぷり含んだ純白のアイシングが焦げ、芳ばしい香りが立ち上った。
煌々と紅蓮に染まっていた刀身は鎮まり、熱を失い、澄んだ蒼氷色へと変わっていく。
一変して冷たい表情を宿した愛刀に、ヒッジスは目を丸くした。
「まるでクリスタルの……クリアブルーの刀……? まさか、重銀結晶の! これを持つのは、いや、あり得るはずがない……。君はそんなものをいつどこで手に入れたのかね?」
「さすが重銀産地のお偉いさんだ、よくこれが重銀結晶だと見抜いた。が、出処は言えないな。そういう込み入った話は、酒でも酌み交わしながらじゃないとなあ」
「……刃を向けたが、交渉の余地はまだあると考えていいのかな」
グエンは軍刀を鞘に納める。
その動きを見て八人の隊員が踏み出しかけたが、室内の異変に気づき、慌てて足を止めた。
隊員の一人が、喉を引きつらせた声を漏らす。
「なんだ、この赤い光は……」
部屋中に、火の粉のような粉塵が漂っていた。
室温は上昇し、呼吸のたびに熱が肺へと流れ込む。まるで密閉されたサウナだ。
「一網打尽だって言ったろ? 下手に動くなよ。布ずれの静電気でも引火すればドカンだ」
手のひらを上に向け、グエンは爆発を示す仕草をしてみせた。
その一言で、室内の全員が、身じろぎひとつできずに凍りついた。
「とまあ、俺はこの場の全員を瞬きする間に丸焦げにできる。さあ、どうする?」
「エンブラに君を引き渡さず、無罪放免にしろ、ということかね?」
「悪いな。それだけじゃ足りない」
「……何が欲しいのかね?」
「大隧道の通行許可が欲しい」
「大隧道の? 禁足地への立ち入りを言っているのかね?」
「ああ、そうだ。バナーバルが世界樹所縁の街というのは、なにもあんな観光客向けのでかい盆栽だけじゃないだろ? 世界樹のある禁足地へ繋がる道、それを通りたい」
「……禁足地への立ち入りは、特務隊員以上に限定されている」
「そういう部分の交渉を、今、している」
「仮に通れたとして、その選択は利口とは言えないのではないかな」
「と、言うと?」
「禁足地は、そのほとんどが人類未踏の地だ。入ったはいいが、補給もなく一人でどうやって進むというのか」
「痛いところを突くなあ」
グエンは、言葉とは裏腹に、余裕を崩さぬ笑みを浮かべて答えた。
その表情を見て取り、ヒッジスはグエンの腹の内を察する。
「グエン君、仕事を引き受ける気はないかね? 私は君の力を見くびっていた。王族を殺せるかはわからないが、君にこそやってもらいたい仕事がある」
「無罪放免、通行許可と恒久的な支援でも貰えるのかな?」
「条件によっては前向きに検討しよう」
「検討だけで終わるなら、今ここで丸焦げにしてやるが」
「……約束しよう。こちらのすべての要求をかなえて貰えれば、通行を許可し、必要な期間の支援をしよう」
「聞こうか」
室内は、うだるような暑さに包まれていた。
額に汗を滲ませながらも、ヒッジスの声だけは揺るがず、堂々としている。
ユイナや他の隊員たちは、空中に舞う火の粉が誘爆する恐怖に晒されながらも、ヒッジスの怯まぬ態度に支えられ、かろうじて立ち尽くしていた。
「……墨影のアズレイが、エンブラからバナーバルへ派遣されたという情報がある」
治安維持部隊の間に、低いどよめきが走る。
ユイナも声は発しなかったが、表情に緊張が走った。
ただ一人、グエンだけが表情を変えず、ヒッジスの言葉を吟味していた。
(……アズレイってのは誰だ? エンブラ絡み……で、よほどのビッグネームか。なんせ、俺の情報は50年前の代物だからな。知らないこともあるか)
グエンは、あぐらをかいた膝に肘を立て、頬杖をつく。
この部屋の中で、一人だけ汗もかかず涼しいげな表情だ。
「アズレイを殺せと?」
「私が望むのは、バナーバルの平穏だ。退ければそれでいい。本件の脅威を取り去ってくれれば、無罪放免としよう」
「通行許可と支援は別か。つまり、まだ要求があるのか。で?」
「ある女性をエンブラから守ってほしい。君が一度救った、エリエラという女性だ」
「警護……? エンブラに狙われているなら、エンブラを狩る俺の目的も一致するが……」
ヒッジスの言葉に、グエンは眉を顰めた。
警護という条件に最も動揺したのは、ヒッジスの横に座るユイナだった。
エリエラの素性を知る彼女は困惑したが、ヒッジスの揺るがぬ態度を前に、口をつぐみ、事態を見守ることにした。
「彼女の警護の間は、クエスタ隊員として活動することを許可しよう」
「なるほど、それで隊員として活動できる、支援もすると」
「クエスタ隊員としての職務規定と照らし合わせ、公平な支援をする」
「公平ね。ケチ臭くなってきたな」
「試用期間を設けず、正規隊員として迎えるのは十分特別待遇だよ」
「話が小さくなってきたが、あと一つは?」
「特務隊員以上になれば、通行を許可しよう」
「ん? それは規定通りの条件じゃないのか?」
「そんなことはない。聖域である禁足地への通行は、特務隊員という実績の証明、さらには役員以上の推薦が必要だ。この推薦が非常に厄介でね。役員以上とは言うが、現在、推薦できる役員は、私とローガー会長の二人だけだ。そして、会長はスクアミナ教会派だ。聖域である禁足地への通行に断固反対しているどころか、門の破壊と閉鎖を主張している。その推薦を、私が引き受けよう。君は実績を積むだけでいい」
「実績ね。何をするか知らないが、条件次第だ」
「何に対する条件だね?」
「エンブラに対し、いついかなる時も戦闘の自由をもらおう。そうすれば、隊員としてエリエラという人も、このバナーバルの人間も守ってやる」
「……よかろう。だが、エンブラ以外に関しては、職務規定を全うし、一般の隊員として我々の指揮に従ってもらう。逸脱するようであれば、部隊を動かし制圧する」
揺るがず、毅然とした彼の言葉を、グエンは信じることにした。
「わかった。それなら、俺はクエスタという組織を利用させてもらう」
「心強い。交渉は成立だ」
グエンは胡坐をかいたまま、手だけで体を持ち上げて腰を浮かせると、一息で黒檀のテーブルから床へと飛び降りた。
その不自然な身のこなしに、ユイナはわずかに首を傾げる。
だが、部屋の室温が下がり、漂っていた火の粉が消えたことに気づいた瞬間、その小さな疑問は安堵に押し流され、意識の底へ沈んだ。
熱気とともに張り詰めていた緊張がほどけ、すっかり涼しくなった室内に、ひとときの静寂が落ちる。
上長であるヒッジスへ指示を仰ぐように、無言の隊員たちの視線が集まった。
ヒッジスは安堵のため息をひとつ吐き、途中で乗り込んできた八人の隊員たちへと指示を出す。
「……ふう、もう大丈夫だ。下がってくれていい。皆、通常の職務に戻ってくれ」
『はっ!』
命令を受けた隊員たちは、一糸乱れぬ動きで部屋を立ち去った。
その背を見届けると、ヒッジスは残っていた二人の隊員にも同様に声をかける。
「君たちも戻ってくれ。あとは私とユイナ君が対応する」
『了解しました!』
クエスタ本部の入り口から同行していた二人の隊員も部屋を後にした。
本部長室には、グエンとユイナ、ヒッジスの三人だけが残る。
隊員が閉めた扉を眺めながら、グエンは立ったまま、どちらともなく問いかけた。
「さあ、まずは何をすればいい? エンブラ兵を蹴散らすか、それとも、ケーキと紅茶の食器でも返却してこようか。どちらにしても、これがクエスタでの初仕事だ」
先ほどまでの威圧は影を潜め、グエンの物言いはすっかり柔らいでいた。
左頬に浮かんでいた火焔文様も、今は影も形もない。
ヒッジスは椅子に深く腰掛け、隣に座るユイナへ穏やかな微笑みを向ける。
「せっかくだ。彼に片づけを頼もう。なに、来た時に乗ったエレベーターで二階に降りれば、カフェはすぐ目の前だ。簡単な仕事だよ。ユイナ君、どうかね?」
「え? は、はい。私は異論ございませんが……」
「その後はグエン君の隊員登録を進めてくれ。諸々の承認はすぐに進めておく」
「かしこまりました。……で、では」
「彼に食器を渡したら、少し残ってくれ。今後の確認をしたい」
「はい。そ、それでは、グエンさんこちらをお願いします。返却された後は、1階ホールでおまちください。すぐに向かいます」
「OK。まかせてくれ。あのでかすぎる銅像でも磨いているよ」
黒檀のテーブルに並べられた食器を、ユイナが手際よく片づけ始める。
それに合わせ、グエンも一緒に食器を集め始めた。その様子を見て、ヒッジスがふと思い出したように声をかける。
「ああ、せっかくのケーキだ。私の皿はあとで返しておくから、そのままで」
一切れのシフォンケーキが、ヒッジスの皿に残っていた。
焦げ目のついたそのケーキに目を向け、グエンはわずかに口元を緩める。
「了解」
「あ、最後に一つ聞かせてほしい」
「ここまで話したんだ、ついでになんでもどうぞ」
「バナーバルに来た理由は、旅する理由か。それは二つあると言ったね。一つはエンブラを亡ぼすと。では、もう一つは?」
「ああ、それか。過去を変えることだ」
「過去?」
「ゴカ殲滅戦を無かったことにする。俺は、過去に行って、あの惨劇を防ぎたいんだよ」
「過去へ……それが禁足地と関係あるのかね?」
「ゴカには古い言い伝えがあってね。鏡面街という時の狭間の世界では、時間を遡って過去に行くこともできる、と。世界樹の根に、鏡面街はある」
「それは、ただの言い伝えではないのかね?」
「実在する。手から炎が出る人間がいるぐらいだ。それくらいあってもおかしくないさ。俺は命をかける程度には信じているよ」
「……私の勉強不足のようだ。少し、調べておこう」
「じゃあ、俺はこれで」
食器をトレイに乗せると、グエンは二階のカフェを目指し、本部長室を後にした。




