1-15.大樹の下で 対白鯨騎士団②
レイヴンは一人、包囲陣から抜け出していた。
彼女は世界樹の石垣壇へ登って腰を下ろすと、自分は無関係だと言わんばかりに見物を決め込み、堂々とネイルを塗り直している。
二十歳前のレイヴンにとって、王族や外交の行方などより、ネイルの補修のほうがよほど重要だった。
エリエラに詰め寄ろうとするレオンとゲイドラ、それに従う白鯨騎士団。
さらに、その周囲を固めるのは、もともとバナーバルに滞在していたエンブラ兵たちだ。
オライオンがエリエラを守ろうと一心不乱に吠え立てるが、その小さな威嚇でレオンの歩みが止まることはなく、むしろ後退を余儀なくされていた。
オライオンの小さな体が、エリエラに触れるか否かという刹那。
レイヴンは遠方から接近してくる一台のモービルに気づいた。
「え、ちょ、この音って」
エンジンをふかしたモービルが、世界樹広場の駐車場を突っ切り、階段を駆け上がって、レイヴンの腰掛ける世界樹へ迫ってくる。
中型エンジンが無理やり力を絞り出す、金属が悲鳴を上げるような甲高い排気音。
その音に、レイヴンは誰よりも早く、敏感に反応した。
「やっぱり! あーしのモービルじゃん! パクったやつ誰よ!」
レイヴンの叫びは、エンジン音にかき消され、仲間の耳には届かなかった。
最初に動いたのは、世界樹広場に集まっていた野次馬たちである。
接近するモービルに気づいた彼らは、一斉に振り向き、猛然と突っ込んでくる車体に悲鳴を上げて逃げ惑った。
人の波が引き、世界樹へと一直線の道が開かれる。
エンジン音と野次馬の喧騒に気づき、整列していた白鯨騎士団員たちが振り向いた。
グエンの駆るモービルは、すでに十数メートルの距離まで迫っている。
(ロッドの言う女性はあれか。あとは……)
グエンはエリエラと白鯨騎士団、そしてエンブラ兵の配置を瞬時に視認した。
(あの女性を避けて、ひき殺すなら……あいつか)
わずかに車体を傾け、レオンの脇に立つゲイドラへ狙いを定める。
ハンドルのグリップはすでに全開だ。
速度メーターの針が120kmを指した瞬間、グエンは巡行ボタンを押し込み、スロットルを固定した。
手を放しても、モービルは速度を保ったままひた走る。
弾丸のように加速した車体が、一直線にゲイドラへ迫った。
レオンは身を翻して距離を取る。
だが、ゲイドラは反応が一瞬遅れた。
「ぬっ!? ぬううう!」
振り返ったゲイドラは、驚愕しながらも反射的にハンドルを掴み、高速で突っ込んでくる車体を受け止めた。
――かに見えた次の瞬間、シートから跳ね上がったグエンが、すれ違いざまにゲイドラの顔面を蹴り抜いた。
駆動し続ける三本のタイヤが、体勢を崩したゲイドラを一気に押し切る。
具足と石畳が激しく擦れ、白煙を上げながら、広場に一直線の白線が刻まれた。
白煙を引いて走るモービルは、そのままゲイドラを押し運び、石垣壇へ激突する。
高さ一メートル半ほどの石垣壇が崩れ、モービルとゲイドラは瓦礫に埋もれた。
モービルから飛び降りたグエンは、オライオンの鼻先へと着地する。
「アォンッ!」
「巡行モードは当たれば止まると思ったが、加速するとは。嬉しい誤算だったな」
「あの、貴方は? もしや、私を……助けてくださるのですか?」
「こんにちは、お嬢さん。この状況で、見て見ぬふりをする男はいないよ」
「いけません! お逃げください。相手はエンブラの白鯨騎士団です。貴方の身が……」
「悪いがそれは聞けない。俺は、お嬢さんを守るためにきたんだ」
「私を? 守って……下さるのですか?」
「ああ、ついでにこいつらを皆殺しにしてな」
「み、みな?」
突拍子もない言葉に、エリエラは思考が追いつかなかった。
困惑したまま視線を逸らす彼女を背に、グエンはレオン率いる白鯨騎士団を正面から睨み据える。
その瞳が赤く輝き、左の首筋から頬にかけて、真紅の火焔紋様が浮かび上がった。
熱に揺らされた左側の頭髪が、陽炎のように歪む。
「鎧なんか着やがって……金色のバケモノ女を思い出させやがる」
レオンは金髪を耳にかけ、乱入者を見下ろすような視線を向けた。
モービルの突進をかわした彼の前には、三人の白鯨騎士が即座に割って入り、盾を構えている。
レオンが口を開いた。
「貴様、我らをエンブラ帝国、白鯨騎士団と知って」
「よし、死ね」
グエンにとって、「エンブラ」という言葉は合図だった。
思考が終わるより早く、踏み込み、抜刀する。
最前列に立つ白鯨騎士へ、一直線の斬撃。
騎士は即座に大楯を構え、その一刀を真正面から受け止めた。
鋭い激突音。
白い金属片が火花を散らして宙を舞う。
両断されたのは、構えた大楯のほうだった。
「重銀製の大楯を!?」
「ちっ、思ったより硬いな」
グエンは吐き捨てるように言い、両脇の気配を警戒して後退する。
距離がわずかに開いた瞬間、レオンの声が広場に響いた。
「抜剣! 速やかに狼藉者を始末せよ!」
『はっ!』
「させねえよ」
グエンは腰に下げた、すでに空となった鞘口を白鯨騎士へ向けた。
火焔紋様が紅蓮に燃え上がり、熱が一気に収束する。
湿り気を帯びた射撃音。
次の瞬間、鞘口から拳大の火炎弾が撃ち出された。
白鯨騎士は声を上げる間もなく直撃を受ける。
炎は両断された大楯に触れた瞬間、逃げ場を失い、拡散した。
欠けた盾では受け止めきれず、炎は騎士ごと包み込む。
「ぐううおおおお!」
悲鳴が途切れる前に、グエンは間髪入れず、腰だめから火炎弾を連射した。
二発、三発。
直撃の衝撃に白鯨騎士団は体勢を崩し、後方へ吹き飛ばされる。
だが、即座に左右から二人の騎士が前へ出た。
火炎弾で開いた隙間を埋め、大楯を構え、レオンへの道を塞ぐ。
グエンは再び鞘口を向け――そこで動きを止めた。
視界の右端を、悠然と歩く影が横切ったからだ。
白鯨騎士団、副団長ゲイドラ。
グエンは右後方、先ほどモービルが突っ込んだ石垣壇を一瞥する。
そこに残っているのは、崩れた石垣と、半ば瓦礫に埋もれたモービルだけ。
(あれで無傷なのか、あいつ……エンブラの王族か?)
グエンは意識を切り替え、ゲイドラの動きに集中する。
その足取りに、負傷を示す鈍さは一切なかった。




