1-13.復讐の矛先②
剣戟の争いが収まり、当事者たちにだけ一時の静けさが戻っていた。
だが、観衆の奥から切迫した悲鳴が弾ける。
「じょ、冗談じゃない!」
野次馬の中に潜んでいた一人のエンブラ兵が、サーベルを握ったまま叫び、逃げだした。
「うわ! こいつ剣もってるぞ!」
「きゃあ!」
事態を察知した野次馬が後ずさりし、エンブラ兵の周囲にわずかな空間が空く。
グエンは咄嗟に濡焔の鞘から投げナイフを引き抜き、逃走兵に投げ放った。
兵士がふたたび野次馬の中へ紛れ込む、その直前。膝裏にナイフが突き立った。
思わず地面に倒れるエンブラ兵。
「っつ! なんだ! いってえ! ナイフが……え」
エンブラ兵は刺さったナイフを抜こうとしたが、周囲の気配に気づき顔を上げた。
野次馬たちが、目の前で倒れたエンブラ兵を囲み、睨みつけている。
転んだ拍子に手放したサーベルは、すでに野次馬の手に渡っていた。
見下ろす野次馬たちの瞳に怒気が宿っているのを見て取り、エンブラ兵は喉を鳴らした。
棒切れ、ハンマー、刃物――手に物を持つ者まで混じっている。
[な、なんだお前ら、や、やめろ、俺はエンブラ帝国の兵士だぞ! お、おお、王家直属の白鯨騎士団が来てるんだ! 何かしたら、た、ただじゃ済まさんぞ!」
「うるせえ! 今まで好き勝手しやがって!」
「お前らのせいで商業区だけでも死人が出てんだ! 生きて返すか!」
にじりよる群衆。
身の危険を感じたエンブラ兵士は、地面を這って逃げようとする。
ロッドは腹を抑え、足を引きずりながら駆け寄った。
「皆さん待ってください! あとは我々クエスタにまかせてください! エンブラとはまだ交渉中なんです! これ以上何かあると皆さんの身にも危険があります!」
エンブラ兵と野次馬たちが一斉にロッドを見た。
注目が集まったのを悟り、彼は口元の血を拭う。背を正そうとして、わずかに膝が揺れた。
「私はクエスタ本部民生課職員のロッド・ユナイアです。あとは私が対処しますので、どうか! お願いします!」
深々と頭を下げるロッド。
よく見れば怪我の影響でふらついている。
彼の突然の行動に、野次馬たちは気勢をそがれた。
長柄ハンマーを手にした作業着姿の男が、タオルを巻いた頭を掻いて笑う。
「まあ、ボッコボコにされてたあんたがそういうならよお……勘弁してやるか」
「ほんとはあたしだって八つ裂きにしてやりたいんだよ?」
続いて、隣に立っていた下着姿かと見間違うような薄手のキャミソールを着た若い女性が、振り乱した長い栗毛をかき上げ、出刃包丁の刃を見せびらかすようにして言った。
「ね、ねえちゃん、どっからそんな刃物持ってきたんだよ」
長柄ハンマーを肩に担いだ作業員姿の男が呟くと、女性が殺気の籠った目でひと睨みした。
危険を察知した男はすぐに目を反らす。
彼らの言葉を皮切りに、張り詰めかけた場の空気がふっと緩んだ。
兵にとどめを刺す機をうかがっていたグエンも、肩の力を抜いた。刀を鞘へ納め、指をほどく。
(ここでなくても、止めはさせるか)
グエンの頬から火焔紋様が消えた。
その様子を見ていた観衆から声が上がる。
「しかし、あんたすげえな! まるで戦姫殺しだ!」
「その消える入れ墨も、まんま戦姫殺しだぜ」
「さっきの火は? なんか手に持ってんの?」
「斬りっぷりのいい男。ちょっと遊んでかない? あら、口元の傷跡もセクシーね」
あっという間にグエンは人々に囲まれた。
興奮気味の声、熱気、距離の近さ。まして出刃包丁を胸に抱いた女性に好意を寄せられては、流石のグエンも慌てる。
「俺はただエンブラに恨みがあるだけだよ。火は、ま、手品さ。あ、この傷は事故でね。今は先を急ぐから、また今度」
グエンは声をかけてきた人に応えながら、ロッドの傍へ歩む。
胸をなで下ろしたロッドが振り返り、足を引きずってグエンのもとへ駆け寄る。
「危ないところを助けていただいてありがとうございました。あの、助けてもらって厚かましいんですが、お願いがあるんです」
グエンに頭を下げたロッドは、挨拶もそこそこに擦り傷だらけの右手を広げて見せた。
その手にはルビーやサファイアを数珠つなぎにした装身具の一部があった。
「これは?」
「ある女性の髪飾りです。この持ち主の方が、エンブラ兵に追われていたところを助けようとしたら、やられてしまって……」
「その女性はエンブラに追われていたんだな? なら、俺に任せろ」
髪飾りを手に取ると、グエンは周囲を見渡した。
(オライオンがここにいないってことは、その女性に反応したのかもしれない)
グエンはロッドに視線を戻し、宝石の装身具をポケットにしまう。
「女性の特徴と、だいたいで良いからどっちに行ったか教えてくれ」
「は、はい。年齢は二十歳くらいで、腰まで伸びた綺麗な黒髪で、白いブラウスと……スカートが特徴的で赤や青に黄色とかたくさんの色を使った服装でした。落ち着いた……というか、とても品のある方で、エンブラ兵達に追われて世界樹広場の方に向かったはずです」
ロッドは北側を指さした。
指し示す先には、建物の背を越え、一本の大きな樹の梢が頭を出していた。
「それだけわかればいい。あとは任せろ」
「こんなことを頼んでしまったすみません」
「必ず守る。大丈夫だ」
グエンは自身が口にした『守る』という言葉が、心を乱し、胸に棘を刺すのを感じた。
わずかに狼狽えたグエンの様子には気づかず、ロッドは再び頭を下げた。
「お願いします。あ、あの、名前を聞いてもいいですか」
「……俺はグエン・クロイドだ。あんたはロッドだな」
「は、はい!」
「ちゃんと傷は診てもらえよ」
グエンは手を挙げてロッドに挨拶を交わし、世界樹公園方向へ走り出した。
ロッドは走り去るグエンの背に叫ぶ。
「彼女、何かわけがありそうでした! 守ってあげてください!」
ロッドが発した『守る』という言葉が、グエンの胸に突き刺さった。
グエンは喉に引っかかる言葉を、力づくで押し出すように、語気を強めて答えた。
「必ず守る! エンブラが相手なら、それだけで守るには十分な理由だ!」
「気を付けてください! すぐに本部へ応援を依頼しますので!」
拳を突き上げて答えるグエンに、ロッドは深々と頭をさげた。




