1-12.復讐の矛先①
グエンはオライオンの先導で、通行人だらけの歩道を駆けていた。
買い物客が流れていた露店通りとは異なり、騒動を嗅ぎつけた野次馬が集まりはじめ、足を止める者が増えていく。
小さな体で人々の合間を縫うように駆け抜けていくオライオンから、グエンは徐々に引き離されていた。
「まあ、あのすばしっこさには敵わないな」
相棒の素早さに舌を巻いた、その直後だった。
すぐ近くで、耳障りな怒声が上がる。
「下国の民め! いい加減に諦めて従順な下僕になったらどうだ!」
「や、やめろ!」
下国の民。
その言葉が、グエンの頬に浮かんだ火焔文様をじり、と赤熱させた。
野次馬たちが完全な人垣を成す前に、グエンは足を速め、現場へと近づく。
石畳の上に倒れた若い男。
その周囲を、金髪で黒軍服姿の兵士が四人、半円を描くように取り囲んでいた。
倒れている男はクエスタの隊員服――カーキ色のジャケットに栗色の髪。
今すぐ斬りかかりたい衝動を必死に抑え込み、グエンは視線だけで状況をなぞる。
(金髪たちは金の刺繡入りの黒軍服……エンブラくさい。栗毛の彼は、クエスタ隊員に見えるが)
グエンは金髪の兵たちの胸元を凝視した。
そこには、金色に輝くエンブレム。
横顔を向いた長髪の女性を象った意匠――記憶の中では、エンブラ女王の紋章だ。
だが、五十年前の知識だけでは断定しきれない。
一方、栗毛のクエスタ職員、ロッドの胸元には、剣とツルハシを組み合わせた銀のエンブレム。
さらに視線を落とすと、足元には割れた食器が散乱している。
数メートル離れた場所では、木製のカウンターが無残に打ち壊され、店内には砕けた陶器の破片が白く散らばっていた。
腹部を押さえ、店主と思しき男が床に倒れている。
(……オライオンが反応したのは、ここか)
現場の全容を把握し、グエンはなおも立っている兵士たちの顔を一人ずつ確認した。
(殺すには、確信が欲しい)
人垣を割って近づくグエンの姿に、兵たちは揃って目を見開く。
「おいおい、お前迷子か? それとも通りすがりの正義の味方か?」
「はっはっはっは! この町にいるのは従順な迷い子だけだろ」
「けどこいつ、剣をぶらさげてるぜ? しかも戦姫殺しみたいな入れ墨入れやがって」
頬を掻きつつ、グエンは呑気な表情で苦笑いを浮かべた。
「こんにちは。先を急いでいたら飛び出してきちゃってね。おたくらはクエスタの人かな」
四人の兵士たちは肩をすくめ、嘲笑を漏らす。
「ほらみろ。やっすい正義感見せて張り倒されるのはクエスタの雑魚兵くらいだってよ」
「しかし、さすが下国の僻地、俺たちを知らないほどの田舎もんがいるとは」
「けど、その入れ墨は気に入らねえ。次はお前だな」
ひと際体格の大きな兵士が、倒れているロッドの腹を蹴り飛ばし、その背を踏みつけた。
「俺たちをこんな芋虫と一緒にするなって! 芋虫には地面がお似合いだ!」
ロッドは無防備な腹を蹴られ、身を縮めて呻く。
踏みつける足を両手で掴み、激痛に耐えながら顔を上げ、兵士たちを睨み据えた。
口元から、一筋の血が垂れる。
「うぐっ!……うう……お前らが暴れるから……だろ……エンブラめ」
『エンブラ』の一言で、グエンの瞳は紅蓮に染まり、頬の火焔文様が灼熱を帯びる。
グエンは刀を下げたホルスターの留め具を親指で弾き、迷いなく抜刀した。
クリアブルーの刀身が陽光を受け、鋭く煌めく。
濡焔の煌めきを視界に捉えた瞬間、蒼氷の刃はすでに男の胴体を深く断ち割っていた。
「あぐっ!」
呻き、崩れ落ちる兵士。
残る三人のエンブラ兵士たちが、遅れて身構える。
「き、貴様ぁ!」
最も近くにいた兵士が、慌ててサーベルを抜く。
だが、グエンの動きはそれより早かった。
返す刀で振るわれた濡焔が、鞘から抜けきらないサーベルを砕き、そのまま腹部を薙ぐ。
破片を撒き散らしながら、兵士は前のめりに倒れ込んだ。
呆然と立ち尽くすエンブラ兵の顔に、仲間の血しぶきが降りかかる。
その光景を目撃した野次馬から、悲鳴に近い叫びがあがった。
『ら、乱闘だー! 巻き込まれるぞ!』
倒れたロッドとエンブラ兵を中心に形成されていた野次馬の輪は、一気に膨れ上がる。
残る二人のエンブラ兵は距離を取り、拳銃を抜いて銃口を向けた。
「貴様! 我々をエンブラと知ってやっているのか!」
「だからさ、死ね」
引き金が引かれるよりも早く、グエンは左手で空を掻き上げた。
瞬間、掌から生まれた炎塊が弾け、紅蓮の舌となって兵士たちを飲み込む。
業火は二人の身体を易々と包み込み、爆ぜるような轟音が悲鳴を塗り潰した。
グエンは徐に歩み寄り、火だるまとなった兵士たちを見下ろして吐き捨てる。
「お前らには、紅蓮の怨嗟だけがお似合いだ」
焼けもだえる兵士を袈裟切りに伏せ、続けざまにもう一人の胴を薙ぐ。
一息で四人のエンブラ兵を斃したグエンを前に、群衆も、クエスタ職員も、ただ言葉を失って立ち尽くすしかなかった。
グエンは血濡れの濡焔を一瞥する。
次の瞬間、クリアブルーの刀身が橙色に輝き、付着した血を蒸発させた。
ロッドは腹を押さえたまま腰を抜かし、グエンを見上げて、かろうじて声を絞り出す。
「あ、あの……い、いったい」
グエンは穏やかな声で、誰にともなく告げた。
「騒がせてすまない。俺が殺すのはエンブラ兵だけだ。他に危害を加える気はない」
ロッドはその静かな物言いに、ようやく安堵し、肩の力を抜いた。




