1-10.マギーの店① 真紅のランカ
グエンを導くように歩くオライオンは、灰銀色の石畳を短い四本足で懸命に蹴り、商業地区にある生鮮市場まで進んでいく。
溢れかえる人の波へ小さな体で躊躇なく潜り込み、スイスイと足元をすり抜けていく。
虎縞模様の小さな子犬を見失わないよう、人々の間を掻き分けて追うのは一苦労だった。
(随分急ぐな。もう腹が減って肉屋にでも向かってるのか?)
オライオンの足が止まった。
鼻をひくつかせて周囲を見渡すと、果物屋の方へ走る。木製の柱をつたって、そのまま屋根の上へ飛び乗ってしまった。
(まさかのデザート……な訳がないか。例のヤツを嗅ぎ取ったな)
相棒が飛び乗った露店の看板には『マギーの店』とある。
緑色に塗装された木製の屋根に立ち、オライオンは鼻をひくつかせて何かを探している。
「遠いのか、 匂いが弱いのか。しばらく様子を見るか」
通行人を避けながら呟き、グエンはマギーの店にたどり着いた。
露店の前に立った彼は、店先に並ぶ果物の鮮やかさに目を奪われる。
プラムやパイン、マンゴーにキウイ――果物が織りなす極彩色が視界を満たす。
店先を埋め尽くす芳醇な宝石の群れ。その中で、真紅だけが妙に目を引き、グエンは思わず声を漏らした。
「綺麗なリンゴだ」
恰幅の良い中年女性、店主のマーガレットが豪快な笑顔で迎えた。
グエンの赤いコームオーバーの髪へ、ちらりと視線を送る。
「おや、目が肥えてるねえ。上物さ! お兄さんの髪みたいに綺麗な赤だろ? けどね! 見た目はリンゴそっくりだけどさ、別物さ!」
「ははは、ありがとう。俺にはリンゴにしか見えないけど、これは?」
「こいつはランカっていってバナーバルだけの特産品だよ。爛々と輝く果実って意味でランカさ。生り方が面白くてねえ。葡萄みたいに房で生るんだよ。房だからさ、お互いに傷つけずに育てるのは手間が掛かるんだよ」
マーガレットは傷一つない真紅のランカを手に取って見せる。
グエンは彼女の持つ果実を、まじまじと見つめた。
「へえ、これが房で? 見た目はリンゴそっくりだが、見事なもんだね。確かによく見るとリンゴよりも赤が深い。まるでルビーだ」
「あははは! ランカを口説き落としてるのかい? なら連れてっておあげよ。これはね、切ってみるとアッと驚くよ!」
顎に手を当て、ほおっと声を漏らしたグエンは、胸ポケットから小銭入れを取り出す。
「このランカ、おいくら?」
「380ギンのとこをおまけして300ギンでいいよ!」
「おお、こんなに上物をいいのかい?」
「うちの商品を褒められるとさ、アタシも嬉しいのさ!」
ニカっと笑うマーガレットに、グエンは笑顔で小銭を渡した。
「すぐ食べるのかい?」
「ちょうどデザートが食べたくてね」
「OK! ならお任せよ!」
豪快な笑顔で答えると、マーガレットはランカをまな板の上に乗せた。
金属製の薄い筒をランカの上部へ垂直にあてがい、掌で思いきり叩き込む。
ドカッ、と鈍い音。筒がランカを貫通する。
マーガレットは中央の芯がくり貫かれたランカの実を手に取った。
「こいつはおまけ! 食べやすいようにね!」
「へえ、綺麗に芯が抜けるもんだ。芯があるのもリンゴに似てるね」
ぽっかりと穴の開いたランカを受け取る。
グエンが空洞になった実を覗き込むと、芯まで染まった真紅とともに、濃厚な蜜の甘い香りが鼻腔をくすぐった。
「おおお! 中まで真っ赤! しかも……リンゴよりも柔らかな香りだ」
「あははは! そうそう! いい驚きっぷりだよ! 芯があるのはリンゴに似ているけどね、味はまた違う味わいさ」
「中身もルビーみたいだとはねえ」
「ランカはね、爛々と輝く果実ってね。世界樹の女神ダナートニア様がくだされた果実だってお話があるんだよ」
「へえ、さすが守護山脈の麓だ。香りも見た目も良い」
「香り良し、見た目良し。しかも味まで良しで最高さ。三拍子そろってあたしみたいだね! あはははは!」
「女神様の恵みに感謝して早速」
グエンは爽やかに微笑み、口をめいっぱい広げてランカの実にかぶりつく。
「うお、思ってたよりも甘い! ほんとに美味いな! しっかりした桃みたいな果肉だ」
「あっはははは! そうでしょ! 内輪地区クロス果樹園産だからね! 噛むと甘い蜜が口いっぱい広がってやみつきさ! 他にもオススメのフルーツが盛りだくさんだよ!」
上機嫌のマーガレットは、多彩な果実の中で両手を広げ胸を張った。
得意げな女主人の姿に、グエンは感心しながら頷く。
「バナーバルに来て早々、良い店を見つけたよ。あ、内輪地区ってのは?」
「おや、ほんとに来たばっかりなんだねえ」
「今朝来たばっかりだよ」
「そうかいそうかい。実はね、アタシもよそから越してきた口でね。この町は景気がいいけどさ、その分きな臭い話も多いからお気をつけよ」
「重銀の産出地となると事情も複雑になりそうだ」
「まあね、光があれば影もあるってやつなんだろうけどさあ」
マーガレットはランカの果汁で濡れたまな板を布巾で拭う。
その手を動かしたまま目だけで周囲を窺い、声を潜めた。
「あたしらもさ、恩恵に預かってるからあんま悪くは言えないんだよ? でもさ、重銀産出地の大隧道、ここの利権ってのがミソでね」
「大隧道ってのは坑道か何かかな?」
「そうそう。でっかいトンネルがね、守護山脈の山肌にぽっかり開いてるんだよ。その持ち主が内輪地区、いわば特権階級さ。大隧道と重銀で沸きあがる前からの住民でね~」
「あ、なるほど。で、内輪の外は後から移住して来た人か」
「そ! けどね、アタシらみたいな商売人や職人はマシさ。最初に単純労働者として移住してきた人達らは悲惨でね。既得権益ってのが絡むとどうもねえ」
「悲惨? 何かされているのか?」
「まあ……扱いが悪くてね。外輪労働地区ってのがあるんだけど、 そっちはかわいそうなもんよ。時代が悪かったてのもあるんだろうけどさ。難民扱いだと更にねえ」
ランカを噛みしめながら、グエンは小さくうなずいた。
マギーの店の屋根では、オライオンが座り込み、鼻をひくつかせている。
何度か匂いを嗅いでは、西側へ鼻先を向けていた。
赤い果肉をかじりながらも、グエンの視線は人の流れを切らさない。
だが、いくら目を凝らしても、行き交う人々に別段変わった様子は見受けられなかった。
わからないなら聞くかと、グエンは西を指さす。
「これから散策しようと思うけど、あっちに行くと何があるのかな?」
「あっちは~、ああ、世界樹公園があるよ。重銀が取れる前は、銀鉱山と、世界樹って言われるでっかい樹がこの街のシンボルだったらしいよ。三百m以上あるって言うから、ほんっとにでっかいよ。一度見てごらん!」
「世界樹……それは、一度見ておきたいね。あの世界樹とは無関係なのかな?」
「あのってのは、女神様のかい? そりゃあねえ、昔は守護山脈の地下を越えて伸びてきた世界樹の新芽なんじゃないか?って、噂もあったよ。なにせ、この街で重銀が取れたのと同時だって言うから、ほんの四十年であれだけでかくなったんだからねえ」
「四十年で三百メートルはとんでもないな。けど、ただでかい樹だった、と」
「そうらしいよ。守護山脈の内側は誰も行ったことないからねえ。樹が似てるかどうかもわかんないじゃない? ほんとに世界樹だったら、女神様のお導きってなもんで、最高だったんだけどさあ」
「ははは、本物ならご利益もすごそうだ」
「ダナートニア様のお膝元で商売繁盛間違い無しってね! あ、そうだ! あんた、腰に剣なんてぶら下げているんだ。腕に覚えはあるんだろ? よく見ると強そうだし」
「これで食っていこうかなと思う程度には、ね」
グエンは腰に下げた、黒拵えの軍刀『濡焔』を叩いて笑う。
マーガレットは陽気に言った。
「ならさあ! あんたクエスタにお行きよ!」




