1-2.旅立ち② 成すべきは
――遡ること半日ほど前。
小さな店の前に、ずらりとモービルが並んでいた。
陳列された商品と距離を置いた道路脇に、ひときわ大きな黒いモービル【グランディア】が停められている。
グエンは、その横に立っていた。
店先からワークキャップを前後逆にかぶった、壮年を過ぎた男が顔を出す。
彼はモービル屋の店主、ズサカ。
油まみれの手、彫りの深い顔立ちは職人らしい無骨さを帯びていた。
ズサカは金の糸切り歯をのぞかせ、ニヤリと笑う。
作業着のポケットから一枚のカードを取り出し、グエンに手渡した。
「遅くなった。ほらよ」
「何から何まで、悪いな」
「うるせえよ。みずくせえ」
「で、ちゃんと使えるのか?」
「アウルカ製は質が良い。身分証に使う分には問題ない」
「国外、例えば、バナーバルでは?」
「バナーバルか。問題ない。けど、バナーバルに行くなら、クエスタに入って、そこの身分証を手に入れたほうが後々楽だ」
「なるほど。そうしよう」
ズサカは帽子のツバを正面に直し、グエンの目を見据えた。
「あのよ、モービル屋のオヤジになるのだって、悪くない人生だ」
「……次の人生があったら、考えとくよ」
「年頃の若い娘がよ、モービルを見にちょくちょく来るんだよ。で、『赤い髪の店員さんいませんか?』なんて聞きに来るのが一度や二度じゃない。って、カミさんがさ」
「……そうか」
「グエン、お前はこれからの人生を、自分の幸せのために生きていいんじゃないか」
「……」
「過去は変わらないんだ。こだわりゃ、つらいだけだ」
「……過去を変える方法はある」
「そんなもん、どこに?」
「世界樹に答えがある」
「だからバナーバルか。けどあれは、ただでかいだけの観光用の樹だ。スクアミナ大樹海の奥のとは違う。なあ、考え直せ。過去を変えるなんて与太話、アウルカの方の伝説だか昔話だろ。そんな雲をつかむような話に、せっかく助かった命を賭けることないだろ」
「俺がこうして生きていることだって、雲をつかむような奇跡だよ」
「その奇跡ってのに、二度目も期待するのか?」
「もう、思い出せないんだよ」
「……何を?」
「愛する人の声を、笑顔を。……愛していたのは覚えているのに。忘れたい訳じゃないのに。たった五十年で、記憶が風化してしまった」
「なら、なおさらだろ」
「もう一度カガミに会えるなら、ゴカ村を救えるなら、俺はなんだってする。エンブラを潰して、そして、過去を変える。もう、決めたことだ。……今の俺なら、戦うのも独りの方がやりやすい」
「ほんっとに、頑固者め。……モービル屋になりたくなったら、いつでも来いよ。童顔な頑固爺を、がっつりしごいてやる」
「……老けた年下のおっさんに、弟子入りするのも悪くないかもなあ」
「うるせえよ。そういや、金はあんのか?」
「ん、まあほどほどに……」
「あるわけねえか。なら、バナーバルはちょうどいい。あそこは景気がいいからな、炭鉱でも傭兵でも、いくらでも金を稼ぐ方法があるだろ」
「重銀で盛り上がってるとか」
「そういうこと。ほれ、俺も金はねえけど、これ持ってけ」
ズサカは茶色い紙袋を差し出した。
グエンは受け取り、口を開いて中身をのぞく。
「カミさん特製の弁当だ」
「甘いやつか?」
「甘辛いやつだ」
「甘いのは苦手だって言ってんのに」
「グエンの舌には上等過ぎるってことだ。ほれ、チビの分も入ってる。そっちはほとんど調味料無し」
「助かる」
「元気でな」
「今まで本当に世話になった」
「うるせえよ。そういうのは、全部終わったらちゃんと言いに来いって」
「ズサカも、それまでには結婚相手見つけておけよ」
「俺にはカミさんがいるからいいんだ」
「あれは軍用だろ。ロボットをカミさんって呼ぶのはやめた方がいい」
「うるせえよ。カミさんは人生のサポートロボットだ。接客もできる。人間の女なんかよりずっと献身的で、裏切らない、完璧だ」
「はは、ズサカのそういうふざけたところに救われたよ」
「うるっせえ。グエン、そのガキみてえなツラで俺のお袋と同い年だってんだから、お前こそふざけた話だ」
「俺には、ズサカみたいな老けた子供はいないけどな」
「うるせえって。……数十年来のダチができた気分なんだ。また来いよ」
「ああ」
グエンとズサカは屈託なく笑い、互いの拳を突き合わせた。
――グエンは、頬張ったサンドウィッチをゆっくりと咀嚼し、飲み込んだ。
「辛い、な。思ったよりも。確かに、甘辛いやつだ」
気づけば、オライオンはすでに食事を終えていた。
何度も口の周りを嘗め回し、空になった紙包みの匂いを嗅いでいる。
「オライオン、ちゃんと噛んだのか? 俺は味わって食うから、待っててくれよ」
グエンは空になった包み紙を丸め、パニアケースの蓋を開けて中へ放り込む。
食後のオライオンは、グエンの肩に戻ると毛繕いを始めた。
グエンはモービルにもたれたまま、バナーバルを見つめ、サンドウィッチをもう一口かじった。




