1-1.旅立ち①
一台のモービルが悠々と緑の丘を駆け抜ける。
3100ccのエンジンが、二気筒特有の重々しい鼓動音を刻みながら、丘陵の風を切り裂いた。
フロントに並ぶ二本のタイヤと太い後輪がそれぞれ駆動し、轍や小石をものともせず大地を蹴る。全長3.5m、バイクの倍ほどもある車体を力強く前へ運んでいく。
コームオーバーの赤髪を風に揺らし、グエンは朝日に目を細めた。
外見年齢は二十歳を過ぎ、精悍な顔立ちの男性。
胸ポケットから取り出したサングラスをかける。
体にぴたりと馴染むジャケットに、サイドポケットのついたタクティカルパンツ。
腰の太いベルトにはいくつかのポーチが固定され、左側には刀を吊り下げる為のホルスターがぶら下がっている。
そこに収まるべき黒拵えの軍刀「濡焔」は、今はモービルの車体脇に固定されていた。
ふくらはぎまですっぽり包む分厚い革のロングブーツまで、衣服は黒一色。その装いが、紅蓮の髪をよりいっそう鮮やかに際立たせている。
右手側から昇る朝日が、大地を温かな光で照らしていた。
グエンの双眸には、その光が大地の穢れを洗い流していくように映った。
復讐の旅には似つかわしくない美しさ。その温かな光とは裏腹に、胸の内には凍てつく冬のような乾いた風が吹いていた。
走るモービルの後部席には、黒く四角い樹脂製のパニアケース。
その中には、小さな住人がいる。
ちょこんと毛むくじゃらの小顔を覗かせたのは、白い子犬に似た生き物。柔らかな長い体毛には、虎に似た黒い縞模様が浮かんでいた。
グエンの小さな相棒、オライオンだ。
「アオォン」
オライオンは気持ちよさそうに風を受け、流れる景色を堪能している。
風に混じって届いた微かな声に、グエンはバックミラー越しにその姿を見やった。
「よお、相棒。やっとお目覚めかな」
モービルは穏やかな起伏が続く丘陵地帯を駆け抜けていく。
ひと際大きな丘へ続く道路を登り切ると、眼下には地平を覆うスクアミナ守護山脈。その麓を、銀の帯のようなザルハ大河がゆるやかに流れていた。
道路は遥か下方へと続き、ザルハ大河に架かる大規模な可動橋を経て、守護山脈の麓にある鉱山都市バナーバル市へと伸びている。
「絶景だな。ちょうどいい、軽く飯にしよう」
モービルは速度を落とし、丘の頂上付近で道路脇へ逸れた。
左手でクラッチを握り、左足でギアをニュートラルへ入れ、右足のつま先で姿勢制御ペダルを跳ね上げる。アナログなタコメーターの右下で青く光っていた【GLANDIA】の文字が、緑色に変わった。
その変化を確認すると、グエンはモービルからゆっくりと降り立つ。運転手を失っても、傾斜に置かれた車体は傾かない。まるで意思を持つかのように、その場で静止していた。
グエンが車体を軽く小突くと、モービルはわずかに傾き、車体下部からせり出したスタンドが重厚な車体を支えた。
寝床が傾き、パニアケースでくつろいでいたオライオンはすっくと身を起こす。体を縮めて屈むと、グエンの肩めがけて跳んだ。
「お、っと」
グエンはその小さな体を肩で受け止めると、柔らかな毛で覆われた頭を撫でる。
オライオンは満足げに頭を摺り寄せた。
グエンは相棒を肩に乗せたままモービルの後方へ回り、パニアケースから紙袋を取り出す。うまそうな匂いを嗅ぎつけたオライオンが、鼻をひくつかせた。
しきりに鼻を鳴らす相棒の仕草に、グエンは思わずほほ笑む。
モービルにもたれかかり、丘を下った先にある街、バナーバルを見つめた。
「あの大仰しい見てくれは、何に備えているんだろうな」
スクアミナ守護山脈の麓、山に張り付くように栄えた鉱山都市バナーバル。この土地の古い言葉で【金の音が響く穴】を意味するその街は、全周を壁で囲われ、城塞都市さながらの様相を呈していた。
オライオンにとっては相棒の疑問などどうでもいい。紙袋から漂う美味そうな匂いが気になって仕方ない。
グエンの腕をつたい、紙袋の前で一吠えした。
「ウォン!」
「ああ、食べようか。オライオンのはこっちな」
グエンは紙袋から、白い包み紙を二つ取り出した。
一つを左手に持ち、モービルのシートに腕を乗せると、手のひらの上で包み紙を開く。
中には、手のひらほどの大きさのローストチキン。
香草のほのかな香りが風に溶けた。
見るや否や、オライオンはきつね色の焼き目がついた鶏もも肉にかぶりつく。
「オオウ、ウウウオ」
鳴き声とも唸り声ともつかない歓喜の音を漏らしながら、夢中で食らいつく。
相棒の至福の瞬間を邪魔しないよう、左手はそのまま。
右手と口を使って、自分の包み紙を開いた。
二枚のバタールに挟まれた、照りのある鶏肉。
焦げ茶色のタレが朝日に光っている。
「甘いやつだな」
軽く笑い、グエンは歯が肉に届くよう大口を開け、サンドウィッチを頬張った。
肉の脂と香辛料の香りが、穏やかに彼の胸へ広がっていった。




